バルセロナの洗礼 12月23日 木曜

  朝寝坊をし、朝食に出掛ける。ベッドの毛布が一枚しかない上、暖房も皆無なので

少し寒かった。マタスを出て右にゆき左に曲がった角のバールで、いつものように

カフェ コン レッチェと、トスターダの朝食。結構はやっていて、朝っぱらから酒やら

酒入り珈琲やらを飲んでいる人が多い。つまみは窓から入る自然光のせいか、皆旨そうに

見える。珈琲はまずまず。トスターダは、ふたつに割ったフランスパンにバターがたっぷりと

載っていてボリューム有り。値段はやや高く、計150pesetas。

 

  宿に戻り、マタスのおっさんに我々が借りるアパートの事を切り出した。ちゃんと覚えてたらしいが、早口で捲し立てるので、よく聞き取れない。それでも何とか掴めた概要は以下の通り。

 

  自分がニュースペーパーを見て条件に合ったものを探してピックアップして、先方に電話

をかけてあげる。その後に我々にその電話番号と住所を渡し、我々自身の眼で確かめ、気に入ったら、自分が連絡を取ってあげる。エイジェンシーに頼むと、手数料を取られ高くなるが、自分だったら払わなくていいよ、と大体こんなことだった。

アパートの条件をおっさんに話し、アフタヌーンに来いというので一旦部屋に戻った。どうも

親切心旺盛だが、熱すると早口になり理解しにくいところがある。

部屋にておっさんの親切心は無報酬なものか議論した。どうもモロッコ帰りは人の親切を素直に受け入れられないようだ。一応おっさんの親切を信じ、しかし報酬を求められた時は法外に

高くない限り、支払おうと話は決まった。午後2時近くなったので、食事に出掛ける時、鍵を

預けにゆくと、もう新聞から1~2ピックアップして説明してくれた。一週間単位で、月にすると8800 pesetasの間借り(トイレもバスも台所も使用可)がベストだと思うと勧めてくれた。ここの女主人の感じもよいという事なので、オーケーして電話してもらう。もうすでに

誰かが見に行き、電話もたくさんかかって来ていると言う事なので急いで見にゆき決断をしなければならなかった。おっさんにせき立てられて宿を出た。場所はカスティーリャ広場近く。

 

 

  もらった地図を頼りに急ぎ足で歩いていた。ここはバルセロナでも大きな通りなので歩く人の数も多い。くるみがカバンに挟んでいた地図を落としたので、少し戻って拾い上げて

薫を見ると、薫はいつものように後ろも振り返らず、すたすたと歩いていた。走って追いかけてゆき、ふと見ると、薫の背中に白い液体がかかっていた。あっ、ちょっと待って!と言って

歩みを止めてみると背中だけでなくズボンにもたくさん白い物がついていた。薫もくるみの

背中を見、お前も付いているぞ、、と言い、通りで立ち止まっていると、通りがかりのひとりの男性がすぐさま、ティッシュを差し出してくれた。他の女性も気の毒そうな顔をして、くるみにティッシュをくれた。それをもらい、薫の背中を拭こうとすると、先の男性が、”ペンキ!

!”と言い、手招きしているので、ペンキを落とした人に抗議しろと言う意味なのかな、と思い

ついていった。

  くるみは上を見上げ、薫の背中に付いているような白い物がどこかで使われているのかと探したが、ビルの上にあるベランダはどれも錆びていて、白いペンキなど、どこにも使って

いなかった。急いでいる時に面倒だなと思いながら、男について行くと、あるビルの少し奥まったところにいった。くるみはもらったティッシュで拭く前に、指でヨーグルトのようなその液体を取り、匂いを嗅いでみたが、どうもペンキではないようだった。先の女性は通りに立ち

上を見上げて、”アリーバ(上)”と叫んでいる。上から落ちてきたと言っているらしい。薫の

背中を拭きながら、その割には髪の毛に少しもかかっていないのを少し不思議に思っていた。

薫もくるみの背中を拭いた。女性は”私にもかかっていない?”というようにうしろを向き、

渡したティッシュペーパーで拭いてもらおうとしたが、くるみが見たところでは、どこにも少しも白い液体は付いていなかった。”DE NADA."といい、付いていない事を知らせる。

通りを行く人たちは、何だろうと思って、こちらを見ながら行き過ぎ、アパートの人々もエレベーターを待ちながらこちらの様子を伺っている。

  くるみはアパートの事が気がかりだったので早く行きたかったのに、男性は、”水で洗ったら?”と言い、もっと奥まったところを指差して、くるみのカバンに手をかけた。実ははっきりした確信はなかったのだが、この前後、本で読んだことが思い出されたのだった。すなわち、自分でアイスクリームをつけたくせに、汚れてるよと言って声を掛け、親切そうな振りをして

拭いてくれる時に盗みを働く男のことを。そんな事が漠然とだが頭にあったので、背中を見てもらう時も女性が拭いてくれと言ったときもカバンから手を離さず、抱えたままだったのかも

