Palacio Guell(舞台装飾博物館)を見る 1月13日 木曜 日中暖かく晴れ

 今朝は9時定刻に起床。急ぎの朝食を済ませ、Metroにてウルキナオナへ。(urquinaona)

まず、一昨日の本屋に行き、カタラン語の本の取り替えを申し出る。

たまたま、おそらく社長の御曹司が居合わせたので、意外にすんなり話は通った。倉庫から何冊かの本を取り出して来て、そのうちのスペイン語版パスタの本を引き換えにもらった。この本はスペイン語とカタラン語の区別が外見ではつきにくい。表題が少し違うだけ(また、紙質も少々違うが)なので、間違いやすい。

話しを通した人がよかった。この一件で、ここはスペインではなく、カタルーニャ國である事を悟った。人々の会話でもカタラン語が話されて居るようだ。

 

  ランブラスを下って、Palacio Guell(舞台装飾博物館)に入る。装飾には大概、関心が湧かなかったが、二階の通り際の人形の部屋は、不思議な生命感が横溢して不気味だった。

 建築としては、意外にガウディ色が薄い気がする。素人だからかなあ。くるみは壁の

木彫りのスケッチをしていたので何も見られなかった。一見同じように見える木彫りは、実は

何種類かの図柄を交互に組み合わせており、中の構図も怪鳥や魚類、タツノオトシゴみたいな動物を組み合わせ、とても機知に富んでいる。こういうのは、刺繍してワッペンにでもしたら

結構いいのでは。

 

  監視員のお兄ちゃんにAMIGO GAUDIの場所を聴いたら、親切に紙に書き教えてくれたが、彼もまたBarcelonaのあのMAP BOOKを持っていた。交通公社のポケットガイドには、ここにアミーゴ事務所があると書いてあったが、また違っていた。引っ越したのかなあ。

 

  昼も近いので、レストラン探しをする。昨夜、薫がもらった鋭いマップにてCatalan Cookingの店をピックアップして地図で確認しておいたので、端から当たる。

以下その内容。

 

  * Quintana通り5番  Culleretes/ menu  800pesetas

               1700年代からやっていると看板に掲げた由緒ある店らしく

              高級店であった。

 

                                             Les Quatre Barres /  menu 800pesetas

               おばちゃんが外に顔を出し、誰かと立ち話していたが、戸を

              ばたんと閉めたところ。この通りはビルとビルの谷間という感

              じの狭い道で、昼間から娼婦ふたりが獲物を狙っていた。こん

              なところに伝統的なレストランがふたつもあるなんて面白い。

              そう云えば、パエージャで有名な名店、カラコレスもそうだけ

              ど。この二店はドアの他、窓もないので店内の様子はまるで分

              からない。頼りになるのは店の前に張り出してあるメニューの

              紙一枚。何とは無しに避けた。

  次に、カラコレスのあるEscudellers通りを抜けて。

 

  *C D,Avinyo通り 39番    O ,Pineiro 気に止まらなかったので止す。

 

  *Carrer Ample 16番  La Siesta   廃業したらしい。

 

  * Gignas通り 16番  Agut(アグット) menuはあったが、あまりに小さい文字に

              て記載。

              値段もわからず。店の造りも新しく、清潔そうで我々が入ろうとしたら、まだコックさんたちが昼食をとっていることころだった。開店は1時より。感じよし。sopaは120pesetasぐらいから。carne(肉)は300から600pesetas。pescado(魚)は

230〜600程度。入店候補選手として頭に刻む。Agutがあく1時には間があるので他店の調査にVila Vilaにゆく。

 

  * Vila Vila 53番 Casa Jaime    結局、ここで我々が食べることになる。menu400

 

  我々が入ったCasa Jaimeでも開店したばかりというところで、店員の一人は掃除、他の

いく人かの人々(家族の人たちのようだ)は食事をしているところで、家庭料理を出してくれそうな反面、少し地味で体質が古そうな気がした。menu400pesetasを注文。

薫はsopa de pescado, callos con garbandos,macedonia frutta,vino.

くるみは、macarrones,sepia mungaressa,helado chocolate,vino.

