5時起床。5時半にホテル受付のおっさんを起こし、出発。可哀想におっさんは
受付で毛布を被ってうたた寝していた。外はまだ闇の中だったが、近くのパン屋では
仕入れを済まし、角のカフェでは通りにホースで水を撒いているところだった。
通りは車も少なく、たまに人に会う程度。しばらく行ったところで立ち止まって
道を探していると、カブに乗った兵隊が寄って来て教えてくれた。
自転車を漕いで何処かに向かう兵隊もいる。
思いがけずモロッコ人は働き者だった。そう言えば、夜も遅くまで店を開けているし、
これと言って昼休みの閉店もない。
駅に着くと、結構地元の人が汽車を待っていて、まだ切符を売り始めないので
それぞれミント茶を飲んだり、駅前の暖かいもの屋で何か丼に入った訳の分からぬ
ものを食べたりして身体を温めているようだった。
みなスカーフや帽子を被り、或いは例の先のトンがった頭巾のついたコートを着たりして寒さに万全の構え。
薫が切符を買おうとして列に並んでいると、見知らぬおっさんがやってきて
ジャポネ、と言いながら肩をポンと叩き、カサブランカ?と聞いた。
また、客引きかと思い、強くNO!と言うと、今度はくるみの横を通り、チノワ、チノワと言いながら腕を掴み、切符売り場の中に入っていった。切符はふたりで
139、4ディラハム。100ディラハム2枚を出して釣りをもらったが、確かめてみると、
0、1ディラハム足りない。細かいことに頓着しないのだろうと、考え流した。
待っている時そばにいたモロッコのおばさんたち3人はこちらを見て
いぶかしそうな顔をしていたが、ボンジュールと言ったら、急に顔つきが
柔らかくなり、皆にこっとして、ボンジュール、オルボワと言って別れの挨拶を
交わした。船の上で教わった、朝の挨拶” ナラメー セラーム”はここでも全く通じず。
コンパートメントに席を占める。シートがとても冷え切っているので、ジーパンを通して寒さが直に伝わる。冷たくて深く坐ることができない。浅く坐って徐々に尻を
ずらして温める面積を広げる。暖房設備はある様なのだが、何処も効いてなかった。
列車が出る頃には、夜が明け始める。しかし、まだ陽が出ていないので、辺りが暗い。昨夜買ったクロワッサンと甘パンを食べて身体を温めようとする。
赤い砂漠を探したが、随分あとまで見つからなかった。この間は日差しが強かったせいで見えたのかもしれなかった。
みかんを食べたりして居る中に、モロッコ人ふたり、兄妹か、が乗り込んできた。
兄は英語も少し話し、こちらに何かと話しかけてきた。そのうち、ミント茶売りが通ったので、あわてて呼び止め、” TEA,DEUX"と頼むが、なかなか通じず。違う呼び名を言っていた。透明のコップに青々とした葉っぱのいっぱい詰まったお茶をもらう。
砂糖は多いので、薫が、アン、アンと叫んで一つずつにしてもらってちょうど
良かった。ハッカの味に混じって、青臭い味がする。そのおじさんと手提げ籠の写真
を撮ろうとすると、ぴょんぴょんと廊下やコンパートメントを逃げ回った。
モロッコ人の兄いわく、シチュエーションが悪いのだ、と言った。どうも
この商売をしている格好を撮られたくないらしい。違法なのか、卑しいことと
思っているのか。
籠だけを撮る。ミント茶はしばらくすると湯に浸かって葉っぱが茶色く変色してくる。
その前にパチパチ写真を撮る。このコップは違うが、モロッコのコップは一様に
何処でもかしこでも上から3分の一辺りでぐるりとふくらんだ形をしており
薄いブルーの色が付いている。これに水でも珈琲でも入れて出す。
底はたまに凸凹しており坐りが悪かったりする。喫茶店やホテルでも、ましなカップが有りそうなものだが、見かけなかった。あまりそんなのを製造するメーカーがなく、
輸入も高いのだろう。
モロッコ人の兄は日本の電車は一時間に300キロ走ると、得意そうに話した。しかし、薫がそれは実験中で今は200キロだと言っても、がんばって300キロだと言って聞かない。疲れていたので、景色に眼をそらし、話しを絶った。
砂漠にある白い家を車中から撮っていると、お前は家は好きなのかと言う。嫌味か。
窓を開けると、冷風が入ってくる。途中でひとりの男性が乗り込んできたので、
サービス料のことを尋ねたが、英語を解しない。モロッコ兄が間に入ってくれた。
結局、モロッコのポピュラーなレストランでは、大抵サービス料は取らないという事だった。やっぱり、あのビーフグリルのオヤジにぼられたか。マラケシュに長く居ないんだから、怒鳴り込んでやるんだった。遅かりし。くるみは考えているうちに悔しくて
涙が出てしまった。モロッコ兄は、自分に時間があればラバトでいいレストランを紹介
するのだが、生憎時間がない、と言った。
ラバトで乗り換え。ばあさんが駅長室の床を足を伸ばしたまま、雑巾がけしている。待合室もあり、きれいな駅だ。そう云えば、ここは首都だった。
乗り換えの列車に間があるので、改札を出て、構内のカフェレストランに入る。ここは
小綺麗な分、少し高め。フェスやマラケシュのカフェに比べ、格段の清潔さと礼儀正しさを備えたボーイがいる。カフェオレと鶏のサンドウィッチを頼んだ。
