目を覚ましたら、11時すぎであった。今日もまたマタスのおっさんの力を借りて宿探しを
しなければならない。午後に来いと言ったが、自分で探すことにして新聞を貸してもらった。
辞書を引き引き、眼を凝らしてピックアップしたのをおっさんに見せにゆくと、muy lejos
だということだった。ざっと拾い読みしたがいいのがない。別の手段を講じるため、本屋と
不動産屋を教えてもらう。しかし、おっさんは一度やり出したら最後までという性分らしく
非常にがっかりし、力になれない事を詫びているのが、気の毒だった。互いに慣れぬ外国語
(スペイン語のみならず、バルセロナはカタルーニャ語なのだ)で話しているため、細かな
感情の機微を伝えられないのが残念だ。
マタス横のシャンパン屋でハンバーグのボカディーリョを摘み、シャンパンを呑んで簡単な昼食にし、宿探しと本探しに出掛けた。いつか見たRESIDENCIAのGUIA(住居のガイドブック)は何処にも置いていず、アパートメントの本も出ていなかった。サグラダファミリア
近くの不動産屋を探して歩いていった。おっさんに書いてもらったアラゴン通りは長く
続いており、その住所を探すために広い道路をいくつも渡り、車がビュンビュン飛ばしてゆく
道路脇の狭い歩道を伝いながら歩いたのであった。
目的の589番地には、それらしき看板が見当たらなかった。まず、ほとんどの店は
cerrado、クローズである。歩いている人もこの通りには少ない。
薫が通りすがりのおばちゃん2人にアパートメントのエイジェンシアを聞き、そこを
当たった。ここは立派なホテルのようにフロントがあり、ロビーにはクリスマスツリーが
綺麗に飾られている。フロントのおねえさんは意外にも気さくで、我々の質問にもすぐ
応じてくれ、部屋も見せてくれた。ここはひと月28000pesetas(60000円ちょっと)。
望んでいたのよりかなり高いが、部屋は寝室(大きなダブルベット、サイドテーブル、椅子付き)、サロン(テーブル、ソファ付き)、台所(湯沸かし器ほか全て電気、冷蔵庫、食器、鍋
付き)、バスルーム(バスタブ、トイレ、ビデつき)及び物干し場用ベランダ付きである。
この部屋はショールームであったが、実際の部屋はもう少しきれいだと言う。管理の人もいつも待機していて、鍵の受け渡しをしているのも安全だ。このおねえさんは非常に人馴れしていて、どんどんしゃべり、fujiwara fukujiを、ウクヒ・ウヒマラと読み、大いに笑った。
とても高いが、とても気に入ったので名前を書いて渡し、考えてからあとで電話する旨伝えた。
メリークリスマースと言って、エイジェントを後にして、家の候補が見つかったからか、
まだ決まってもいないのに、何故か2人とも良い気持ちになっていた。家具付き、、食器付き
だから高いのは仕方ないと思っていたせいもあり、まああの部屋であの値段なら決めてもいいとまで思っていた。浮かれ気分を戒めながら、カタルーニャ広場に戻る。
さすがクリスマスイブだけあって、通りにはネオンが煌めき、人々があふれてごった返していた。レストランを探し、しばらくうろついたあと、バールでビール一杯ずつと、レヴァー
の煮たの(にんにく、パセリみじん切り、トマト味)を食す。このレヴァーは臭みが無く
うまし。多分、白ワインで臭み抜きがしっかり出来ているのだろう。まだ、時間が早いので、もう少し探究しようと通りをうろつくも、目ぼしいレストランは見つからず。このバールで
食事することにした。
plato combinato(セットメニュー)はそれほどではないが、(しかし安くはない)一品
料理は結構高い。薫はplato del dia(その日の定食)を、くるみは、escalope y croquettes
y tomate de tiempoの皿を取る。
薫のは、大きなソーセージに目玉焼きと豆の煮たの。くるみのは、カツと、2このクリームコロッケ、レタス、トマト。値段の割りに味は大したことなし。薫には、vinoとパンがついて来たが、くるみのにはついていない。775pesetasの散財をした。どうも不本意な金の使い方をすると、散財したという感覚になる。このバールで隣りに座っておったスペイン人のおっさんは最初からこちらを気にしていたが、ジプシーが金をせびりに来た時を境に話しかけて来た。色々質問されたが、ここに住んでいるのかと聞かれ、NO.と答えると急にがっかりした
顔付きになって話しが途切れた。彼はレストランで働いていて(というか店主だろう)そこには中国人がたくさんいるが、皆よく働く、友達だ、と言う。日本人もよく働くから好きだと。
多分、我々に職をあっせんしようとしたのかも知れない。早々にして店を出る。おっさんは
珈琲を飲むかと聞いて来たが、
関わりたくないので断ったのだった。
先ほど前ゴタゴタと混み合っていた通りも8時過ぎには空き始め、皆どこに行ってしまったのかしらと思うほどだ。マタス隣りのシャンパン屋、カン・パイサノも今日はもう店仕舞い
で、隙間から覗くと掃除をしているところだった。
帰っておっさんに今日見つけたアパートのことを報告。おっさんの教えてくれたエイジェンシーは見つからなかったが、ひとつアパートを見つけた。高いがとても綺麗だ、と言って
値段を書いてみせると、ヒューと言う顔をして非常に高いと言った。このアパートに決めかけており事務的な詰めをおっさんに頼もうとしていたのだが、ここで話しは詰まった。
最後は自分たちで決めなければならないが、もう少し他のを見てみないかという事で、明日も
新聞で探してくれるというので、一応保留となった。おっさんいわく、高いところに泊まるところを安いところにして、浮いた金でもっといろいろなレストランを見て回った方がいい、と言うのだ。今はオフシーズンで空いていて安いはずだ、と言う訳だ。道理ではある。一晩考えてみると言って部屋に戻った。
何だか安穏とした気分でいたのも束の間、また宿探しに気力を注がねばならぬのは、少々
厄介でもある。けれど、持ち駒がひとつでもあることと、大体の相場がわかったので、マタスに居る最後の日までチャレンジしてみようという事に話しは決まった。明日からまた宿探しだ。薫はもう寝ている。
追記、昨日アパートを見にいった時に、細い道で会ったおばあさんに今日もまた通りで会った。背を曲げ首を突き出し、寄り目を大きく見開いて胸に抱えたテープレコーダーの音楽に
合わせて体を揺らしながら歩いてくる不気味なばあさんだ。よく見ると、バルセロナは変な人が多い。