知れない。男が奥を指差した時、そしてくるみのカバンに手をかけ、水で拭いたら、言ったとき感じた漠然とした思いがはっきり”まずいな”という気持ちに変わった。

  薫に”急いでるからって言おう。”と言い、女性に駆け足の真似をして、意を伝えた。

We are going to another place!洋服なんてあとで洗えばいいや、とも思った。

 じゃあ、と言って別れる時、相手が3人になっていたのと、男性がちょっと残念そうな顔をしたのが、ひっかかった。こころなしか、3人とも似たような眉の薄い顔つきをしていたな。

 

  歩きながら、薫に”本当に上から降ってきたのかな”と言うと、”じゃあ、あいつらが掛けたって思うの?”と聞かれた。この時、非常にはっきりといろいろな事の辻褄が頭の中で合わさった。まず、多分、あいつらは掏摸か、強盗で我々を狙ってわざと何かを掛けたのだ。第一、親切すぎる。第二に、上から落ちて来たのに頭には少しもついていない。第三に、彼らが言うようにペンキなのではなく、乳液だった。第四に、彼らが示したところには地面にひとかたまりの白い液体が落ちているだけで、上から落ちて来たにしては他の場所に飛び散っていないのが変だった。

第五に、ティッシュペーパーの出し方が実にタイミング良かった。良すぎる。

第六に、彼らは通行人であるにもかかわらず、見知らぬビルの水道のありか(本当に水道があるかどうかも疑わしいが)を知っていた。

第七に、彼らの顔が似通っていた。、、、等々。思い出せば出すほど、不審である。そこで

薫が叫んだ。”あいつら、イタリア人だ!別れる時、”チャオー!”って言ったもん。”

  本当に危ないところだった。と思うと同時に、ぞっとした。あの時、水で洗おうと思って

奥へ入っていったら、彼らは3人、我々はふたり、押さえ込まれて金やパスポートなど取られたかも知れない。スペイン、とくにバルセロナに帰ってきてほっとしている時だった。すぐ

隣に危険が潜んでいるかもしれない、という教訓を忘れることろだった。そんな事を考えていると、だんだん興奮してきた。

 

  マタスのおっさんが教えてくれた貸し部屋のある通りは表通りから少し入ったところにある心なしかゴタゴタした通りだった。はじめてバルセロナに来た時は慣れていなかったから

気づかなかったのか、よく目を凝らすとおかしな目つきをした人も結構いる。

  ベルを押すと、のそっとしたおっさんと共に、黒い服をきた背の低いおかしな化粧の

おばはんが現れた。われわれが言い澱んでいると、すぐ分かったらしく、中に入れと言った。ここはドアを入ってすぐに丸テーブルがあり、その上にごたごたものが置かれていて、壁には

訳のわからぬ絵が懸かったロビーとも何ともつかぬ場所だった。

おばさんは、ジャポネと言いながら右手の方へ手招きした。このへんなロビーのすぐ横はキッチンになっており、髪の黒い何人だか判らぬ女の子が廊下隅の冷蔵庫から何かを取り出し料理しているところだった。見たところ、台所はここひとつしか無さそうであった。何となく期待持てそうにない思いを抱きながら、おばはんの後についてゆくと、BANO(風呂)と書かれた扉の中にあまり清潔とは言えない、ホーローが傷み、がさがさのコンクリートのようになったバスタブがあった。これも共同らしい。そして洗濯場、石で囲った流しがひとつ。心の中で

×をつけながらも一応部屋を見せてくれと言うと、案内してくれたのは、一番奥まったところにある薄暗くセミダブルベッドがひとつある狭い部屋だった。一応はテーブルも整理ダンスもあるのだが、何故か部屋の中は雑然として清潔そうに見えない。壁から架けられた絵も、ベッドカバーもテーブル掛けも全てが頓珍漢な印象を与える。趣味が悪い。一泊するだけでも勘弁

してくれ、と言いたくなるような部屋であった。おばはんの感じも、マタスのおっさんが言うほどよいとは言えないし、第一、化粧が不気味である。淡谷のり子も真っ青というくらいの厚化粧であり、品もよくない。

  考えたいからと言って、我々は階段を駆け下りて表に出た。どうも今日という日は良くない日だ。こういう日には何事かを決めるのは避けた方がよさそうだ。

レストランを探しながら、宿に戻る。

 

  おっさんは待っていたかのようにわれわれの顔色を伺ったが、部屋があまりきれいでないから、と言って断った。料理の勉強をしたいので独立したキッチンがほしい、日本でレストランを開くのだ、と言うと驚いて後納得してくれ、何度でも力になると言ってくれた。大体の

意を伝え部屋に戻る。

 

