1月20日

 目覚ましが鳴ったが、気がついたら11:00を過ぎていた。パンがないので買いに行かねば朝食ができぬ。薫は何やらはがきの下書きをしているようだった。「くるみ、パン買うてきて」というので、くるみが外に出て行こうとすると、「あ、郵便局も行ってしまうか」といい、くるみを引き止めて誠ちゃんに出すはがきの清書をさせたのだった。

 

 郵便局へ行こうとアパートを出ようとすると、いつものおっさんが「carta」と言いながら、1通の航空書簡を手渡した。手紙には、高橋一郎・まりかとあった。薫が「お姉ちゃんからだ、お姉ちゃんからだ」とくるみをはやした。おっさんが言うには、受付の鍵を入れる棚を、通るときに見てくれとのこと。郵便局で4通のはがきを出し、パン屋に行った。今日も相変わらず混んでいて、我々は長太パンと、アップルパイを2つ買った。

 

 アパートに着くと早速薫が手紙見よう見ようとせかした。薫曰く、手紙に「薫くんが手紙来ないなら、もうお姉ちゃんには出さない」と書いたからだぞ、ということになる。表を見ると、意外にもEXPRESSだった。「何かやっぱり変わったことがあったんじゃないか」と薫がつぶやき、くるみが急いで封を切った。字面の様子では、走り書きではあるが、「至急」の緊迫感がなかった。父・母・兄・姉と分けて、新聞の見出し風に各分野毎にタイトルがつけられている。それによると、以前話していた甲状腺腫手術にて只今姉は入院しているとのこと。これから2時間後に手術をするのだと書いてあったが、いつものように気弱な感じはなく、覚悟を決めた感があった。この間、母親が泣き声に似た様子で電話をかけてきた背景には、このような事情も絡んでいたのだろうか。父親も大分気弱くなっているらしいとのことで、何だが目に見えるようで、少し気分が沈んだ。

 

 

 朝食は、買って来たばかりのパンのトーストとCCL、昼食も兼ねたいるのでベーコンエッグも付け加える。やはり焼きたてパンは旨い。日本のパンはいつまでも固くならないのを思い浮かべ、外国人が日本に来たら驚くだろうと思った。薫は、寿命が短くても美味しいと思えるパンの方がいい、と行った。くるみも同感。パンも生き物なのだ。そういえば、スープの本を見ても、パンを使ったものが多いのは、そういう事情(パンがすぐ固くなってしまう)から、残り物利用という意味もあるに違いないという気がする。ベーコンエッグは旨し。こういう簡単な料理だと、素材の持ち味が生かされるので、味を十分堪能できる。ベーコン、卵とも格別に美味しい。CCL(Café con lecce)2杯目をくるみが担当した。薫に教えてもらったとおりにやったが、ミルクが多かったのと、ねじがゆるかったのと、コーヒーが少々足りなかったのが原因で少し薄かった。

 

 今日は薫の予定表ではAmigo Gaudiに行くのだったが、1:00までに間に合わないので止めた。持っているだけで永らく使っていなかったスペイン語辞書(日本より持参)をもとに、スペイン語を勉強するためのノートを作った(まだ途中であるが)。薫は何やら自分のノートにこそこそと横文字を並べていたと思ったら、Toni Vidalに手紙を書いているのだった。裏面にびっしり横文字を埋め、(二言三言スペイン語であとは全て英語、さあてToni Vidalに読めるだろうか。) 表に住所と、下半分にToni Vidalを日本文字(漢字・カタカナ・ひらがな)で記していた。これらをペンでなぞり、器用な文字に仕立て上げたのち、なお且つ、宛先の文字にマーカーで色をつけようとしていたので、くるみが止めた。Shyな人だというからきっと驚くに違いない。郵便局はもうしまっている時間なので出すのは明日。

 

 しばらく互いに黙って作業を続ける。モロッコ音楽がかかると、くるみが急に一緒に歌い出すので、蛇になった蛇になったと騒がれた。最初は単調な、あまりメロディのない音楽だと思ったが、聞き慣れてくるにつれ、乗りの良いリズムと微妙な音の変化が心地よくなってくるのだ。中心人物以外の人たちの騒ぎ方も只事ではない雰囲気がある。よいなあ。このごろは、これが快感になった。

 

 ポトフーの煮える良い匂いがしてき、薫が最後の味付に精を出している。くるみは腹がすいて食べたいよう、と訴えたが、薫に「ダメダメ」とたしなめられた。以前の日記を読み返しながら待つ。

