7時半の目覚ましで目が開く。薫はまだふにゃふにゃと眠ったまま。まだ、外は暗い。顔を洗って身支度を整え、宿を出る。もう8時前だというに宿の人は起きていないようで、
したがって階段の電灯スイッチのありかも分からないまま真っ暗闇をふたりして
手探りで降りる。
隣のhuespedesのビルのおばちゃんはもう起きてこうこうと電気が点っているのに。
案の定、外は真っ暗。昨日の夜を歩いているようだ。しかし、時間のせいかさすがに
車や歩いている人の数は多い。空気はそれほど冷たくない。
急いで歩いているせいか、手袋をしてなくても十分暖かい。8時35分発のSEGOVIA行きに乗るため足早に歩く。いつものように横断歩道のない道を渡る時、またしてもくるみは遅れをとり
自動車がどんどん行き過ぎるのを待つことになった。日本と違って外国では俊敏さが必要だ。
マドリッド・アトーチャ駅近くの結構流行っているバールで朝食。トーストはやっていないので、カフェコンレッチェとパンひとつ。パンはどこでも柔らかくなく、カフェコンレッテェは珈琲が多すぎる。それは好みの問題だろ。どうもマドリッドでは旨いトスターダ、トーストを食べるのは叶わぬようだ。思うにバールでもその街その街のスタイルがあるらしい。
ミルク入り珈琲をガラスコップで出す街、珈琲カップで出す街、ボカディージョに使うパンを
2つに切ってトーストして出す街、ナイフとフォークを出してセルフサービスの街。色々。
思いの外時間がなくあせって駅までたどり着き、インフォメーション嬢に尋ねると、
outsideに行き、ステップを降りろと素っ気ない教え方。駅の一番端まで走り、人に聞いたが
あっち、と今来た方を指す。また駆け足。違う。
SEGOVIA行きの列車は、駅下のatocha apeadero駅から出ているのだった。もう
時計は35分を廻り諦めながらホームへ。ホームには通勤客が多く待っており、ちょうど
列車が入ってきたところだった。日本のラッシュアワーのようでいて、しかし皆は
あまり殺気だってはいない。諦めて次の電車を待とうとする人、乗る人も降りる人も
ゆっくりとしている。薫がちと押したら、ちっと舌打ちが聞こえた。
次の駅で皆通勤人は降りたようだった。気のせいか都会人は顔の筋肉が硬い。やっぱり余裕が
ないのかなあ。
電車は空いたというのに、あほ坊んたちが一昔前のビートルズ的音楽をうるさく
鳴らし、窓を開け放ってギャーギャー騒ぐので席を移る。
窓の外には雪が残っていたり、遠くに真っ白な雪山が見えたりして寒そうだが、天気はすこぶる良い。真っ黒な牛たちは何をするでもなく、行儀良く突っ立ったままである。
ここいらは山多く、天気がすぐ変わる。山の上低く垂れ込めた雲は、てっぺんから粉砂糖を散らしている。
まずいなあ、どんどん雲が厚くなってくる。
毛がぼうぼうに生えて,角の長いのは野牛か。RIO FRIOという工場が見える。寒川という
名前だろうが、どこでも同じような地名はあるものだ。
しかし、この間南に下る時見た、LOS HERMANOS(ふたり兄弟)というのは面白い。
もうそろそろSEGOVIAに着く。薫は子豚の丸焼きが食べられると、そればかり
楽しみにしている。昨日の夜はそのために髭まで剃ったのだった。到着。
豚を食ったぞー、Mesen Duqueで喰ったぞーー!
