最高のホテル アルハンブラパレスホテルへ泊まる

 ここの宿は値段もまあまあで、おばさんの感じも悪くないのだが、どうもそれだけでこれといった取り柄がないので、移る事にする。もう少し長く泊まって欲しそうだったが。

荷物を背負い、今起きたばかりといった感じのおばさんに金を払う。

お釣りはちゃんと300ペセタ返って来た。ドアの隙間からは日本人の土産らしき金の扇と風鈴が飾ってあった。宿を出て小便臭い路地を引き返した。

カフェで、cafe con lecheと、tostada y pastoryを食す。

 

  そのあと、アルハンブラ宮殿沿いの坂道を登っていよいよアルハンブラパレスホテルに向かう。

  Hotel Alhambra Palaceへの坂道は急で、イスラム式に縦深に埋め込まれた石畳の歩道がついており、今朝方降ったばかりの雨に濡れてつるつると滑る。横の溝には上方から勢いよく雨水が走っている。道の脇には樹林が広がっており、朝の冷気が残っている。

箕面の滝に登る坂道をもう少し大きく整然とさせた佇まい。

 

  教えられたとおりに噴水が見えた最初の角で右に曲がると、突如目の前に赤い建物が立っていた。これがかのアルハンブラパレスホテルか。何カ国かの国旗が掲げてあるので、ドアボーイが居るところだと困る、と目を走らせる。薫が叫ぶ。”おーい、ドアボーイいないぞ!”

自分で大きなドアを押して侵入する。

レセプションにいた支配人は我々がバックパックを背負って、スーパーマーケットのビニール袋を下げて入って来たのを見て、一瞬驚いた顔をしたが、少し間があり、部屋があると、答えた。

幾らかと尋ねると、4200ペセタに4%税がつくと言う。

すぐさま、薫がホテルリストの冬季価格を指差し、3360ペセタと出ているという。

支配人は別室に一旦入った後、オーケーした。朝食なしで、一泊を決める。

パスポートを出したりサインしたりしている間に、下に置かれたビニール袋を持った手がすうっと見えた。まずい、ティップが無いと思ったが、そこは押さえて鍵をもったそのベルボーイのあとについてエレベーターに乗る。

ベルボーイといっても、もう相当に歳を食ったおじさんに見えた、薫にはしっかりした壮年にみえた。

 

  このボーイは薫のバックパックを躊躇しながら持とうとしたが、no,thank youと断った。

結局、きたないビニール袋ふたつだけをさげることになってしまった。

 

  なんとこのホテルには、エレベーターがあるのだった。ボーイにドアを開けられ(こんなの始めて)鷹揚にバックパックを背負ったふたりが乗り込む。

  部屋は二階にあり、いつも泊まっている部屋くらいの幅の廊下が、かけっこが出来そうなくらい長く伸びている。エレベーターを降りて左手の、正面玄関の方を向いた窓の大きな部屋だった。

  ボーイは部屋に入ると、おもむろに日除けをひき、サービスしてくれたのだが、くるみは

気が気でなかった。部屋を出てゆくボーイに25ペセタ銀貨を渡すと黙ってにこやかに受け取りすみやかに出て行った。thank youと言ってさりげなく渡した。

  さすがに伝統ある大ホテルだけあって、どこだかのホテルのようにティップ欲しげにたちすくんだりすることもなく、受け取り方もスムーズである。

ボーイが出て行ったあと、急いでスペインの本を出してチップの項を読む。ベルボーイには荷物一個につき、25から50ペセタと書いてあったので、適切な処置であったと喜ぶ。

 

  部屋は20畳くらいの広さで作りつけの洋服ダンス(クローゼット)と大きな鏡のついたライティングデスク、人の背ほどもある大きなスタンド、豪華なベルベット張りの椅子1脚にくすんだ木製の丸テーブルひとつ。

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ベッドはセミダブルがふたつどーんと置いてあり、ベッドサイドのチェストの天板は大理石である。灯りは、先のフロアースタンドの他に、ベッドヘッド上に、ひとつずつ摺ガラス模様の間接照明、大きな鏡の横には凝ったデザインのアラビアンなランプ。上部はピンク色にぼかしてあり、花弁のようにうねりエレガント。

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 絨毯はうすいえんじ色に、同系の朱色の模様。モロッコで見かけた絨毯の色合いに似ているが、柄がもう少しモダーンだ。イスラム起源で、ヨーロッパの洗練を取り入れたといったところ。

  ベッドカバーは絹のサテンで、くすんだサーモンピンクの地に金糸でしぶく模様が入っており、枕の横、ベッド脇の垂れる部分は、みなひだひだ(ドレープ)が寄せてある。

スプリングもしっかりしている。しっかり感がうれしい。ベッドヘッド上には、上品な額が掛かっている。勿論、電話もある。

ちなみに、ドアは、ロッカーの引き戸も、くすんだ木目の焦げ茶色のもの。バスルームも広くて4畳半は十分ある。取り立てて豪華にはしていないが、清潔に保たれており、湯も熱いのが割と即座に出る。洗面器まで大きい。石鹸も我々の買った上等石鹸(magno)の小さいのが2個ついた他、高級げなバスバブルがひとつ。顔拭きタオルとバスタオルが各2枚。

