12月4日 土曜 モロッコ式値切り術

 思い切ってホテルで朝食。長パン、クロワッサンに、カフェオーレのフランス式。

ボーイの素振りにチップ待ちの気配。払わず。受付に朝食なしで50ディラハムで

良いかと、向こう2日の泊まり賃を再確認していると、また黒ひげ、ちょび髭の

フロントマスターが来て駄目だ、と言う。それを下っ端のフロントが我々に伝えた。

 

 またもや、薫は大声、地声、ダミ声で、”NO!NO!"と言い、”昨日言うたやんか、

全くなんで言うことが違うのよ。”といきり勃った。

 

  フロントマスターは後ろを向いてぶつぶつアラビア語で不満を言い、こちらに

取り合わぬようにしている。くるみが薫に、じゃあ、ここを出ようよ、もういいよと

提案してフロント氏に”TODAY ONLY!"と伝えた。

  マスターは怒って、ノーノーと言っていたが、無視して部屋にゆき荷物を

まとめた。昨晩、朝食なしでいいかと、問い、オーケーになったことは

伝達されてなかったのだ。フロントは短時間でコロコロ変わるし、こんなホテルに

いたらロクな事はないと思い昨日見つけた59ディラハムのHotel du Pachaに向かう。

受付を出る時、何事もなかったように、オルボア、さようならと言ったら、例の

マスターはなるべく知らぬ素振りをするため、下を向いていたが、強張った顔で

応じた。

 

   Hotel du Pachaでは赤い服を着た身だしなみの綺麗な女性が受付をしていた。

きちんとした感じを受け、少し安心。ツインベッドは、72ディラハムのしかなく、

ダブルで59ディラハム、朝食なし、トイレなし、風呂付きに決定。

 

  部屋はそう広くはないが、白壁に塗られコンパクトによくまとめられている。

バスルームも別箇に綺麗な飾りタイルを貼られ、ホーローの浴槽、ホーローのビデ

ホーローの洗面器。タンスの中もカビ臭くなく、ベランダも一応あり、中庭が

見下ろせる。ベッドの上のムード照明は、磨りガラスに模様が浮かび上がっている。

掃除も行き届いており、光っている。

カーテンとベッドカバーは、濃いサーモンピンクと赤味がかったベージュで

まとめられている。バスルームも同系色で統一されている。

  喜びのあまり、ベッドにひっくり返る。ベッド脇には一枚ずつ獣の毛で出来た

赤い絨毯が敷かれている。王侯貴族の気分にすぐあっけなく、なる。

一体にすぐれたホテルほど室内装飾がうるさくなく、シンプルに清潔にまとめられて

いるようだ。あまり花模様や柄で誤魔化していない。

どこだったか、さる安ホテルでは、真緑のカーテンの中にお猿が馬にまたがっているのがあった。

 赤いチョッキまで着込み、さすがにど趣味を感じた。他の部屋は、全く異なった

花柄とばらばらである。セールで買い足し買い足しして来たのかな。

 

  振り返って、ここのホテルはシーツや枕カヴァーは、言うまでもなくパリッとした白である。

 

  そう言えば、部屋に案内される時、白制服のボーイが薫のバッグに手を伸ばしかけたら、即座に強く、NO!!と叫んだのでボーイはビクッとして、驚いて手を引っ込め、

フロントの女子の耳目も集めた。あわてて優しげに、No,thank you.と付け加えた。部屋に案内される時、ティップをやらぬと、還らぬ恐れもあるのでくるみはこっそり

1ディラハム用意したが、事も無げにMerci,,,と言ってドアーを締めてしまった。

チップもやる事なく、終わった。

 

  部屋では、久々の入浴。午前10時の朝方のことである。入浴していると、掃除のおばさんがべッドメーキングをしに来た。風呂は熱くはなく入れるぐらいの温度。髪も

洗い、髭もそり、垢も落とした薫は、生まれ変わったように鼻の頭を光らせていた。

 

くるみも入浴。万全の準備を整え、出すべきものも出し、モロッコ退治に出かけた。

腹には貴重品袋、首には古いアサヒペンタックス。合言葉はチップやらんど、とことん

値切ったるぞ。

  事前に客引き退治のため中国語を練習。今日は中国人になりすます予定なり。

 