 

 sopa de pescadoは白身魚がそっくり返るほどプリッと煮てあり、チビ蛸が1匹混入しているトマト風味スープ。一見、sopa de mariscos。何処かの市場で嗅いだような香辛料入り。

 

macarronesは豚のいいとこ肉と、太っちょ肉で出しをとった薄味上品風。油多く使用。

 

callos con garbanzosは、くるみが思っていた通り、頭の尖った黄色い豆と、何かの臓物の煮込みであった。薄味トマト風味。白くてぶよっとした臓物にさすがの薫も参った、参った。くるみも手伝って、残したのは2切れだけだったが。これからcallosは避けよう。おっさんは

muy bienと言ったのに。市場でもこういう臓物だけを扱う店があるところを見ると、これが

catalan cookingの代表作かもしれぬ。沢山のガルバンソ豆を残さずに食べた薫は今おならばかりしている。まめと芋にも困ったもんだ。

 

sepia mungaresaはチビイカのトマト味煮込みで、なぜかチビイカはふくらんでタコのように

見えたが、味はまあまあ。玉ねぎを炒めたものと煮込んだらしく断片が残って居る。ちらしパセリもなかなか効果的。味濃し。

 

macedoniaは赤い液体に漬けてあった。ブランディにしては甘いし、ラム酒か。melocotaは

入っていず。

 

heladoは近所で買ってきたようで、カップにてお出まし。書くことなし。

 

panとvinoはなかなか旨し。ここのパンはふっくらしっとり、外は煎餅のように固くパリッとしている。vinoは味にコクが有りなかなか。樽詰めのものを瓶に入れて出して居るようで、瓶にはラベルがなかった。これでいいのだ。

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レジで800pesetas払って、ティップ置かず。レジのおじさんはそれでも感じ良し。

 

このあと、コロンブスの立って居るMonument a Colon北の小さな公園で一服。1月だというのに、ポカポカとして非常に暖かい。ブランコに乗ったりして休む。右手で乞食も日向ぼっこ

をしていた。乞食も太陽が好きなのだなあ。鳩が数羽舞い降りていて、せわしく歩き回っていた。薫が、脚が短いなあ!と叫んだ鳩はあわれにも足首から先がなく、先が団子様になって歩いていた。片足には一二本指があるのだが。見ていたら、皆のように餌にありつけぬ分、絶えず残り物を物色してあちこち歩き回っているようだった。痛そうだ。

今一羽の鳩は、この暖かい気候のせいか、さかりがついたらしく、尾を地面につけ、激しく広げて、雌の鳩を追いかけ回していた。が、ついに嫌われて飛び立たれてしまった。それでもしつこく追いかけていたが、そのうち諦めて又舞い戻ってきた。こいつは忙しなく地面を突ついたり、また誰かを追おうとしていたが、周りは雄の鳩ばかりだったようだ。

その他、太って動きの鈍いのや、機敏そうなのや色々屯していた。

ずっーと見ていると、首を突き出す反動で脚を運んでいる鳥の動作というのは、オモチャのようでもあり、ひと時代前の8ミリカメラのようでもある。

陽の光りで首の辺りの羽が七色に光って見えるのがリアルで、よくこんなもんを食べるもんだなと、西洋人の味覚に感心したりもした。

 

  しばらく休んだのち、IBERIA航空が開くまで、EL corte Inglesで暇つぶし。カーテンレースは良いのがあったが、700pesetas近くで結構高し。インディアの刺繍タペストリーは面白いが、すごく高い。

  テレビでは、日本に原爆を落とすところをやっていた。(テレビはSANYO製)落ちた後、アメリカの群衆が沸き立ち、若者が恋人と手を取って路上でダンスを踊ったりしていた。ビルディングには、”日本降伏”と報じられていた。原爆を積んだ飛行士の顔を映していたが、あれは嘘フィルムだろうか。映画のように数10センチのところから顔を映していた。

 

  その他、台所用品、中国景徳鎮の陶器小物を見た。小さい皿か盃を買おうと思ったが、

重ねた底が当たってかなり傷がいっていたので、止した。薄い黄色と牡丹色と青みがかった

薄い緑色の3色が仲々よかったが。薫がトイレに行きたい為、気が立ってくるみに当たったため、けんかになった。

 

  とにかく、IBERIA航空までくるみを引きずっていった。終始無言。4時開業を待って

タイムテーブルのことを尋ねる。しばらくはPIAのを受け付けていいか相談していたが、OKになり、時間を調べてくれた。電話で聞いた時間とは少し食い違い、言葉のやりとりがあった。

このおばちゃんは、Marchをスペイン語のMayoと、取り違えて少し混乱した。4月からは時刻が変わるという。それに、"decide"のことを、”ディスイダイ”と言うので、分からなくて困った。

