11月 29日 アリ地獄ベッドの一夜 モロッコ2日目

 今日は実父、利男の誕生日だ。よく喧嘩もし、こちらから一方的に反抗的でもあった。そのくせ、少しは居所を伝えたのだろう。ホテルか、アパートに手紙を

くれたことは幾度かあった。手紙だから伝えられることもある。それはさておき。

 

  昨夜の寝にくさと言ったら、形容のしようがない。ダブルベッドの真ん中が極端にへこみ、

ふたりはアリ地獄の底に引き摺り込まれるのだ。

身体は傾いたままだし、相手と肩がぶつかる。加えてシーツが湿っているせいか、身体が

びっしりと冷える。朝は5時半に起きなければならないのと、これらの悪条件が重なって

何度も寝返りを打ち、眼を覚ました。

 

  時間が経つほどに身体の疲労が溜まり、窮屈で肩が痛くなった。

湿ったシーツ、アリ地獄ベッドには、注意‼️教訓をひとつ得た。

安宿ではダブルベッドの部屋に泊まるな❗️だ。思い出したが、夜中にモロッコ人だかが、

人とは思えぬ奇怪な声を発しながら、行ったり来たりしているようだった。

ドアを叩きながら歌っているようでもあり、叫んでいるようでもあった。

まぁ、これは大したことではない。

 

  ぎりぎりで6時10分発の列車に間に合う。改札では、チケットの釣り銭をねだるじいさんが

奇怪な顔をして立っていた。予想外に客が少なく、コンパートメントの一室を占める。

灰皿、テーブル、額だか鏡だかは全て分解され、或いは破壊されて無くなっている。

反対側の、つまり扉を出た外の窓は、時間が経つとずれてくる。

 

  走り出してまもなく大便に行ったが、いくつかのトイレを見ても便器の底がぶち割られている。

ドアの鍵が掛からないのも多い。

トイレットペーパー、手拭きは一切無くなっている。

ともかく、鍵のかかるものを見つけて入る、しかない。

ただし、便器からは線路の石ころが飛び去るのが垣間見える。いっそ、すがすがしい。

 

  まだ、夜は完全に明けてはおらず、東のゆるやかな丘の方からしだいに明るくなり始める。

駅に着くと、その暗がりの中にフード付きのコートを着た奇妙なあたまがいくつも立ち並び

不気味に思える。フードの先っちょがとがって居るのも又一興のあるぶきみさだ。

 

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SOUK EL ARBA 駅舎

 

  あまりたくさんの人が居ないのに、あーあー、ガーガーと大声で叫びながら乗り込んでくる。

駅に止まる都度にそんな騒音が飛び交う。だんだん慣れてきた。山羊を肩に乗せて

乗り込んでくるのも居る。

駅の他、何もない原っぱの土手の方から畑など踏み分けて列車に乗り込んでくる人もいた。

 

  駅と駅の間の風景は、ただゆるやかな砂山の様な形の山と、水たまり。

しかし、大抵は草も短く刈り取られ、うねうねと曲がってはいるが、農作物も植えられていたりして

意外に開墾されているところが多い。

 

  空が明るくなってくるにつれてよく見えてきたが、平たい餅を繋いだようなサボテンを

垣根の代わりに生やしているのが面白い。ずいぶんと大きく育ち、ふつうの木ぐらいの高さになっている。有刺鉄線の代わりをするものかは。

およそ予定ぐらいに乗り換えの、SIDIKACEM 駅に着く。

少し裕福そうなモロッコ人らしき家族に聞き、FES方面の列車に乗り込んでだ。

  この列車は結構混んでいる。

あるコンパートメントに足を踏み入れるなり、左手の老人から膿の臭いがぷんと鼻をついたので

あわてて部屋を出た。

軍人と、右目のずいぶんとひろがったおばさんの坐るコンパートメントに入る。

ぼんやりと廊下を歩く人を見ていると、鼻の窪んだ人や顔に傷のある人が多いように思った。

 

  途中の駅からまたしても我れ先にと頭巾すがたの人びとが乗り込んできた。

薫は風邪と下痢のため、疲れて風景を見たり、眼を閉じたりしていた。

くるみの横にはいつのまにか頭巾姿の男が坐り、何かくるみに教えていた。ずいぶんペラペラ英語を

しゃべり、もたれかかってるなあと思うと、ツーリストオフィスがどうのこうの言っている。

  相変わらず紙に字を書いておそらくアラビア語のお勉強をやっているので又金をせびられるかもしれないと伝えた。

いい加減にしろよ。商売なんじゃないか。と言った。

くるみは黙ってきき、それからはふんふんと聞き流し、ありがとうと言ってそのまま横を

向いた。しかし、まっすぐを向くと又話しかけようとするので閉口。

男は薫の方を見て、your friend ?と聞いたので、no,no!と言い、my husband と言ったら

Excuse me と言って自分も結婚していて、9ヶ月の子どもがあるなどと話した。

 