豚は半身のまま、頭と前足、後ろ足周辺に分かれて皿に盛られて登場した。
くるみは後ろ足。皮はこんがり狐色。(ぶたなのにきつねいろ)毛が5、6本ずつ
束になって生えていた。ボーイが銀盆に載せて運んでき、おのおのの皿に取り分けるのだ。
煮汁も一緒に。皮はパリッとしてあくまで堅く、ナイフでも切りにくい。
肉はささみのように柔らかく且あっさりとして美味。なんだか子豚の匂いがする。
この子豚さんは結構太っているので、なあーんだ、足かと思っても食べ甲斐がある。
ensaladと一緒に食べるとちょうどいい。
薫は途中で、くるみ、、あたま食う?と聞いてきた。あれほど部位を言うな!と言ったのに。薫自身、一瞬、これがあたまか、、と思い直して気味悪くなったらしい。それを伝達しようとした。
本に書いてある通り、子豚は目鼻立ちあくまではっきりと、耳までちゃんとついてある。
薫は、みみ、食べられるのかなあ、、と言ってパリッと折って口に含み、”おこげの味が
する、、と言った。そんなばかな、、。メニューの中の一皿ではあったが、やはりまともな
店で食べればまともで、しっかり子豚の風体で出てくるのが、なんだか流石である。
メニューはこの他に、crema de congrejo,vino,panがつく。
crema de congrejoは訳せば蟹のクリーム仕立てで、トマト色をした蟹とクリームのポタージュスープである。味はなかなか複雑で、成分をしかと名状し難い。旨い料理はみなそうである。簡単に成分を読み解けない。蟹の味がするようであり、トマトの味がするようでもあり、
塩辛くもなく、勿論甘くもなく、滋味ゆたかでコクのある味付けである。
薫は雑煮に似ていると言ったが、彼に言わせると、旨いものは何でも雑煮かお好み焼きになるので、あまり当てにならない。何か分からぬが、不思議な香辛料を手妻のように使って
いる模様である。
うーーん、さすがは高級屋さんは違うなあという思いを新たにさせる。味に
アクセントがあるのは食べているという実感が湧いていいものだ。
Ensaladはレタス、玉葱、トマトが載っかっていて、珍しくすでにドレッシングがかけてある。並あるいは安食堂だと、たいてい自分でオリーブオイルとヴィネガーを調合して
ドレッシングとする。すごいところだと、塩しか出てこない。
VINOは壺にたっぷり入っており、腰高のワイングラスに注ぐと爽やかな赤色をしている。
うーーんと旨いというのでもないが、余計な酸っぱさや甘味がなく、アルコール度もあり
まあまあ。これはいつも通り全部飲み干した。パンはうまそうな姿形をしている割に
ふつう。ボーイは慇懃で、実はティップの貰い先と割り切っているようにも見える。
helado,melocoto namelba、まあまあ。後ろのほうで、ツアー添乗員の、チップは50pesetasくらいと言う声が聞こえたが我々は勘定通り払うことにし、レジに向かう。
きっちり2200pesetas。何の文句も言われず店を出る。ここの店は旅行案内書に載っていた
2番目の店だったが、Maisonという名前と家庭料理を主にするという建前よりも
立派な店構えで、ただボーイが多く暇なためうろついていた。
店内の飾りはタラベラのほか、地方の皿が掛けられ、牛の角、昔のお札、古い写真など
所狭しと壁に飾られてあったが、いまいち取り止めがなく、田舎風な感じがする。
味はやはり、1番目皿のスープが最高。やはり、まともである。
豚のことに興奮して,話が前後してしまうが、SEGOVIAの駅についてからのことを記する。標識に従い、20分ほどかかってciudad centro(街の中心部)にゆく。
風ひどく冷たく、道ゆく人も少ない。マドリッドからずいぶん離れた気がする。
頭蓋骨が少しおおきくチャップリンに似たひげのおじさんに道を聞く。あっけなく
ローマ式水道橋に着いた。とりあえずinformacion de turismoにゆく。ここは
Segoviaのパンフレットだけでなく、スペイン各地のメインパンフレットも取り揃えている。
Cuenca,Toledo,ValenciaおよびSegoviaの各種パンフレット、ポスターを頂く。
案内嬢はクールだが、まともだった。
Alcazarに向かう。赤茶けた通りを歩いていると、急に前が開け、まさに
白雪姫でみた城が出現した。尖った三角の黒い塔と四角な建物が今まで見たごつい
アルカーサルとは違い、洒落てみえる。ぐるり囲いは何もないカスティーリャの高原で
一、二本地平線の方に道がうねっているのが見える。60pesetasで入場。
客少なく守衛のおっさん達はうろうろしていたが、スペインの客が来ると、活発に止めどなく
説明を始め、くるみがスケッチをしているのにも構わず、パチンと電灯を消す。
この守衛はモロッコ同様、案内してチップをもらうのだろうが、言葉が通じないと思って
近寄って来ない。モロッコ人なら言葉が通じなくても電灯を点けるためだけに付いてくる。
日本の団体客に出会し、説明をただ聞きする。なるほどと思うことも多い。
イザベラ女王の寝室のところで、ベッドが小さいのは当時のひとが小さかったためだろうが、
くの字に体を折り曲げて寝ていたという説もある。本当かなあ?我々がくっついているのを
心良からず思っている人もいただろうが、構わず付いて行った。
このあと、SEGOVIAを一望できる見晴らしのよい屋上に上がったが、団体さんは
何もないという風でさっさと引き揚げていった。
