大晦日のバルセロナへ帰る 金曜日

  まだ夜も明けきらぬ頃、Port Bouに着いた。昨夜も得体の知れぬ男が部屋内を覗いていたらしい。いつものようにパスポートはノーチェック、荷物検査もなし。入国スタンプだけきっちり押してもらった。

 くるみは長い長い列に並んで、billetes(切符)をもらい、薫は余ったイタリアリラをペセタに替えた。まあまあの率で、あまり損をすることもなく懸念のリラをお財布の中から追放することが出来た。めでたしめでたし。ホームを駅の荷運び人が間違えて教えたので手間取ったが、やっとBarcelona ternimi行きの列車に乗り込みことが出来た。

 

  まず、オレンジを食べて元気をつけ、一睡。Barcelonaに着く頃には、結構元気を取り戻していた。

 

  着いたぞうー!客引きのおっさん達が近づいて来る中をMATASへとさっそうと向かう。31

日だというに、客引きも大変な商売だ。

 

  MATASでは驚いた顔をしたおっさんがパジャマの前をはだけたまま、顔を出した。コンコンと咳をしているところを見ると風邪をひいたらしい。the same oneと言われ、同じ部屋に

荷物を背負って登る。たった2日しか経っていないのにずいぶん荷物が増えたせいか重く感じる。昼までひと寝入りと思ったが大丈夫そうなので朝食終えたら行動開始。昨日の残りのパンにハムチーズ、オレンジ。下で水筒にcafe con lecheを入れてもらって来た。

 plaza Catalunaにあるbanco de espanaにゆくと、TC両替はやっていないと言われ、隣りのバンコへ。ここでも断られ、隣りのVizcayaへ行ってやっと200ドル替えることができた。

スーパーでシャンプー、ボディソープなど買い込んでMATASへ。新年の食糧は、夕方することに。

 隣りのシャンパン屋では相変わらずの繁盛ぶりで、お正月を祝うつもりかシャンパンをどっさり買い込んで行く人もいた。ボカディージョシャンパンで昼食。部屋で一服していると、たちまちのうちに約束の時間が迫ってきたので、急いでエイジェンシーへ向かう。

 

  今日はアパートの本契約の日だ。事務所に着くと、この間のようにmercedes嬢が、

”ヴァレ、ヴァレ!”と言って迎え入れてくれた。彼女は最初や別れの挨拶の時、また話しの

途中にも何度か”ヴァレ、ヴァレ!と言う。何だか意味は分からないが、”どうぞ”とか”どうも”

とかいう意味に聞こえる。また、わからぬ言葉の応酬で契約の話しを進めたが、今日はBermejoのおっさんも同席していたので比較的わかりやすく助かった。残金20000pesetas支払い。我々の住む部屋は6階ではなく、7階に替わった。理由は天井が汚れ、破損しているとの事。契約の後、鍵をもらい、アパートを見に行く。

  先日とは違って、歳のいった英語を少し解すじいさんが部屋を案内してくれた。部屋は

掃除されたあとなのか、きちんと片付き、風呂にはビニール製、ボンボン付きの真新しいバス

カーテン、シーツ、毛布カバー及びテーブルクロス、ナプキンまで揃えてあった。シーツは替えまであった。ふたりともひと安心した反面、意外にあっさり決まったので不思議な気がした。もうそろそろ陽も暮れかけてきたので、近くのスーパー・野菜屋で買い物をし、アパートに置かせてもらった。ここスペインでも正月の1、2日はたいていの店屋はcerrado(閉店)のため。2日分の最低限の食糧を確保した。

  San Jose(サンホセ)市場へは8日過ぎに行くことにしよう。とにかく、今日はよく動いた。疲れ切って喉も渇き、早くゆっくりしたいと思う。Metro近くのビールの旨い店にて駆けつけ一杯。早く飲み干したので、例の品の良い船長さんのようなマスターが目を丸くしてみせた。

  店が閉まるといけないので、まずシャンパン屋に行って当面必要な分のシャンパン3本、

太っちょ肉(サラミか)一本を購入。そのあと、RUZAFAへゆき、これで最後だからという口実のもと、Paellaを注文する。薫は頼み込んで調理場まで入れてもらい、写真を撮った。

驚いたことにここの調理場では、歳の若い青年が一人で切り盛りしているのだった。

 薫にたいそう感じよく、空手と写真に興味のある好青年であった。空手は黒帯、カメラは

最高級機種ニコンF2。F2はエフ・ドスと発音する。当たり前だが面白い。パエージャの下処理からの行程を一枚づつ写真に収めた。凝視していたせいか、この日のPAELLAはいつもよりも具が多く、量も一二割多く出来上がってきた。格別の味!ふうふう言いながら、美味しさを噛み締める。飲み物は水にしたら、1リットルの大瓶がどかんと来てしまったので、パエージャと水でポンポコリンの腹になった。

  薫が写真を撮るためキッチンに入っている時、又食事している最中、ひとりの落ちぶれた酔いどれが絡んできて、china,,chinaと言って馬鹿にしたことをほざいておったが、無視した。そのくせ、薫が近寄ってゆくと、鳴りを潜める。腕のひとつも掴んでやろうかと思ったが

店の人もこやつを止めていたのでやめた。

 

  MATASは部屋が暗いので、この店でcafe con lecheを頼み、日記書き。このところ忙しかったので、溜まってしまった。なるべく新鮮な感情の残っているうちに書き留めたいものだ。

 宿に戻り眠る。日本ではもう31 日の除夜の鐘も鳴り終わり、元旦の朝を迎えていることだろう。こちらにいると、年の暮れの盛り上がりは感じられない。

 

  追伸、この日、ユーレイルパスの期限が切れた。無くさずによくここまできたものだ。

ありがとう。ご苦労様。

レストランRUZAFAをひとり切り盛りしている青年コックはじつにすがすがしい人である。

ニコンF2を操り、海の写真を撮る。スキンダイビングも。

名前は、Jose Santiago  C  Corretera la Marina  n.156  5.  1a

Prat de Molregat   BARCELONA    屈強である。

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