優雅なホテルをおん出てフラメンコの夜 12月9日

  アルハンブラパレスホテルでの華麗なる目覚め。やはり、凹まないベッドは良い。いつもは安宿で壁が薄いため、ひとの話し声やらがうるさくて目が覚めてしまうが、今朝はそれも無い。静粛なひと時。

ゆったりした硬めの広いベッドの中で束の間のぐずぐずを精一杯引き伸ばして、優雅につかり尽くそうとする。

  9時半頃起床。10時半過ぎホテルを出る。精算しようとすると、食べていない朝食の分までプラスされていたので、薫が指摘。あらかじめ計算していた額とやっと合致し支払いを済ます。客は我々が最後のようであった。支配人が、”ブオン ビアッへ”と言い、薫はサンキューと応じた。ほんとは、ムーチャス グラシアスではあるが。

 

  今日の宿の第一候補は、Hostal Residencia LISBOA。700と書いてあったが、シャワー付きで1000ペセタの部屋しかないとの事。部屋も床も綺麗なので決める。12時チェックインの為、テレビ室で待つ。

  通された部屋はくるみが見ていたのと同一ではなかったが、この三階のトイレにはちゃんと鍵がかかるというので、なにも言わなかった。きっと宿の人は無頓着なのだろう。悪意や企みからではないだろうと、スペインに居ると思える。ここは廊下のタイルも綺麗で、トイレやバスもよく手入れが行き届いており新しく保たれている。ベッドは脚部が車付きのものであるが、シーツやタオルも清潔で居心地よさそうだ。

  宿のおっさんに電話局と、トレべ、3Bと三拍子揃ったレストランを聞く。おっさんはたいそうせっかちな人で、人の腕を掴み、壁に貼ってある地図の前にゆき、わあわあと説明する。レストランはわざわざ階段を降り、曲がり角まで行って指差して教えてくれた。

このおじさんの教えてくれたレストランも、例の、NUEVO RESTAURANTEであった。

 officina de telephono郵便局にゆく。

薫がボックスに入り、pension MATASのおっさんに電話する。最初、おっさんはクールにスペイン語で話し始めたが、こちらが英語で名乗り、覚えているか、と言うと急に声が数倍大きくなり、やあ、とか、Si!とか叫んだ。こっちも一緒になって笑っていると、How are you?と挨拶された。手紙を受け取ったかと聞くと、読んだ読んだというので、手紙の文句をとって、That's all right?と聞くと、Of courseとか答えた。すんなり話が済んだので喜び勇んで、スペイン語で礼を言って受話器を置いた。

出ると、くるみが、日本人と話しているように笑っていたと言った。

 

  NUEVO RESTAURANTEに出向き今日は一品ものを頼む。SOPA DE MARISCOS。これは昨夜旨そうに食べている人がいたので、店の人に聴いたんだった。

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NUEVO RESTAURANTEの主人

少し待った後、銀色のボールに入れ温められたスープがやって来た。ふたりの前に置かれたスープ皿に注がれる。175ペセタと、セットメニュー分くらい高いが、中身は豊富である。

トマトをベースにした朱色のスープに、白身魚、6センチくらいのイカ、ムキ小海老少々、それに揚げパンが浮き実として入っている。一口飲んだ時は、いやあオデンみたいやなあ、と叫んだが、これはイカの味がきいていたからかな。皿に実だくさんに盛られたスープはそれだけで空腹を満たす事が出来る。取り立てて変わった香辛料を使っているのでもなく、トマトの濃度がちょうどいいので、材料の持ち味が生かされているのだろうと思う。ワインも当然隠し味に。いい料理だ。あと、マカロネスを食べ、昼食を終える。

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レストラン店内

 

  宿に戻り、薫は休息、くるみはたまった日記を書いていたらしい。3〜4時間後階下に降り、先ほど薫が聞いていたフラメンコのことをおばさんに聞く。おばさんはすぐさま一冊のチケット束を出し、ここがいいと言った。800ペセタらしい。選ぶよりどころもないので、この

REINA MORAにしようか、とふたりで相談し、行き方や時間などを聞くと、午後10時15分にこの受付で待てば、迎えの車が連れて行ってくれるらしい。帰りも送ってくれるとの事で、

この送迎賃と飲み物一杯分が800ペセタの中に含まれているのだ、と言う。トクチンなように

思いチケットを買う。

 

  夕食までぶらぶらと土産物屋を見て回る。良質な絨毯やタピストリを置いている店が有ったが、値段高く、諦める。この店で作っているようで、飾り皿を探したが、どれも今一つ物足りぬ。凝ったものは値段もいいので、冷やかして歩く。モロッコの皮スツールを売る店もあり値段を聞くと中くらいので、3000ペセタ、約6900円というので、内心ほくそ笑んだ。

土産物屋は夜7時には店を閉め始め、もうそろそろ食堂も開く時間なので、NUEVOに向かう。行く道々、土産物屋を見て歩いたが、どこもかしこも中途半端なものを少量づつ置いていて

