11月3日 バーリで会った写真家テレサ

10:10 BARI行の汽車に乗る。出発ホームを間違え、NAPOLI CENTRALEで待っていたが、ぎりぎりに気づき、Change。

 

  その時、アメリカとイタリアの混血の人も我々と一緒にP.GALBALDIへと走った。結果として、彼女に情報を与え、助けたことになり、のち、道連れの友達となった。BARIまでの風景で気づくのは、ぶどう畑とオリーブ畑の多いことだ。オリーブのことは道連れのアメリカ人(TERESA GREEN)に教えてもらった。

 

 

  大地には空地も多いが、ともかくぶどうとオリーブは交互に延々と続いている。オリーブはかなり古くなっているのか幹も太く、丈は数メートルの灌木である。実のイメージもあるのか。青黒い印象が残る。根を中心に半径数メートルの輪の中は雑草が全て抜かれ、茶色い大地があらわれている。余計な養分をとられないようにか。また、鋤ですいたように大地に浅い畝ができている。練習前のグラウンドのように。

 

  ぶどう畑はあまり背が高くなく、日本より隙間が多いように見える。もちろん山梨の山のぶどう畑に見られるような巨大なビニールカバーはない。平たいサボテンもあちらこちらで踊っていた。

 

  車中では薄いチーズのサンドイッチを食べ、初めて買ったミネラルウォーターを飲んだ。TERESAが前に座っていたが、何となく分かたず、全部2人で食べた。水を買っておくとジュースのように、たくさん飲まないので、余計に水分をとらず、経済的だと思った。水を買う感覚が馴染めないのだが。

 

  BARIに着いてからは、TERESAが先頭に立って宿探しをすることになった。彼女は、"Let's go Italy"をめくりながら、あちこちのペンションに果敢にアタックするのだ。3軒目にいいのを見つけた。Pensione Serena Wで14000リラとかなり安い。部屋を見ると、ダブルベッドの他、シングルベッドが1つ置いてあり、洋服タンス、大きな鏡のついたドレッサーはベッドの頭の部分と同じ花模様が施されていた。部屋はBAROSAくらいの広さで、バルコニーがあり、道路が見下ろせる。カーテンは、窓につけたレースのと、丈の長い白い透けたようなカーテンで、全体に小ぎれいだった。もっともシャンデリアは3つのうち1つが壊れていて暗く、スタンドも1つしか使えないので、明るさは十分ではなかったが。

 

  しばらくしてTERESAは、ベッドが小さく、窓がないので、宿を変えると言ってきた。一緒に散歩するなら宿まで行くか、というので出かけることにした。PENSIONE DE CORSAにゆく。彼女は "Very nice"と言いながら、5階から降りてきた。7600だったか。彼女はアルベロベッロ行のバスタイムテーブルを見るために、我々は買い物をするために、そして夜には一緒に食事をするために、共に出かける。

 

  まず、レストラン(OSTERIA)を見つけにゆく。彼女のホテルから近く、すこし下町に入ったところにあった。周りは割と小汚いごちゃっとした風景である。隣が包丁屋だった。階段を降りた半地下にある食堂だ。その夕刻にはまだ店を閉めており、7:00からだと言った。それからマーケットを見つつ、タイムテーブルを探す。食物は徐々に買うことができたが、タイムテーブルは何度聞いてもへこたれるということがないのにいたく感心した。気力が後退していくということがない。手当たり次第に、人をつかまえて質問する。ぐんぐん歩く。あんたにはアメリカの開拓精神とイタリア人の笑顔がないまぜになっている、と言ってやった。

 

  思い出したが、下町を歩いていた時、彼女の学校や商売の話からか写真のことへ話が移った。(くるみが大学で何をやっているかきいたら、ArtとPhotographだと答えた。)何という写真家が好きかというと、アメリカの何とかいう新進の写真家が好きだと答えた。運悪くその名前を忘れた。Walker Evans とかPaul Capnigroの名を挙げていたところを見ると、俺と趣味が似ているかもしれないと思った。3〜40年代には写真の本場はアメリカだったからな。日本の写真家では細江英公や秋山亮二、土門拳を知っていた。こんな名前が知られているとは思わなかった。篠山紀信を知らないのは面白かった。彼は日本の中だけで活躍しているのだろうか。彼女は下町では、キリストの像(ろうそくで祀られている)を撮った。なんと、シャッタースピードを聞くと1秒であった。よほど腕に自信があるのだろう。やや題材がWalker Evans的だなと思った。

  7:00に食堂にゆくと、町の男たちでいっぱいだった。右手前のテーブルだけ空いていたので、そこに座ることにした。テーブルはがっちりした、しかし何の飾り気もない古びた木でできており、オーダーするとおっさんがわら半紙のおおきいのを上に敷いてくれた。たぶん、これはテーブルクロスのかわり。天井はあまり高くなく、壁もただ白いだけで、穴倉のようなつくり。男たちは口々に喋りながら料理の来るのを待っていたが、私たちが入ってゆくと、物珍しそうに見た。TERESAが言うには、イタリア人はあまり日本人を見たことがないので珍しいのだそうだ。

 

  オーダーは、彼女に任せるといったらてきぱき質問しながら決めていってくれた。VinoはRosso,Secondはステーキ。Vinoを持ってきた時に、塩漬けオリーブも持ってきて、パンは硬そうな3つの切れ端をぽいと机の上に放り出した。彼女はビール。オリーブをつまみながら待っていると、Primo Piattiのマカロニトマトソースが来た。ゆで方よし。味もまあまあ。くるみは彼女のマネをしてフォークにコショーを乗せてかけた。Secondはビーフではなく、ポークであったが、レタスとトマトのオリーブドレッシングかけがついていて美味しかった。パンは硬そうに見えて中は柔らかい。Vinoは薄くてかっぽかっぽ飲めて困った。やはり1本(1L)にすればよかったと、また悔やんだ。最後には、はっきり汚れたビニールのカゴに小さい葉つきオレンジとバナナまで出て来た。彼女にならってオレンジの皮をむき食べた。バナナも食べた。これで2人で8000リラだった。安い!

 

 

  話の途中には、三島・川端などの名前が出て来ていたので、食卓では詩の話を持ちかけると俳句を読んだことがあるという。誰のだが忘れたと言うので、芭蕉かというと、確かそうだと答えた。2番目に有名なのは(偉大な)と言ったので、其角だと答えた。すると、くるみが隣で蕪村だと舌打ちした。ノートに其角の句を書いてあげたあと、テーブル敷きのわら半紙に5・7・5のHaiku Rhythmを書いて教えてあげると、それもちぎってお土産にした。

 

  よく話したと思ったが、まだ8:00すぎだった。BARIの交差点でお別れをした。「あなたたちが初めての日本人だ、会えて嬉しい。ニューヨークで会いましょう」と言った。気持ち良く眠る。