 ホテルを出る時、見かけた日本人らしき人にレストランを聞こうと戻ると、彼は

モンゴル人だった。昼食は近くのBEEF屋さんで。

薫はトマトの上にゆで卵、その上にマヨネーズをかけ、間に黒オリーブを三つ散らした前菜に、肉の焼いたのに茹で野菜の一皿。ビール。

くるみはトマトサラダと、ブロシェット(串焼肉)、茹で野菜付き。コーク。

どれも量があり、まあまあで値段も許せたので、勘定でぼるような事がなければ、

これから毎食ここに来よう、と二人で密かに心に決めていた。しかし、、、

黒丸顔のオヤジが持って来た勘定書きを見て、お前もか、と思う。

食べた物の他に10ディラハム多い。何かと聞くと、serviceだと言う。カウンターの中で

料理を作っている田舎者んそうなおっさんに薫が確かめにゆくと、黙り込んだ。

腹が立ちそうになったが、この種の鬱陶しさにゲエーが出そうになっていたくるみは、

言われた通りに払ってしまった。お得意の店がないと困ると言う判断もあった。

あちこちでそのたんびに喧嘩をしていては、しまいに安料理屋の少ないこの街で

食べるところがなくなってしまう。

 

  オヤジにserviceは何パーセントかと聞くと、しばし考え20パーセントと書いた。

20パーセントなら、大体計算は合うのだが、何となく腑に落ちぬ。

 

  ふたりで首をかしげ腹も立てながらメジーナに向かう。

途中、横断歩道を渡ってくる女子学生ふたりを見つけたので、service20パーセントは何処でも取るのかと質問。ふたりは即座に首を縦に振る。これだけ食べて10ディラハム払った、と言ったら、I don,t knowと言って笑って逃げた。

確かには分からないが、20パーセント取る店もあるようだ。ここの地ではおかしい事でもないのかしらん。疑惑が少しだけ薄らいだ。もし2日居なければ、決して言いなりには払わなかっただろう。

 

  明日、マラケシュを去ろう。メジーナの手前で又客引きが寄って来たので、

プーシー(不是)と繰り返し言ってやったら、少年はwhat is プーシー?と聞き

そのままポカーンとして見送っていた。これは効果があった。この後も寄ってくる奴にはこの手を使う。

しつこい奴には、ウオーシー、チュンコク(我是、中国)と言ったら、あー、チューコクと言って黙って去っていった。

やはり、日本人だから狙われるのか。そうではないかとは思っていたが、やはり

狙われる国民とそうでないのとがあるのだ。

不思議と、利害関係のない女子供は、我々をチノと言い、金をせびる輩はJAPONEと

思い寄ってくるのだ。チノになりすまそう。

 

  午後2時過ぎ、円形市場に着いたが、昨日よりは人通りが少ない。

メジナに入ると、昼休みか閉めている店もあった。

とにかく、ぐるりと徘徊する。目一杯奥に入り込むと、少年にもう行き止まりだよと、

教えられた。

くるみが怖い顔をして歩いているので薫は店に入ってみようと誘う。

近くの金属器物屋に入る。真鍮の皿を試しに幾らか聞いたら、50ディラハムと法外な

値段。値切ってみたら、40が30、30が25まで来て最後にくるみの言い値にプラス1した21ディラハムで落ちる。この地では最初に店の人が値を言い、次に客の言い値を聞く。交渉はここから始まる。まあ、真鍮だし、500円とつけたいところだったが、

複雑なイスラム模様の労を考え、20という無難な値に決めたのだったが。

 

  おやじはくるみがそれ以上ちっとも値をあげてくれぬので困った様子をした。

帰ろうとしたら、即座にオーケーした。鼠色の紙に包んで渡された。今晩来ると

慰めて笑顔で店を出る。おじさんは物を売ったのに、しょんぼりして見えた。

 

  このメジナには、香辛料屋、金物屋、絨毯屋、サンダル屋、ベルトなど

革製品屋、ハンドバッグ屋、小さな立ち飲み屋、洋服屋、焼き物屋などがあり、

裏手には小さな小屋があり、そこが仕事場になっている。

  ここを巡ると、あちらこちらから、ジャポネ、サヨナラ、コンニチワ、

タカイ、といった言葉が投げつけられる。ある店では、”見ろ”を間違えて

”ムロ、ムロ”と数人で叫んでいた。

店屋のおやじがなぜ、タカイ、タカイとどなるのか。自分で営業妨害をやって

のけているのか。悪意ある日本人が教えたのかもしれない。

 

