11月28日 スペインからモロッコが見える

  7時15分に目覚ましが鳴ったが、昨夜寒くて寝つけなかったので、起きるのがつらく、

9時出航の船を諦めて、もう一眠りする。

 

9時半頃起床。荷物を預けて船の切符を買いに行く。

ふたつの斡旋所で聞いたが、990ペセタと同じ値段だったので、最初の店で買った。

 

  12時半の船で、正午までに港に行かなければいけないので先に食事をとる。

例のアルフォンソにて。12時前なので、Carne、肉料理なら出来ると言うので、

肉挟みパンとサラダにビール各1にした。

サラダは千切りレタスにトマトがふた切れ。ボカディージョは、少し湿気たフランスパンに

ミディアムの牛肉薄切りステーキを挟んだもの。

 

  宿に荷物を取りに行くと、おっさんがモロッコでは荷物に気をつけろ、と教えてくれた。

有り難く忠告を聞く。

 

  港に行き、POLICEの部屋に上がってゆき、パスポートコントロールの列に加わる。

 

港の入り口には、英語のインフォメーションに似た言葉のバッジを付けたおじさんが立っていたが、

やはり波止場のおっさん風で、でかい態度で2階に上がれ、と指示したのだった。

 

パスポートコントロールの列は、廊下いっぱいになってひしめき合っていた。

 

でかい荷物をありえないほど、いくつも持った薄暗い表情の人たち、おそらくモロッコ人が

多く、皆一様に真剣な表情をしているような気がした。

フランス人も散見される。言うまでもなく、モロッコは、元フランスの植民地であったからだ。

 

  東洋人は2人、我々のみ。

 

フランス人以外の西洋人もほとんど見なかった。(言葉からだが)

 

パスポートチェックが始まると、この群れがわれ先にと動き出す。どでかい金属製バッグを

持った男も居て、こちらの脚を挟まれそうだ。

船は、淡路島行きの船の、3周りほど大きなもの。

 

これがアフリカ大陸の南西に位置するモロッコに渡るメインルートの船で、ほそぼそ連絡しているかと

思うと、不思議な気がする。

甲板のほぼ最前方に陣取ったつもりが、最後尾だった。

 

皆自分の大きな荷物の他に、水やパンを持って乗り込んでいた。

我々もミネラルウォーターとチューロ、スペインの甘い棒状パンを持っていたので、何とか

助かった。スペインのアルヘシラス港を離れる頃は暑く感じたが、アフリカに近づくにつれ

暗雲が空を覆い出した。

というか、暗雲の下に突入した。

 

  その頃から風が吹きだし、かなり寒い。トレーナー、マフラーの上から米空軍ジャンパーを

がっちり着ているのだが、それでも次第に、冷気が沁みてくる。

心なしか、船の揺れも次第に大きくなって来た。

 

疲れが出て船酔いしそうになる。急に冷えたせいもある。甲板の屋根の下にへっこみ、風を避ける。

 

カモメは、アルヘシラスを出た頃からずっと船について来ている。

たまに、誰かがパンなどを投げると、急降下して皆でついばむ。向かい風で、カモメはカラダを硬くしたまま、揺らぎ揺らぎ飛ぶ様は、あやつり人形のようだ。

 

  後ろに坐っていたモロッコ青年に話しかける。今頃、モロッコでの必要な単語を教えてもらった。

彼によると、モロッコはスペインより寒いそうだ。彼はマドリードで彫刻を学んでいる。

小声で、且つ、口元を押さえて、しかもスペイン語で、モロッコ人はフランス人を好きか、と聞くと

小さな声で、NO!と言いながら、僕のメモのモロッコ語の否定のところを指差した。

 落ち着いた優しそうなヒゲ面の人だった。

 

船を降りる頃には、我々2人とも結構疲れていた。

 

担ぎ屋のおっさんに混じって港を出る。

 

  フェリーから港の建物までは、一直線の透明なドームが結んでいる。

建物の中の銀行で、トラベラーズチェックを、モロッコの貨幣、ディラハムに両替。

この建物にいる間だけでも、チケット売りや、ペンションの客引きが3人ほど近寄って来た。

 

  様子の分からぬうちは、とにかくNO!  港町 タンジェ ポルト の駅に行く。

駅と言っても、駅舎が見当たらない。

 