 結局、およそ聞いた後、自分らで分厚い国際便時刻表をめくることにした。ソファにて必要

項目を写しとる。しかし、また新しい案も浮かんだので、頭を冷やして考えるために、次回を予約することにした。

 

  ここを出て、CatalunaのTurist Officeにゆく途中、金物専門店に立ち寄る。

店でボーイが使っているようなワイン抜きを見たが、物はしっかりしているが365pesetasと意外に高いのと、はじっこのメッキが剥げていたので、止めた。水切りもかなり高い。信用商売の高物屋さんと見た。

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  CatalunaのTurist officeは、Valencia,279にある。モダーンな建物で、ここ全部が

Cataluna関係(情報、宣伝?)の仕事をしているようだった。守衛のおじさんに聞いて

エレベータにて最上階に上がる。例の大胆なポスターや、雰囲気のある地図などが所狭しと

貼られていて、ここを(エレベータを降りた所)中心として、また中二階、中地下になって

部屋へと繋がっている。階によっての断絶を避けるためか、皆の動きやすい構造になっているようで、その通り、皆は忙しく立ち働いていたのだった。

  中地下では、青色の上っぱりを着たおじさんが、ポスターを次々に丸めて筒に入れる作業をしていた。この前の壁や、奥に続く壁いっぱいにカタルーニャのポスターが張り巡らされていた。

  まず、ひとりの女性を捕まえて、Monserrat への道順を尋ねたあと、Toni Vidalのポスターが欲しいと云うと、ほかの女性を連れて来た。多分、ディレクターのような親方職に見えた。彼女は、Toni  Vidalと云いながら、興味あり気に現れた。

  我々がもう一度、Toni Vidalのポスターが欲しい❗️彼が好きだ❣️と云うと、彼を知っているのか?と、たどたどしい英語で聞いて来た。ガウディのポスターで見たのだ、と云い

2枚お願いした。

  さすが、並でないポスターを作っているだけあって、Toni Vidalと名指しで頼んでのが

嬉しかったのか、非常な好意を示してくれた。薫が、彼はスペインで有名なのか、と尋ねると、少し詰まったが、おそらくまあまあだが、これからはもっと有名になるだろう、と云う

口振りだった。又、彼はとてもシャイな人なのだそうだ。歳は40才と云う事だった。どうも

会わせると、ファンとして興醒めするとでも思うのか、日本語が話せないなどと言っていたが、Adressと、Telephone numberを教えてくれた。

 

  ポスターはガウディ公園、パルケグエルの色タイルを撮った最良のもの、建築物を下から

見上げて斜めに入れたもの、石段の下から見上げるように建物を撮ったもの、それぞれ2枚ずつ持って来てくれた。

 

  この人の作品は、人間の眼で見たものの自然さを突き詰めたようで、視線が常に上向き、つまり眼の高さである。ちょうど、建物が初めて眼にはいった時の新鮮さ、驚きが表されているようである。

  この中には、欲しいと思っていたカタルーニャのデルタのポスターはなかったので再度

絵を描いて説明。やっと、2枚持って来てくれた。凄くいい。

2人で、"Esto  !Esto! "と叫んだ。親分の女性も、子分の女性も異常なまでに親切で、飛行機で帰るのか、と聞き、分厚い頑丈なボール紙で出来たポスター大の筒もくれた。その他、次から次へと色んなパンフレット、バルセロナの鋭いマップ、最後には、盛り沢山の写真が入った

カタルーニャの本まで持ち出して来た。この時は、流石にボスもふうーんという感じでパラパラとページを繰っていたが。結局、全て頂いた。

 

  いつまで滞在するのか、と聞かれて薫が答えあぐねているうちに、くるみが

2ヶ月!と答えてしまった。来月、Toni VidalのExhibition がモンジュイックの

Joan Miro、ジョアン ミロの会館で開かれることも教えてくれた。

 

  先の質問の、Monserrat への行き方は、こうした話しの合間を縫って、子分が書物を調べ、、電話を掛け探してくれたので、バスの乗り場が分かった。よい旅を!と言われ、押してくれたエレベーターに乗って振り返ると、もう2人とも階下に降りて居なかった。気持ち良く

守衛に挨拶し、ドアをおす。室内のインテリアは、京都のアメリカンセンターのように洗練され、進んだ感じを受けるが、人の感じはあれほど有閑な感じはなく、もっとプロフェッショナルな機敏さに溢れている。とても他のインフォメーションセンターの及ぶ処ではない。