  そう言えば、この間昼食を摂ったのであった。レストランが見つからぬので、MATASの隣りのシャンパンの旨い店で、シャンパン(EXTRA)と赤い粗挽きのソーセージパン、ボカディーリョをひとつづつ食す。これはいけた。シャンパン(発泡ワインだが)は冷たく、ほどよいアルコールで、皆ピンク色のそれを煽っている。ボカディーリョのパンもカリッとして、ソーセージもすこぶる肉肉しい、旨味がある。大満足して食べ、おかわりのシャンパンとフランクフルトのボカディーリョを一つずつ追加して満腹になる。この店は昼間だというのに凄い混みようである。旨いシャンパンが売り物で且つ安いため年配の人も飲みに来るし、若い人も一杯である。シャンパンは、18、22、30、35pesetasと4段階に分かれており、一本で頼むと62

pesetasからとかなり安い。ボトルで取っている人も多い。奥は加工肉を扱う店になっており、シャンパンはクリスマスが近いせいかどんどん店内に運び込まれていた。

店は3人の男たちが仕切っており、シャンパンをついだり、パンに切れ込みを入れてペーストを塗る人、ハムを切る人、ソーセージを焼く人である。みなキビキビとよく働き、気持ち良い店だ。朝のバールで珈琲を飲み宿に戻る。

 

  夕食は探す元気がないのでルサファにて済ます。paellaはやってるかと聞くとやってると言うので席につく。肉paellaと、海産物paellaがあり、どちらも450pesetas。肉paellaをボーイの推薦もあり選ぶ。20分ほど待ち、paellaが来た。肉paellaと日本語で書いてあるので、

パエージャ・ヴァレンシアーナのように鶏肉が乗っかっただけの地味なものを想像していたのだが、現物は深鍋に入った、ムール貝、殻つき海老、いか、鶏肉、豚肉、牛肉、フランクフルト他グリンピース、人参等野菜も入った豪華なものだった。ボーイが各皿に平等に取り分けてくれた。山盛り。角を出しているカタツムリはいなかったので、安堵した。やはり、ここのpaellaもスープが多く、米をたっぷりと吸い込んだ他にまだ余っていたほどだった。味付けは濃く、おまけに具も沢山でどやどや盛られている。これはどう見ても田舎煮だった。

肉類が多く入っているせいか、コクもある。色は純粋のサフラン色。なるほど、マタスのおっさんが言ったように、ここではpaellaが一番おいしいようだ。カラコレスなども含めて、他店と比べてもコストパフォーマンスは良い。日本の(と言ってもまだ一度しか食べていないが)パエージャの米が少ない上品な味付けとは全く違う。色々食べて何となく感じていたように

パエージャはスペイン人にとって五目飯、ごった煮(田舎煮)的な存在なのだろう。

入れる材料もあまり限られてなく、これが無くてはパエージャと呼べないというエッセンシャルな要素は次の通りである。

 

  まず、第一に米がはいっている事。第二に米が黄色をしている事。第三に鶏肉が

入っている事。第四にグリンピースが散らしてある事。この4つ。その上で各店が独自の

工夫をしている。PEMAでは角出しカタツムリを入れる事。カラコレスでは手長海老を入れて

体裁よく盛り付けをする事。これを塩に、ルサファから足を洗おう、と言って店を出た。

 

  宿に戻り、おばさんに日本人の女の子は部屋に居るかと聞くといると言うので、彼女らを呼び出し、今日の昼あったピックポケットの話しをして注意を促した。このあと、部屋に呼んで話しをしながらシャンパンを呑んだ。彼女らはイギリスで英語の勉強をしており、

(フォークストンで)2週間の休みで旅行に出ているのだと言う事だ。明日はイタリアにゆく

ということだ。今まではsevilla,granada,madridなど4人で旅行して来たが、昨日別れて来た。モロッコの話しなど持ちかけ、彼女らに面白い話しはないかと聞いたが、今までみないい人たちばかりで、特に変なことはなかったと。変なことに会ってるのは我々だけなのか。

日本人だと分かると、狙われたり馬鹿にされたりする事が多いという話やら、授業中に

イギリス人の先生が”日本人はせこせこ働いてばかりいるのをどう思うか、”と言う意地悪な

して来て、”イギリスの人たちはLAZYだ”と答えたら、黒板に向かい、”人生は仕事だけではない”というような事を書いて、反対にやりこめられた話し。また、”do not eat too much rice

という言葉があって、沢山米を食べすぎるとチャイニーズになるよ!(と指で両目を吊り上げて)という戒めというか、皮肉があると言うのをわざわざ言う友達もいるそうだ。或いは、

”どうしてそんな肌の色をしているの?あなたが居るから部屋が暗いのね”とか、スイス人は、

”日本人はコピーがうまいのね(時計のこと)”と皮肉るそうだ。彼女らはスペインではあまり

嫌な思いをしていないと言うが、やはり、ここでも有色人種蔑視が根強く残っているようだ。

 

  追記

 マタスの宿でスイス人アベックに乳液スリの事を話していると、その女性が日本料理が好きだと言い、キワノカデラ、と繰り返した。これは何のことだろうか、最後まで分からず仕舞い

だった。薫はどんな日本人もキワノカデラを食べたことがない、と言って笑っていた。