我々はTORRE,塔の真っ暗で急な螺旋階段を手探りで昇り、多分この城の中で
一番高い所から街を見下ろした。四角い建物の上に丸い筒状の塔が建っているように見えたのは、実は半分だけで、塔の上に上がり、裏から見ると断面になっており、雑草が生えていた。
白雪姫の城のとんがった屋根は、四角い鉄板を一枚ずつ葺いたものであることも
分かった。
荒涼としたカスティーリャの地を見はるかしてから階段を降りた。我々が来た時は
真っ暗闇であったのに、下からひとが上がって来た時は明かりが付いていた。
あっけなくALCAZARも見終え、本日の行程は終了。そして、先ほどの子豚へと
話しは続く。
そう言えば、先日トレドで列車を降りる時に会った日本人夫妻に今日も偶然会った。
黒いコートを着て眼鏡をかけた婦人は”よくお会いしますね、どこからいらしたん
ですか?”と声を掛けてきた。薫が、大阪からです。”と言うと、さも意外だという風に、
”あら、日本ですか、私たちはロンドンからまいりましたの。”と言った。この婦人の旦那は
髭もじゃで、優しそうな顔をし、コートのポケットに手をつっこんでいたが、役人だという事だった。我々が3ヶ月旅行していると言うと、さも驚いた風だったが、海外在住という
誇りは隠せないようだった。笑顔で別れる。
そして今、SEGOVIAの街と、天辺に雪の粉を被った山の見えるcafeでこれを
書いている。子豚の興奮は次第に醒めて来たが、vinoの酔いは未だ醒めきらない。
夕刻、5時40分SEGOVIA発の列車に乗るためにぶらぶら歩いて駅に向かう。往きに見た
肉屋のウインドウに寝そべっている子豚を撮る。この子豚があれになるのか。毛はきれいに
抜かれ(鼻のところは多少残っているにせよ)血抜きもされ静かに目を瞑り、真っ白い
蝋細工のようになっている。何度見てもひやっ、と思うが救いは眼を閉じていること。
これがポルトガルでよく見るウサギのように、皮を剥がれて真っ赤になり眼を剥いているので
なくて良かった。上から釘に引っ掛けて吊るされている子豚もいた。
駅前のスーパーでチョコレートを仕入れ、列車に乗り込む。
あたりはもう随分と暗く、広々と続くカスティーリャ平原の上には夜の濃いグレーの雲と、昼の名残りの赤みを帯びた空のだんだら模様が出来ていた。暗い雲にも赤いひかりが反射して
渦を巻いている。
夜8時近くマドリッド・アトーチャ駅に着いた。今日は昨日下調べした大中飯店へゆく。
随分と迷ったので着いたのは8時半ころだった。店内には客は誰もいない。背の高い
ベトナム青年のようなボーイが現れ、黙ってメニューを置いて行った。menu(300pesetas)を注文する。飲み物はvinoにしたのだが、小さい方のコップにぎりぎりまで注ぐと、瓶を持っていってしまった。薫は先ほどからこのボーイが無愛想なので、閉口している。
メインの酢豚を、肉にするか、魚にするか尋ねたのだが、先方は分かりにくかったようだ。
たしかに天井の高い広い店内にテーブルセットだけがにぎにぎしく、客はおらず、そこに
俯き加減の無愛想なボーイの靴音だけが響き渡っている、というのはあまり景気の良いものではない。ここを出たら飲み直そう。
スープ(四川風)はまずまず。胡瓜、人参、鶏肉、ピーマンの千切りが入っている。少し
酢も加えてあるか。メインは春巻き一本(卵、もやし)に酢豚とチャーハンの一皿。
春巻きはまあまあだが、酢豚はひどく甘い。チャーハンは薫には塩辛いが、くるみには普通に
感じられた。デザートはアイスクリーム。しかし、スープを飲んだときから、これは
馬徳里のほうが良かったと思ったが、やはり質量ともに馬徳里のほうがまさっていた。
600pesetaの勘定をしにレジへ歩くと、先ほどのボーイ青年ともうひとりのメガネの青年が
隅に置いたクリスマスツリーに一生懸命飾り付けをしている所だった。La Cuentaと言い
勘定書を持ってくるまで何を飾っているのかなと、ツリーに近寄ってみた。
西洋風のツリーには、西洋風の飾り玉などに混じって中国風の短冊が付けられていたので、もう少し眼を凝らしてみると、何とその下には中国の四角い提灯(絵が描いてありよく
店に明かりとして吊るされてある)のミニチュアがいくつもぶら下げられていた。薫は
背後からのぞいて、へえーっと声をあげる。made in chinaかと聞くと、そうだとうなずいた。
ツリーの下には、キリストとその他の登場人物のミニチュアが置かれているのも面白い。
しばし二人で感嘆していると、無愛想だったボーイ青年がニコッと笑った。この人は
きっと内向的で、おまけに言葉の障害があるため、無愛想に見えてしまったのかも
知れない。でも良かった、普通のひとで。Adios!と店を出る。
薫のお腹がイマイチ足らないので、昨夜のLas Bravasへ行き、ビール2杯、トルティーヤ
ひとつ取る。今日も結構混んでいる。相変わらず皆トルティーヤを食べている。136pesetas
きっちり小銭まで出して払ったら、おっさんは笑って、muy bien(very good)を4回繰り返し
た。闇夜の中、宿に戻る。
明日はマドリッドを集中して歩き、次の日Barcelonaへゆく予定。宿を変わるため4日分
3200pesetasの支払いを済ませた。最近、土産を買ったり、旨いもの屋へ行ったり豪華ホテルへ泊まったりで何かと散財したので、ここ二週間で15000円弱の赤字。もう少し引き締めなければならない。今日で日本を出てからちょうど3ヶ月になる。 おやすみなさい。