 

  情報センターという気配。実際、カタルーニャ独立運動があると聞くから、その宣伝に

力を入れるここは、少しくらい政治色を帯びているのだろう。見えない根っこがあるような気がする。

 

  憶測はさておき、ミニマップといい、ポスターといい、鋭い処は鋭いものを作るなあ。

ダサいところはダサいものばかり作る。何故かここは女性が多かったが、どうしてだろうか。

 

 

  Metro でAlfonso Xを降りて、思い出して道路高架をくぐり、右手の坂を登ったところの

酒屋に、巨大な安VINOを探しに行った。ちょうど、ボンベからバキュームカーのようなホースでゴソゴソしているところだった。声を掛けると、ど近眼の牛乳瓶底の眼鏡を掛けたおばちゃんが出て来たので、少したじろいだ。が、そばに置いてあった持ち手付きビニールカゴ付き

大瓶を指すと、ああ、と言うように、ボテラ グランデを持って来て見せた。値段は、

liquid  150pesetas、bottela. 200pesetasで、bottelaを返すと、200pesetas戻ってくる仕組みである。ホースで入れているVino  Blanco 、白ワインを少し味見させてくれた。

4リットル入りだと言う。2人で大喜びして買って帰った。薫は、ホースで入れている写真まで撮った。そして、アパート入り口で、髭のお兄さんに、“ bueno y Barato"と勢いよく叫んだ。部屋に戻り、早速、試飲。さっぱりした辛口でバターのような味や、変にアルコールキツさの無い、至極まともなVinoだった。良かった、良かった。しかし、今まで買ったVinoが6本

もっと早く見つけたかったなあ。これで毎日、ビクビクせずに呑める。

  ポスターはきちんと巻いて、それぞれ筒に納め直した。落ち着いて見ても、仲々のものだ。

 

  夕食は残飯整理という事で、昨夜作り置きの、sopa Vichyssoise、ジャガイモ、プエロ入りクリームスープ、団子のように固くなったスパゲティとミートソース、残ってたチコリとトマト一個のサラダを食す。

  Vichyssoise はもう少しプエロ(スペインの長葱)を入れた方がいいか…生クリームを入れればもっとコクが出ると思うが。

自家製スパゲッティはまるで水を吸わぬため、いつまでも固い。今度は油を減らしてみて、それでダメなら練り方を考えるしかない。Vino はあっさりした分だけ、渋みが補っているようでバランスが取れているのかも知れなく、薫好みの普段着Vinoである。やっぱり、安くて旨いVinoはあった。隠れておってからに、このこの。

  歯を磨いてもう少し用を足してから寝るとしようか。午前3時前かなぁ。くるみはこれから、Palacio Guellで見た絵をかかねばならない。え〜ん。誰も強制してないのになぁ(薫)。

 

  追記

  ❶  プラカ レアルに入るところに薬屋を見つけた。ちょうど、車からたくさんの

香り漂う香辛料らしきものを下ろして運んでいくところだったので、尾けていって見つけた。

中は凄い香辛料の匂いが立ち込めており、正面ガラスケースの上には、器に盛られた粉状の

香辛料がいくつも並べられていた。顔色の浅黒いアラブ風の女性が買いに来ていた。

 我々がcurry にする香辛料なのか、と店員に尋ねても、ノー、と言うだけだった。どうも通じていなかった節がある。他には、日本の磯自慢(海苔佃煮の)や、昆布茶が高麗人参などと一緒にウインドウの中に麗々しく飾られていた。

 

  ❷

  もうひとつ、この近くのプラカレアルで、日本人青年を見かけたが、何故わかったかと言うと、手に真新しい本、地球の歩き方を持っていたからだ。ホントに見る人見る人皆、地球の歩き方を持っている。こんなしょうもない情報しか載っていないのに、皆頼りにして居るのは、

ほかにこの類いの本が出版されていないからだろう。又、在ってももっと水準が低いのだろう。

これは十分に参入の余地があるのではないか。帰ったら、K氏に教えてあげようっと。

 

  ❸

  あちこちの唐草模様を写しているうちに、だんだん構図が分かって来たような気がする。

まず、全体の構図、大きな線の流れがあり、そこに動植物を嵌め込み、空間をうまく植物で

補っている。これを立体的に見えるよう、交差させているのである。木彫りのようなものは、これがことさら複雑で、ひとつの模様にも高低、凹凸があるので、難しく見える。

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Place Guell室内の木彫り模写図