値段は高いが、カフェオレはたっぷり、サンドウィッチはおいしいパンに鶏肉を蒸して味付けしたもの(カレー味に似ているがそれほど辛くなく黄色い)を入れて
食べやすいように半分に切ってある。レタス、トマト、オリーブ、それにピクルスの輪切りを載せてあるのも気が利いていた。鶏肉もパサパサしていず、塩辛くもなく
ちょうどいい味付けで美味しかった。ここでもティップを払わず、ちょっきり払う。
店内を見回すと、今まで見て来たモロッコの様子と全然違う。皆それぞれに自分の友達や相手と話し、我々をずっとじろじろ見ることをしない。都会人のクールさがある。身なりもきちんとしていて綺麗なひとが多く、フード付きコートを来ている人は
一人もいない。かかっている音楽は独特のモロッコ民謡ではなく、クラシックやポピュラー音楽だった。
駅で列車を待っていると、日本人に似た男の子が一人こちらを見ていたので、声を
掛けた。知り合いの久保田君に似たその男子、25歳は中国人で5歳の時香港から
ニューヨークへ移ったと言う。英語がペラペラな上もう心底アメリカ人になり切ったように、はあーい、と別のアメリカのバックパッカーに声を掛けたのにびっくりした。
彼らとともに行くのかと思ったら、我々に何等の切符かと聞く。二等だと答えると
自分は一等だからと言って席を探しに行った。間もなく戻って来て少ししか違わないから一等に移らないかとわざわざ誘いにきた。もったいないので、断ったが西洋に馴染んでるとはいえ、やはり東洋人を懐かしく思っているのだろうか。
フランス語も喋れないのかと、びっくりしていたのは少し傲慢に思ったが、
案外気を張って生きて来た人のような気がする。東洋人であることのハンディキャップを感じているのだろうか。
席が一杯なので、車両連結部に近い荷物置き場に腰掛ける。折り畳み椅子に座っていたスペイン人風おっさんが一所懸命話しかけて来た。原爆のこと、日本の天皇が平和宣言をした時、自分は18歳で新聞を見て知ったことなど、ジェスチャーを交えて教えてくれた。日本には親近感をもっているらしい。疲れていて、話すのも億劫だったが
皮スツールを買おうとした時に聞いたベルベル人の事を詳しく聞きたくて尋ねる。
一瞬、おっさんは自分のことを言われたかと驚いて後、蔑みの表情を浮かべて
自分はアラブ人で、ベルベル人はアラブ人でないと、力説した。
彼によると、ベルベル人は異民族で山に住んでおり、モロッコ人と戦ったという。
どちらが先住民なのか分からず仕舞いだった。
皮スツールはどのくらいの値段か、モロッコの名物料理は何かを聞いた。
スツールはいわく50ディラハムが相場でそれ以上は高いと言う。薫は教えてもらったくせに、そんな事はないなあと頑張る。また、教えにくる。食べ物はいくつか紙に書いてもらい、TANGERに行ったら食べることにしよう。ひとり大体10ディラハムくらいで
食べられると言う。列車を降りる時、薫とくるみの名前をアラビア語で急ぎ書いてもらい,礼を言って別れた。
SIDI KACEM駅乗り換え。この頃からだんだん日が暮れてきた。コンパートメントの中から、灘神戦、と書いたビニール袋を下げた兵隊を見かけ、薫が声を出したら
その兵隊と連れの男ふたりがしばらくして、コンパートメントに入って来て握手を求めた。兵隊は柔道と空手をやっていると言い、手がごつくて強そうだった。
何か話したかったようだが、フランス語が出来ないので、あまり喋れずしばらくして戻っていった。この袋、実は中国のものらしく、こちらで空手が有名なのも
ブルース リーの為らしかった。どうも日本と中国はごっちゃになっているようだ。
列車がしばらく走った頃、アフリカの平野に濃く真っ赤な雲が覆い、豪快な夕焼けと成り果てた。列車内は電灯がつかない為、なお一層真紅の空がこちらに迫ってくる。
まだか、まだかと待った末、午後7時すぎ、TANGER到着。
客引き連中は、先に改札を出た客を捕まえ、勝手わかった我々は誰にも引っかからず、レストラン クリオパトラのある坂を登る。たしかここに数軒の小綺麗なペンションがあったはず。ひとつのホテルで部屋を見せてもらったが、薄暗いので、止す。
ペンション マドリッドに決定。ダブルとシングルで30ディラハム。決してきれいとは
言えないが、一応シーツは洗濯の匂い。荷物を置くやいなや、ぺこぺこに凹んだ腹を
抱え、クリオパトラに繰り込んだ。スープと、列車のおっさん推薦のチキンと、コーラを頼む。
スープはクスクスなどの材料を煮た残りを活用したものか定かでないが、野菜のくず、鶏のかけらが入っていて香辛料が効き旨い。丼に入って一杯、2ディラハム(86円
チキンは、ローストで皮がパリパリと香ばしく焼けており、香辛料が振ってある。
勘定をしたら、くるみの計算より多かったので、早速店の主人らしき帽子を被り太った
おじさんに値段を書いた紙切れを見せた。すると、彼は鷹揚にレシートの下の、
”s tax 10%"と印刷されたところを指し、ゆっくりとくるみの合計に10%を足した。
あら不思議。最初の請求通りの額になったではないか。これにはふたりで脱帽。
パルドゥン、とすぐさま謝り、モロッコの最後の夜が不愉快な思いで終わらずに済んだことを喜んだ。
明日は早起きしてメジーナ(市場)に行き買い物をする予定。おやすみ。