  しばらく行って西洋人客の居た大きな絨毯屋で革のスツールを見る。年寄りの

おやじが重い調子でゆっくり進めるので、気がべとつく。すでに術中にはめられているのか。

最初に聞いたスツールの値段は、120ディラハムで、裏に120と書いたシールが

貼り付けてあった。正札でござい、というわけだ。わあー、高いなあ、と驚いてみせると、How much?  How much?とこちらの望む値を聞いて来た。

くるみは日本で買う値はともかくとして、革の材料費とはじめさんが土産に買ったという辺りを勘案して2000円から3000円と目星を付ける。70ディラハムと言うと、

相手は話にならんと言う態度で、もう一度、How much ?を繰り返すが、くるみも

70ディラハムと鸚鵡のように繰り返した。

何を言われても、70、70、70。相手が何を言おうと、金がない、家に帰れない。

疲れたので、相手が85ディラハムと叫ぶ中を店から出ようとすると、おやじと青年ふたりで止めよる。

それでも70ディラハムにならないので、店を出たら青年が追って来て、72ディラハムと言ったのだが、気力と体力を補うため、また他の店で相場や品物の種類を探るため、

又来る、と言って振り切った。

 

  カフェで休んだ折に、薫がそばの客のにいちゃんに相場を聞くと、100から300くらいで、高いのも150くらいに値切ればいいと、教えてくれた。

うんと安いのだと、50ディラハムぐらいからある。これで目処をつけ、カフェで金を崩してちょうどの金を払う準備をした。財布に70ディラハム。左ポケットには、1ディラハム銀貨と20ディラハム。

  他の店でスツールについて聞くと、一見よぼよぼの爺さんが精力的になって,400

ディラハムと吹っ掛けてくる。アメリカだと500だ、質は抜群、デザインもいいと言うが、高すぎると言って店を出る。再トライ。さっき、やや小さいスツールを70余りまで

下げたのに話は振り出しに戻された。

買う意志ありと見たためか。矛先変えて別のを見せてもらうと、220ディラハムだと

ぬかす。くるみの言い値はまたしても70dh。また話にならん。薫が100ぐらいやな、と言い、くるみもまあそんなもんやろ、と目論む。しかし、100で言うと必ずそれ以上にしかならぬので、70を85、そしてこちらが100まで降りると向こうも110まで降りて来た。

  もう少しと囃し立て108で決まりそうになり、店員もため息をついたところで

薫がスツールの裏を見ていて突然、”ダメだ、こりゃ、こりゃいかんわ。”と言ったので

見ると、120というシールがぺたんと貼ってあった。

  店員は、”old price!"と繰り返すが、ふたりでNO!と断る。

 始めっから、仕切り直し。やっぱり、言い値は70DH。

店員は私達を、クレイジーだ、フールだと言うので、我々も笑って、We are crazy!と

自ら名乗った。

  一旦向こうに下がった店員が戻ってきて又値段を聞くので相変わらず、70ディラハムを繰り返す。店員は言うことをコロコロ変える。愚痴までこぼすが、一向に

気にならなくなった。お互いに他国語で静かな罵り合いを続けた。

100に少し上乗せしろ、というが85と言ったら又決裂。今度は90と言った。

随分と渋り、君たちはスツール一個買うだけだが、私は70個も80個も沢山のスツールを

持っている。一人だけを相手にしておれるかと、しばし姿をくらます。

気を取り直して戻ってきても、90に上乗せしろと、ほざく。結局、92で手を打った。

一枚一枚数えて相手の掌に乗せて、1ディラハム硬貨2枚でちょっきり払ったら

顔を見合わせて苦笑していた。

  荒く包まれたスツールを抱えて飛んでホテルに帰る。

インフォメーション先のイタリア料理店で、くるみはボロネーゼのパスタとコーク、

薫、ラザニアとビール。それに焼きパン付きで食べた。

少々高いがここは、明朗会計であった。ろうそくで雰囲気を盛り上げ、味もまずまず。

serviceを払ったので、勿論ノーティップ。ドアーを開け、にこやかにボンソワ〜、ムッシュと言った老ボーイには少し気の毒であったが。

宿の支払いを済ませた。

ロッコのミカンを食べて眠ろう。今日は長い1日だった。このホテルにはもう

何日も居る気がする。

消灯。

 

 

 

 

 

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