足拭き一枚水色のホテル名刺繍入り。

便座と蓋は、木で出来ており、白ペンキで塗ってある。丸い木の椅子も置いてある。

  何もかもが珍しく、きちんとして由緒あるホテルらしいので、ふたりでわあわあ叫びながらも、汚れないうちに写真に収める。

エアコンディションもついているので、部屋の中が快適温度に保たれている。

机の上にあった便箋と封筒(ホテル名入り)を上品すぎるので証拠品として没収する。

ふたりして裸足で歩き回る。

 

  あまりに自分たちは部屋に引き比べむさくるしいので、くるみは顔を洗い、紅をひき、薫は髭をそり、半袖の上に毛糸のセーターをカッコ良いつもりで、出稼ぎのおばさんよろしく、ださく首にしばりつけて、鏡の前を行ったり来たりして自分の姿を写していた。

 あんまりみっともないので、くるみが注意。”ちょっと薫ちゃん。今は冬でみんな毛皮のコート着て歩いてるんよ。半袖なんておかしいよ。それにその色あせたように見えるし。”

  薫は不思議そうな顔をして、”そうお?キレイだけどなあ”と、首を傾げた。

セーターを無造作に巻きつけているのが、ナウいのであって、それに長袖シャツに薄手のセーターならわかるが、色あせた夏物の半袖シャツに冬物の分厚い毛糸のセーターをしっかりと月光仮面のように首にまとわりつかせている人は見たことがない。正装の場合、あらがなかなか目立ちにくく、誰でも似合うことが多いが、少しくずして粋に着こなすのは難しい。へたを打つと野暮になる。

シャツのボタンを2.3個はずして、胸をはだける時もそのはだけ方が問題で、衣紋が抜けたりすると、オカマになる。と言う訳で、薫は元の服装に戻った。

うれしさを満喫した後、アルハンブラへゆく。

門に着くと、団体客がバスで乗り付けたところだった。一緒に雪崩れ込む。チケットは一人200ペセタと高いが、四箇所に分かれていて、かなり見所は多い。

  壁面の模様はこれまでに見たイスラム建築の中で最も面白みがある。一見、反復しているようで、実は違った風にアレンジされており、バッハのようだ。これまで見て来た模様とは違うものも多く見られた。

 一口に言うと、模様が創造的に、粋を尽くされている。これだけの模様で埋め尽くすには

巨大な哲学的頭脳と、優れた技術、莫大な財力が必要だったろう。いくつかの模様をくるみがスケッチで採集する。

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アルハンブラパレスの壁面彫刻

  窓からのグラナダ の景色がよいとか、庭の12頭のライオンが猫に似ているとかは、いくつかの本を読めばわかるので省略。

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  ある暗い石造りのプラネタリウム型の部屋では、係員のおじさんが西洋人に壁に耳をつけるようにガイドしていた。どうも向かい合った壁面にぽこっと空いた穴に耳をつけると、お互いの声をやりとり出来るようだった。糸電話の要領で試してみる。大きな声だと意外に聞き取りにくいが、小さな声で口元を近づけて話すと、結構はっきり聞き取れる。

向かい合った穴がおそらく天井を経る1本の細い空間で結ばれているのだろう。

 

  スペインに留学しているという日本人に会う。香港人のような二人連れだった。少し話して別れ、庭を通り、ヘネラリーフェ庭園にゆく。

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ヘネラリーフェ庭園

谷越しに見ると、樹々が長方形の形をしていくつも並んでいるのがお墓のように見えた。近づいて見ると、植物棚をつくるレンガの柱を、植栽した木々で隠したものだった。この庭では、この糸杉やらなんやらを壁や塀に見立てて戸口の格好にくり抜いたり、凹みを作ったりして木陰を生み出し、圧迫感のない不思議な空間を生み出している。この中に迷い込むと、不思議の国のアリスになったようだ。

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アルハンブラパレスから見下ろす風景

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楽しい迷宮。高度の高い土地にこれらが作られていることも関係している。

こうして、糸杉を立方体に植栽しているのは、植物の抽象化だと、言ってみたくなる。

 

  この頃になると、もう腹がとことん減ってしまって見る気力を相当減退している。

もう、3時である。昼を食べていない。アルカサバにでんをついて、早々にこの一帯をのがれ、街に下りる。食い物屋などどの店も昼休みの真っ最中。例のnuevo restaurantは、4時まで営業していることをこの時知った。

やはり、食いあぶれた人たちか、カウンターにずらっと並んで食べている人の他、うしろにも待っている客が多い。たいした盛況だ。しばらく待つと、波引くように人が減り、坐って食べることが出来た。

  plato combinato セットメニューのno.13とno.14を頼む。今日はパエージャがあるらしく、皆食べている。パエージャは事前に作ってはあるが、ほくほくとして味付けも加減よく