降りる時には、男、薫、くるみの順になり、男はもどかしそうだったが、

薫に対し、自分はインフォメーションをやっていて、ホテルを紹介出来ると言ってきた。

くるみに確認してから、No thank you と断った。

  それでもまだ、列車を降りてからもなお話しかけるので、はっきり強く,

BY ourselves!と立ち止まって言い放つと、sorryむにゃむにゃと言って立ち去った。

 

  途中、おまわりさんにホテルの場所を聞き探したが、なかなからちが明かない。

2、3人に当たった末、立ち尽くしていると、おそらくここで初めてのバックパッカー

見かけた。

  呼び止めると、cafe に行くというのでついて行っていいホテルを教えてもらう。

ひとりはオーストラリア人。もうひとりはハーバード大学の学生。

ふたりは旅で知り合ったという。この国の名所に行くには、tourist information の

Official guideをつけた方がいいとかいくつかの事を教えてもらった。なにせ地図も

ガイドブックも持たずにきたのだから、無謀と思われても仕方がない。

 

  Let,s go Europe のモロッコのページを見せてもらったが、ハッシッシなどの説明も

合理的にされ、なかなか充実していることをうかがわせる。

なぜかオーストラリア人がカフェオレをおごってくれた。有り難い。

その後ホテルまで送ってくれ、ボーイに話しをつけてくれ、さようならをした。

 

  しばらくしてホテルを出て、食堂を探すが見つからず。女学生にLa Kasubaという食堂を教えてもらう。

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レストランLa Kasubaの主人

  くるみは、ミニハンバーグ、薫はオムレツ、これにミックスサラダとパン、コーラ。飲み物はほんとうに限られている。

  パンは直径30センチぐらいの平たい円盤みたいなもので、食べてみると味がする。一緒に付いてきた

胡瓜のピクルスも旨し。格別なのはトマトをすり潰してニンニクや香辛料を加えて作ったオムレツのソース。

トマトの酸っぱさと、複雑な香辛料の薫りとが淡白なオムレツの味を引き立てている。

香辛料が不思議である。ここはボーイも主人もすこぶる愛想がいい。

 

  引き続き、疲労が積み重なり宿で大休息。下痢での疲れが大きい。

清潔でまともな宿が得られていて良かった。

くるみもおなかが張るとかでベッドに入る。途中、何度か列車の便所に

入った時、激しく揺れるもので、道化師かコウモリのように便器の上でこっちが

舞い踊っていたことを思い出した。(注、あまりの汚さに尻が付けられないので便座の上に

飛び上がり直接線路の石に向けてした。列車は大きく揺れながら走っているが、なんせ

つかまる取っ手が無くなっているので壁やらドアのハンドルやらを必死でつかんで

しゃがんでいる。まずいことに一度誰かが便所のハンドルを上げたので前につんのめりそうになった。

さらに、ドアの脇に1センチほどの穴が空いており、誰かが覗いた気がした。

かんだ鼻紙で栓をしてしのいだ。)

 

  もちろん、ホテルではこんな事はないが。水が流れないのには閉口した。

以降、三階の便所を使う。

 

  朝7時前頃、レストランKASUBA にでかいサンドウィッチを買いに行く。くるみは怖がって

お留守番。主人はサンドウィッチを作っている最中、愛想からかレバーとミニハンバーグを

くれた。その場で食べてしまう。

  今製造中のサンドウィッチは、サーフィーと呼ばれている。昼食をまるごとでかい丸パンに

挟んだようなものだ。

 

  帰りに道端の女の子に果物屋を聞き、1キロ、1ディラハム(43円)のみかんを買う。

見栄えの悪い小さなやつで、ひし形の黒ラベルに黄土色の文字で、marocと印刷され貼ってある。

味はこれが旨いのだな。

  部屋に戻ると、くるみが、あっー良かった、と言って出迎えた。

これで夕食も確保したし、安心して休むことが出来る。

  電気を点けたまま、2人ともベッドに入り、駄弁に時を過ごす。

くるみのみ、サーフィー1塊を食す。スペインを昨日出たのが嘘のようだ。

 モロッコの二日間は随分と長かった。消灯。