列車が一本、倉庫脇に横付けされている。車掌に切符はどこで買うのかと聞いても

ともかく乗ればいいという。

 

中に入ると、お椀型の船員帽を被ってるおじさんが荷物をこっちに置くから貸せという。

NO!と断り、コンパートメントに入ると、おっさんはまだ付いて来て網棚に載せてやると言う。

しつこいなあと思い、BY MYSELF! NO!と言うと今度は扉の脇に立って、チップを

要求しだした。彼は金のことを説明しようとポケットをジャラジャラ言わせてみたりしていた。

 

くるみは、とぼけた振りをして、別の事を答えたりしてお茶を濁そうをしていたら、

急に薫が大阪弁になった。

 

くるみ自体がはっとなると、薫はすっくと立ち上がり、見下ろすようにして、

何にもやってないやろ‼️と、キツイ語調で怒鳴らずに言った。

たちまちのうちにドアの外に出されてしまった。駄目押しにドアをバッタンと勢いよく

締めたので、おっさんも仕方なく立ち去った。

 

くるみも大阪弁を言われると、ビクッとなる。

 

  しばらくして船で最も大きな荷物を持っていた担ぎ屋一家がコンパートメントに入って来る。

カイバッグが4、5個と、一辺1メートル強の段ボール箱ひとつで、部屋が一杯になる。

 

脚元には、金属製の手押し車があり、それを踏んで坐ることになった。

 

話してみると、フランスから子供の洋服を運んでいるのだと言う。

又モロッコからも何かを持って行くらしい。当たり前か。

 

年長のおっさんは小柄な人で、我々に迷惑が掛からないように気を使っていた。

彼は下手くそだけど、英語も少しは話し、通常はアラビア語とフランス語、若干はスペイン語

話すと言う。

 

  おばさんは、眉間にタトウーをしていたが、これは既婚の女性だけらしい。

 

彼らの荷物の一部は、先ほど追い出した船員帽を被った男が持ってきたが、生憎小銭しか持ってなかったらしく、ジャラジャラと渡すと、突き返されてしまった。

つまり、荷運び人は、金を受け取らなかった。

 

  まもなく、車掌が、タンジェだと言って呼びに来てくれた。親切なことだ。

 

  くるみが列車を降りようとすると、荷運び人たち大勢が降りるのも待たずに乗り込んできた。

 

しかも列車はまだ完全に止まっても居ないのに。くるみがドアを持って降りようとしているのに

、それを掻き分け押しのけて我先に入り込んで来たのだ。

 

  薫が速く降りろよ、とくるみに言いつつ、大声で人を押しのけて、NO!NO!   NO!!と言ったので、

くるみも真似をして、NO!NO!とPARDON! PARDON!をを交互に言いながら、やっとこさ

降りることが出来た。乗り越したら、どこに連れていかれるやら分からない。

 

  駅の前でインフォメーションを探していると、モロッコ人ではない白人の女の子が2人いたので、

インフォメーションと英語で尋ねたが、通じなかった。

スペインの留学生だと言う。

  くるみが流暢なスペイン語で決まり文句で問い直した。

結局、インフォメーションはなかったが、ホテル街の方向を教えてもらった。

 

  言われた方向に歩き出すと、又くっついてくる奴がいたが、一度強くNO THANK You!と言って

断り、手で押しとどめると、もう付いて来なかった。いちいち面倒くさい。

 

  途中のカフェにいたおっさんが25ディラハムの宿を教えると言うので行ってみると、感じ悪い受付の男が税を含め、29ディラハムだと言った。おかしいなと思い、しばらくして部屋の料金表をみると

23ディラハムと書いてあり、抗議しに行ったが、らちがあかぬので、腹を立ててその宿を出た。

 

 次の宿では、ヒゲ面の少年が案内してくれた。と通りに面しており、ダブルとシングルのベッドが

ひとつづつある。バスルームも付いているので主人も誇らしげだったが、床にはホコリがかたまって

落ちており、枕カバーもしていなかったので、あまりきれいな宿ではないと思った。

バスタブも大きいが、ホーローが上の方までひび割れているらしく、茶色に染まっているのも

汚らしい。

蛇口も真鍮製らしいのがふたつ付いていたが、ひとつは壊れて取れていた。

恐らく、使えないだろうに。20ディラハムは高いと思い、もう一度考えたい、と言って

宿を出た。

 