型抜きされてレモンがついて出てくる。大きな鶏肉の塊がふたつほど混入している。うれしい。ここで分かったことだが、パエージャとは、魚貝入り炊き込みごはんだけを言うのではなく、日本における五目寿司のごとく簡単な具が入っているだけで、サフラン色をしているだけで、一応それと認められるらしい。バレンシア風とは、鶏肉入りパエージャを指しているようだ。

 やはり、日本の五目寿司、ばら寿司のように本来は祭りの時の食べ物で、皆の好物のようだ。サフランさえ安く入手できれば、日本でも大衆的に作る事が出来よう。

日本のスペイン料理屋で食べるパエージャはどれも豪華に魚貝類が盛られているようだが、

やはりスペインだって海老やいかが沢山獲れるとはいえ、皆毎日のようにたらふく食べているわけでは無い。海老も日本より安いとはいえ、やはり高級品であるのだから。薫はうっかりして、ポテトサラダにハムが5枚並べられた皿が来てしまった。くるみのポテトクリームコロッケ2個と交換。ここのプリンも美味しそうだが、plato combinadoの人は食べる事が出来ない。又、フルーツサラダを頼む。腹を抱えてホテルに戻る。

 

  たまった洗濯物は夕食後のことにして、モロッコ仕入れた皮のスツールを開けて見る。部屋がいいせいか、3つ置いたら仲々の迫力だった。最初のラクダのもまた違う趣で、原始的な魅力がある。ほくそ笑む。これからの運び方詰め方を考え仕舞い込んでいると、急に急に

ガチャガチャと鍵の音がして誰かが細くドアを開けた。ペルデュンと小さな女の声がしてすぐ

閉まる。いやだな、と思ったがそのまま荷造りを続ける。今の時間にベッドメーキングでもないだろうに。もしも夕食に出ている間に何物かでも盗まれたら嫌なので、しっかり仕舞い込んでいた。

  しばらくすると、今度は小さなノックの音が聞こえ、誰と?問い返すと、nada,nada,何でもない、何でもない、と言うあわてた女の声が聞こえ、足早に遠のいて行った。

一流ホテルだから危ないぞ、と思い完璧に荷物を詰め、なぜか皮スツールの包みもベッドの下に隠した。

 

  夜9時過ぎ夕食のために街に下りる。小雨。近道を発見したので、つるつるに濡れた石畳の坂道を下ってゆく。昼飯が遅かったせいか、二人とも腹がもたれている。

Barでつまみにタパスでも取り、ビールでも飲もうと昨日の小太りのおじさんに教えてもらった店に入る。ここは高級屋さんらしく、ビールは一杯30ペセタと相場だが、つまみが恐ろしく

高い。一杯ずつ飲んだだけで、恐れて店を出る。ここの付き出しは、しらすのような小さな魚に小麦粉を付けて揚げ、みじん切りのトマトと少々のピーマンを加えて、オリーブオイルとビネガーで和えたもの。これが小皿に盛られて出てくる。旨いので記憶しておく。

今晩は何か訳でもあるのか、時間が遅すぎるのかBarの空いているところが少ない。

狭い石畳を入っていった右側に、bodega酒蔵があったので入って見る。樽ならぬ大きな鉄製の甕が三つ、でんでんと並んでおり、もう店じまいか、ばあさんが床を掃除したり、テーブルを片付けたりしていた。店の入り口近くには、酔っ払いが椅子に腰掛けたまま、居眠りしており、我々の他には若い3人連れがいた。

  白ワイン、vino biancoを頼む。一杯15ペセタ。至極あっさりしているが、少々変わった

風味である。

  ホテルに帰る途中の坂道の登り口にあるBarに入り、vino tinto赤ワインを頼む。つまみに青オリーブ。隣が食べていた海老が旨そうなので頼んだが、もうおしまいだった。代わりにソーセージをハサミでちょん切り、網で焼いた一見明太子のようなものが出て来た。結構イケるので薫がもっと食べたいと言う。注文すると、おばさんはホースのように長い(35センチくらい)ソーセージを見せ、又ハサミでチョキチョキ切り、焼いて山盛りにして出してくれた。この店にはカラーテレビがあり、客も主人も一緒になって見入っている。アメリカのドラマを吹き替えたものらしかった。アメリカ人らしきのが、mananaとかスペイン語を話すので面白い。

  勘定をしようとすると、おばさんが自信ありげに間違えて、vino5杯のところ、4杯と計算して、先に釣りをカウンターに置いた。我々は訝しみ、おっさんも変な顔をして首を振っていたが、言われた通りの金を置いてホテルに戻った。

 

  部屋は出た時のままで何者にも荒らされた風はなく安心した。くるみが先に風呂に入り、洗濯をして眠ることにする。風呂はなんと熱い湯がふんだんに出て快適。

くるみが洗濯を終えた頃には、もう薫は阿呆のように寝入っていた。

後片付けをして午前2時頃、日記を書き終え、部屋の点検をして、ひとり消灯。

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