元旦のバルセロナ 土曜 1983年

  外は静かで部屋も暗いので、10時過ぎ起床。スペイン語で、FELIZ  NUEVO ANOというそうだ。祝 新年!!といったところ。

  あけましておめでとう。松飾りもなく、テレビやラジオの正月正月した伴奏もないので、

新年という実感は湧かない。どうも西洋では、新年よりもクリスマスの方がにぎやかだ。

 クリスマスが終わると、新年になったような気がしているのではなかろうか。いつもと変わらぬ調子で、しかし今日からアパートに移るという多少張り詰めた気持ちで荷造りを終え、朝食に出る。

 

  どこの店も休みかと思ったら、MATAS近くの角のバールは感心なことに営業していた。

cafe con leche 35pesetas、tostada40 pesetasの店だ。店の兄ちゃんは正月から出ているためか、ダレた様子。cafeもなまぬるい。電気屋街では、正月1日だというのに、ヒターノの色黒太っちょのおばちゃんらがこそっと時計を見せていた。いつ売れるとも知れないが大変なことだ。

 

  こっちはますます嵩張り、重みを増したバックパックを背負い、手には大きなビニール袋

を提げ、肩にはカメラバッグ。

 この前、MATASのおっさんは我々の幸福を祈る、手紙はキープしておくから時々取りに来たらいいよ、と言ってくれた。長い間お世話になりました。あなたの助けがなければ、アパートメントを見つけることは出来なかっただろうと、薫が付け加えた。

礼を言って別れる。あまりの重さにふらつきながら、Metroへ。50pesetas銀貨一枚出すと、

セセンタ(60)と言われた。あれ?昨日まで一人25pesetasだったのに、値上げしたのかな。

  アパートメントへはこの線で一本なのでとても都合がいい。AlfonsoXの駅を出て

起伏の多い複雑な地形の道を、信号をいくつも渡りながら徐々に近づいていった。

  受付では寝ていた兄ちゃんが起きて自動ロックを解除した。鍵を見せて部屋へ。

部屋や冷蔵庫を掃除した頃には昼をまわっていた。正月でもあり、1回目の食事をシャンパンで祝う。ROSADO EXTRA.長い間しょって歩いたアントワープのスパゲティを作り、野菜スープ

も炊いて昼食。皆の目を気にせず、ゆっくり食べられること。坐って落ち着いた食事をしながら冷たいシャンパンを飲めることはじつに愉快だ。何より、陽の射す明るい食卓であるのが

うれしい。料理は少々塩辛かったが、この場の雰囲気を満喫した。

 

  夕刻、肉屋なりと空いてないかと近所をぶらついたが、昼間空いていた店ももう早々に

店じまいしてしまったらしく見つからなかった。

 

  夕食は薫担当で塩気の強いツナサラダを食した後、喜び勇んで風呂に入ったが途中で

湯が出なくなり、くるみにSOSを出した。真冬である。全く何も起こらないでは済まないのだから。Agua Calienteがうまく作動しないのか、それとも正月のため、どこの部屋でも電気を使っていて目一杯なのか、(何回か短い停電があった)わからぬが。

  急いで鍋に湯を沸かしていると、急に電話のベルがけたたましく鳴った。受話器を取ると

男の声で、何か短い言葉をポツポツ言う。間違いだと知らせたいが言葉が分からず、切るとまたすぐかかって来る。4回目に切った後かかって来た電話は女の声だった。一生懸命ヌーメロ

番号が違うと言い、こちらのナンバーを伝えたが埒が明かない。薫が出て怒鳴り、一件落着。

  本当に何かしらコトが起こるのはどうしてだろうか。薫だ、くるみのせいだと罪をなすりつけながら新年の夜も暮れた。

 

  がんこにも、くるみは鍋で沸かした湯でもって髪、顔、頭、身体を浄め、一年の垢を洗い落としたのだった。いつまで起きていても、いつまで寝ていても追い出されないかと思ったら

かえって目が冴えてしまって、

明け方4時頃までHotel list 及びrestaurant  list作りに励んでしまった。慣れないcalefaccion

のせいか、喉が少しひりひりする。もういい加減にして眠ることにしようか。長い1日が終わる。

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