特徴がない。なかなかコリっとした店がないのは日本と似ている。

 

  NUEVOは昨夜ほどまだ混んでいず、すぐ坐る事ができた。気に入ったSOPA DE MARISCOSを頼み、プラス薫はsolomillo de la casa,くるみはpollo fritto con ajosを頼む。

 pollo frito con ajosは、鶏の骨付きぶつ切りを油で揚げ、にんにくのすりおろしとタップリのオリーブオイルのタレと共に皿に盛ってある。フライドポテトもこの中にごちゃ混ぜになって浸かっている。塩気はあまり感じられないので、自分で味付けせよと言うことなのだろう。このpolloは180ペセタで、たいそうボリュームがあった。薫のは期待に反して、ただの豚ステーキだった。ささみのようにあっさりしていた。

 デザートには奮発して生クリーム付きプリン、flan con nataを頼む。自家製で旨し。一個

90ペセタ。これで止めを刺して、宿に帰る。フラメンコにゆくまで休息。部屋にパネルヒーターがあったが、暖まらないので、おばさんに言いに行った。少しづつ温まる。高いホテルはやっぱり暖かいんだなあ、と感激する。

 

  10時10分に階下に降りて待つが、15分になっても車の来る様子がない。おっさんにチケットを見せて聞くと、急に慌てた様子で電話をし車を呼んでいた。あっ、きっと忘れてたんだぜ、と薫が言う。

5分経っても何事も起こらないので、800ペセタも出して途中からだと損をするので、二人して

いらいらして待つ。全然来ないではないか!おっさんに、too late!と言い、もう、止めるか。。。と日本語で叫ぶ。おっさんはますます焦り狂い、電話をしては、5minuteを繰り返す。

 

  しばらくすると、ブザーが鳴り、転げるように下りるおっさんについてゆくと、一台の赤い乗用車が待っていた。すっ飛ばしてタブラオへと急ぐ。途中、山際の道を登ってゆく時、右手下方に霧で霞んだグラナダ の街が見えた。

 

  着いたところは残念ながら、穴(cueva)ではなく、家(casa)であった。

10時半を過ぎていたが、これから始まろうとしているところだった。

我々の他には、正面に席を占めた五人連れくらいの白人と、二人連れだけだった。

舞台は意外にも小さくコンクリートの少し高くなった台で、背景には、田舎の芝居小屋よろしく、グラナダ の景色らしきものが描かれていた。

 

  フラメンコギターのテープをバックに、大々的なショウが始まるかのような口上がマイクを通して流れ、フラメンコが始まった。踊り子は3人で、ふたりは年嵩のおばさん、ひとりはまだ若い女の子だった。これにギター弾きと歌い手、男の踊り手の計6人でショーが作られている。

 

  若い女の子が一番スマートで見てくれも綺麗だが、いまいちこなれていない感じがした。

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黒い髪の毛を束ねた典型的なスペイン南部のおばさんは、身体が太っているにもかかわらず、実にこなれた踊りっぷりに見えた。

 

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  ギター弾きは抜群に上手く、速さもテクニックも相当なもの。自由自在に操っているようで、耳目を奪った。歌い手は、襟の立った白いブラウスを着て、ボタンを外したところからたくさんの胸毛を覗かせ、髭の剃り跡の青々とした人で、歌い方や声のはりあげた方が日本の民謡を思い出させた。

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 踊り子は一人ずつかわりばんこに出て来て踊り、最後に皆が出て踊りフィナーレとなった。

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  このショーの中で一番良かったのは、ギターだったかもしれない。情緒を混えずに、高度なテクニックを駆使して淡々と弾いてゆく。思い入れや溜めで惹きつけるのではなく、一種のスポーツのように、がむしゃらに弦を掻き毟って、そのフレーズやエネルギーで人を圧倒する。チャーリーパーカーもこれに似ている。短い時間の中に凝縮されたいくつもの起伏がある。

 

  バーに金をせびりに来る、セーターを着たヒターノ(ジプシー)の少年を考えながら、踊りを見ていると、タダごとではないと言う気がした。

 

  帰り、迎えに来てくれたおじさんの車に乗ってホテルに向かう途中、サクロモンテの他のタブラオ(劇場)やCUEVAのバールの前を通り、見せてくれた。ここには土産物屋も有ったが

どこも閑古鳥が鳴いているようで、人自体いなかった。

さっきのタブラオでも随分と人が少なくて、これで大丈夫かと思ったが、後から来た人も含めると、中では結構流行っている方かもしれない。山に空いた人の住む穴は、思っていた洞穴でなく、白い岩などで山の斜面に造った屋根のない家が多かった。

 

  宿に帰ると、眠そうな顔で新聞を読んで起きていたおっさんが鍵を渡してくれた。ホテル稼業もきついものだ。部屋に入ると、消しておいたはずのパネルヒーターがつけられ、部屋の中が温もっていた。気を利かせて寒いだろうと点けておいてくれたのだろう。

ぬくぬくして眠りに入る。

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