 6:30頃、用意を整え、薫特製ポトフーの夕食。肉はくるみの手落ちで薄切りを買ってしまったが、コクのある美味しい料理にできあがっていた。昨夜から二晩煮ているので、どれもスプーンで切れるくらいに柔らかくなっている。塩加減よし。香り良し。肉の炒め油に、豚カツを揚げた残り油を使ったので、少し油がきついかと思ったが、後からセロリを少し足した為か、何か、バランスは崩れていなかった。薫は、料理は頭を使わないので、自分が作ったような気がしないのだとほざく。まあ、確かに煮るのは、電熱器(コンロ)と鍋がやるのだし、味は素材が出すものだから、薫が生み出しているのはないのだが。感覚の世界だからかな、と付け加えるように言う。薫によると、塩加減と香り加減が決め手だそうな。

 ここで「器用かどうか」と不遜にも尋ねるので、くるみが手先は器用ではない(あざやかではない)と言ってやった。しかし、舌はまあまあであろう。料理人は手先も器用なら良いが、最後は舌で味見をして決めるものだからその意味では合格かしらん。しかし、まだ今のところは、難しい料理(なんていうものはないのかもしれないけど、一応手の込んだ面倒くさい料理という意味で)にまで手をつけていないのだから、自惚れは禁物よ、薫君!

 

 夕食を終えたのが7:00過ぎ、今日はずいぶんゆとりがある。薫に言いつけられて、くるみは今までに食べた料理のうち、今後の献立に参考になりそうなものを日記からピックアップした。だいたい1ページくらいあったが、思いの外旨い料理は少ない気がする。もっとも、安い料理屋が多いのだが。NICEのピザ屋のところにペッパーオイルのことが記されており、枝付き胡椒・皮付きにんにく・赤とうがらし、とあった。ここにいる間にやってみようか。ピザの上に「香りの良いモスグリーンの山椒の実をすりつぶしたようなもの」はグリーンの生胡椒のことだろうか。

 薫は今度はメロコトンの缶を開け、りんご・バナナを刻んで、得意のフルーツサラダを作っている。最後にブランデーをたっぷり振り込んでかき回していたが、こうしているとりんごが潰れてしまうのだそう。何も入れないシロップだけのうちにブランデーを振り込んでかき回しておいたらどうだろう、とくるみが提案した。

 

 しばらくしてから、朝方スーパーで買って来た何か訳のわからぬ紅茶(ティーバッグ)2種とりんごのパイを食べることにした。1つはミントティー1つは辞書をひいても出ていなかった、オレンジ色の花の絵が描いてある。BOLDOの茶。後者は、湯を注ぐ前に匂いを嗅いだだけでもものすごい香辛料的香り。湯を注いだら、なお且つ強烈な匂いを放った。二人とも、一口ずつ飲んだが、思わず顔をしかめた。薫によると、季節外れの塩素入りプールのような匂いであり、くるみによると、古い図書館、いや理科室の匂い、ということになる。これは、本当に飲み物か。もう1つのミント茶も、アフリカで飲んだ生の葉のミント湯とはえらい違いで、まるで歯磨き粉のようだった。せっかく美味しい紅茶にありつけると思っていた二人はがっくりきて、少し気持ちが悪くなった。薫は、あまりにひどいのでうがいをして口中を清め、くるみは「砂漠で水がないときに飲むんじゃないか」と毒づいた。口直しの為、もう一種買って来ておいた『まとも紅茶』(上記のは2種ともwest Germany製・これはEngland)を入れ直し、レモンを絞り込んで、レモンティーにして飲んだ。しかしこれも薄かったので辟易した。

 何で美味しい紅茶がないんだろう。考えてみれば、イギリスの紅茶、特に最初止まったA.Adams Hotelの朝食はまともだった。葉っぱかティーバッグかは知らないが、香り豊かで熱くたっぷりの紅茶がポットに入れて出され、2つ並んだ目玉焼きの四方には三角に切った薄いトーストパンが置いてあるのだった。「ああいうセンスは好きだね」とイギリス好きの薫が言った。なんとかまともな茶(紅茶でも緑茶でもよい)は手に入らぬものか。今度El Corte Inglesか百貨店で探してみよう。それにしても高くて不味い紅茶だ。

 

 このあと、またまた口直しにCCLを入れ、残りのりんごパイを食べた。CCLは美味だが胃にきついので、ビノ・CCLとくるといの休まる暇がないのは困る。ここまで書いてきたところで、何かブランデーの匂いがすると思ったら、先ほどまで白ビノを飲んでいた薫は、今度はブランデーをなめている。グリーンオリーブまで出してきて、口に放り込んでは手帳に何やら書き込んだり、地図を拡げて盛んに印をつけている。本当にしょっちゅう口や手を動かしているのだから。ラジオでは、ピアノ協奏曲が終わり、中国らしき音楽と合唱に変わっている。単調な太鼓の音と、木琴のぴろぴろっという音、まじめな歌い声。そろそろ肩が凝ってきたなあ。ねようかあ。