  海岸沿いのスペイン通りからちょっと脇に入って、ペンション マジェスティック pension

majesticに決める。庭も受付も比較的こぎれいだ。英語の少し分かる学生らしき人物が何故か

女主人と一緒に受付にいて、我々をツインとダブルの部屋に案内してくれた。

 

 ダブルは夏60ディラハム。オフシーズン30ディラハム。ツインはオフシーズン20ディラハム。

ツインにした。

 

  女主人はモロッコ人で、学生らしき人と色々話しているうちに、彼女も打ち解けてきて

優しい表情を見せるようになった。

ここでは、モロッコの行きたい都市のパンフレットをもらい、彼にはレストラン クリオパトラ

も紹介してもらった。地図とガイドブックを買いたいと言うと、パンフレットをくれたの

だった。need not money 

  一服した後、レストラン クリオパトラにて夕食。

クスクスふたつと、ミネラルウォーターを頼む。パンはタダ。ここにはアルコール類は一切置いていない。宗教の関係だろう。

 

  パンをつまんでいると、道路側の窓越しに青年が顔を出して、HOW MUCH?という。

メニューを見せてやると、No,finished. fish and chipsと言った。

何のことか分からずにいると、近寄って来て、小声で指をこすり合わせながら、ハッシッシ!

と言った。

  下手なところで買って、bad tripはしない方がいいと聞いているので、止す。

 

  その他、小さな子どもがずっとこちらを見て何か言ったが、くるみは大きく首を振り、

No!!と言ったら柱の隅に隠れ、やがて父親らしい人に連れて行かれたりもした。

 

  クスクスは非常に細かく意外に柔らかい粟粒山盛りの上に、薄いカレー味に似た味の

鶏やマトン、玉ねぎ人参カブ胡瓜干し葡萄が並べてあり、シナモンが振って有った。

  鶏はそれほど深い煮込みではなく、身をそごうとすると、その圧力で下の粟粒が皿から溢れそうになって困った。

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  全体に薄味で思ったより物足りない。タレのたぐいが少ないせいか。

途中で腹一杯になり、少し粟粒を残した。

これは後でお腹が膨れると物の本に書いてあった。

マトンはよく煮えており、臭みもなくまずまず。

しかし、くるみ思うに、インドや中国の香を焚いた中で、食べているような料理である。

つまり、香辛料に癖があるので、具が多くて気を散らさないと、鼻に付く。

 

  主人らしき太った、ヨハネパウロ司教に似た男性と、のっぽのボーイが

勉強机をはさんで、ちょこんと坐っていて、壁の上に天皇陛下のような写真が掛かっていて

面白かったので、壁ごと写真に撮る。

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勘定書を確認したら又しても間違いで、0、1ディラハム多くなっていた。僅かなものだが。

今考えると、ミネラルウォーターも間違っていたかも知れない。

 

  明日の車内での食べ物としてパンを買いに出た。

坂を登ると、土産物屋や服屋があり、さらに登ると、果物屋、道具屋などがテントの下に

並んでいた。その間に、1、2軒ずつbar かcafe がある。月夜の晩だが、とにかく暗いので

どの店も見通しにくい。

  とにかく、テントの店では何を売っているのか、遠くからでは皆目見当がつかない。

  まず、角の果物やさんでミカン1キロ、1、5ディラハム。坂を下りながら、甘パンと長パンを

買って一旦駅で列車時刻を確認して宿に戻る。

しっとりと湿った毛布にくるまって寝ることにしよう。

 

追記  髭の生えた少年のいるホテルに行った時、部屋を見た後で、mange avec moiと言われた。

食事に誘われたと思ったので断って出ようとしたら、また呼び止めた。

別の部屋を見せてくれるかと思い覗くと、丸い皿の上に肉のガラのようなものに焦げ茶色のスープのようなものがかかっていた。その部屋は、汚いホテルの客室より尚雑然としており、少年の部屋らしかった。

 彼はパンを差し上げスープに付ける真似をして、又一緒に食べるかと聞いた。

  申し訳ないが、凄い匂いからとても食べる気になれないので、NO thank you.と言って

遠慮させてもらった。