11月4日 香港人 劉くんとの時間

  8:30まで寝過ごしたが、急いで9:35発の列車に乗った。列車の中でサラミのサンドイッチと、グレープフルーツの朝食をとった。BRINDISIの旅行代理店で、2等席のチケットを買っていると、横に東洋人が来て知り合いになった。薫はてっきり日本人だと思って声をかけたが、彼は劉くんという中国人だった。港のそばのユーレイルパス事務所でハンコをもらい、POLIZIAに行ってまたハンコをもらい、何ということなしに手続きが終わってしまった。12:00。1時間後に再会することを約束して、我々は昼食のための安い店を探した。SELF SERVICE RESTAURANTにて合計1600円の食事をする。

 

◆薫

・白いパスタとホウレンソウ入りパスタのクリーム煮

・ピーマンの中になすを入れてトマトで煮込んだもの

・パン2つ

・赤ワイン

 

◆くるみ

・ミックスサラダ

・あらびきソーセージの煮たの

・パン2つ

 

1:05頃、劉君とあって2時頃まで話し買い物に出かけるも、4時頃までイタリア人のお昼休みにあたり、どの店も閉じていた。駅まで小便に行って、前の木立のベンチで休む。閑話。3時過ぎ頃、波止場に戻り左に曲がったところにある古典的な柱とその残骸を見た。寒い中をうろついているうちに4:00になったのでスーパーに行くが、駅のそばの店は5:00からだと言われ(たばこを吸ったおねえさんに)、イタリア人は怠けもんやなあと言いながら、STANDAのMARKTOに行った。今晩から明日にかけて船中での食事のためである。同じく船に乗り込むらしい人々が皆買い物をしていた。パンも売り切れに近かった。(あとで船の中に乗り込む人を見たら、やっぱり皆手に手にSTANDAのビニールを下げていた。)このあと、劉君と別れて夕食をする。実は劉君にCapptinoを奢ろうと思っていたのだが、薫は気が変わり、「金で人に施すことはやーめた!」と大声で叫んだのだった。残りわずかなイタリアリラでカプチーノ2杯とピザ1枚ずつ立ち食いするつもりだったが、表通りの店のピザは切り売りできあがり済ピザでもって、2000リラもとるという。そーんなバカな!あまり高いのでやめて店を探すが、スパゲティー1皿ずつも難しい。横丁に入ったピザ屋で安いピザがあったが、店で頼むとserviceもtaxも飲み物もつくし…と迷っていたら、薫が持ち帰り可能かと聞いた。OKだというので1000リラのと1500リラのを1枚ずつ買った。2つ折りにし藁半紙で包まれたピザは以外に大きく温かい。店の前で広げようとしていたら、お兄ちゃんが出て来て、特別製だけど同じ値段だという。港の前の公園のベンチに行って食べる。1000リラは出来立てで、ものすごくあつい。トマトペーストとチーズだけのピザでチーズが柔らかく外にたくさんはみ出している。1500リラのはなるほど特別製で、マッシュルーム、塩漬けオリーブ、玉ねぎなど実だくさんであった。

 

  これに昨夜買った青リンゴ(身がしまっていて酸味もあり美味なやつ)半分ずつを食べてほぼ腹一杯になった。capputinoは一番近いBarで飲んだ。ここのは香ばしくて

おいしかった。

 

  ビルに戻ると、劉くんと理恵ちゃんが何やら話しており、劉くんは同時に手紙も書いていた。我々3人が日本語でべらべらとしゃべりまくっていると、”日本語で話せていいね。僕は中国を出てからまだ一度も中国語で話していない。”とぽつりと言った。

夕刻6時半に預けた荷物を取りにゆき、船着場に着く。まだ10人ほどしか来ていず、

薫が”少ないなあ、これりゃあ、ガッラガラだぞー”と言う。その後ぼちぼち人が集まったが、それでも50〜60人くらいだった。若いバックパッカーが圧倒的に多い。薫は

ギリシャの船員とトラックの運ちゃんたちを追いかけ回して写真を撮っていた。

naturallyに写真を撮りたいと言っても、皆自然そうに演技をする。お獅子のような顔をしたPresidentと呼ばれる人だけが撮られるのを嫌がっていた。

  8時半頃まで待ち、そのあと、どっと中へ繰り込んだ。みんな我先に行こうとするので、ラッシュアワーさながらだった。押されながら、あちこちで羊を真似た、んめー、んめえーという鳴き声が聞こえた。ほとんどのバックパッカーたちはデッキクラスなので甲板に追いやられていた。室内に忍び込もうにも入り口で係員がチケットをチェックしている。

 前から2番目の、右端の割に落ち着けそうなところに席を占めた。最初は随分空いていると思ったが、出航前にはほぼ満席に近かった。話したり、隣に座った小さくてかわいいドイツの女の子に鶴を折ってあげようとしていたら、突然電気が消えて真っ暗になった。船は静かに出港した。くるみは船酔いを心配していたが、ほとんど揺れを感じさせぬほど、進んでいるのかさえも分からない。手探りでコンタクトレンズを取り、休む。

  南部の町、バリにあったトラットリア、Ditta ANCONA NICOLA での料理は、11500リラであった。Via manzoni 21にある。いや、Via Vallisa23にある。