11月1日 差別は感じる

  昨夜は、話し込みすぎ、疲れた。それに床についてからも、通りのオートバイなどの音がうるさくて仲々神経が休まらなかった。起きたのは8:15。もぞもぞしていると朝食だと呼びに来てくれた。ベーコンエッグ・トマトとレタス・コーヒー・パン・そして昨夜の残りのラザーニャの朝食をとる。

 

  10:00頃、一村夫妻に見送られて、ROMA TERMINAより徒歩にてコロッセオに向かう。今日は休日(祭日)だとかでどこの店も閉めており、車も少ない。15分くらいでコロッセオに着いた。

 

  無料の1階を見学。コロッセオは思っていたより大きな建物で、その割には闘技場は狭いようでもある。地下には猛獣を飼っており、その上に板が敷いてあったというが、今は板は一枚も残っていない。ところどころ崩れ落ちている積みレンガも隙間から下を覗く。立ち聞きした日本人のガイドの説明によると、階級ごとに席と階が決まっていたのだと言う。

 

  このあと、フォロ・ロマーノへ行くが、1500リラという値段で、入ることを諦める。横沿いの道より中を覗く。たくさんの観光客が仕切られたミリを歩いており、皆記念写真など撮っている。一村夫妻はとても良いと勧めてくれたが、ここは観光客のあまりいない夕暮れ時に歩いたら良さそうに思う。突き当たりまで行き、またROMA駅に引き返す。

 

  途中、Barでサンドイッチとカプチーノを飲み食べる。葉子さんに作ってもらったサンドイッチを電車の中で食べるための飲み物を買おうと思い、オレンジドリンクの値段を聞いた。1200リラと親父は言い、高いのでやめようと思ったら、1000リラにするという。全くどうなっているんだ、値段を変えるなよなーっと言いながら購入。

 

  駅には12:55発に乗り、サンドイッチを食べる。この電車はLOCALだけあって、さすがに観光客の姿も見えないし、ずいぶんと空いていた。いつもは乗っている急行など止まることのないよう何もない殺風景な駅にも停車する。こんな駅の傍らには、決まって子供が遊んでいたり、男たちが話し込んでいたりする。おばさんたちも線路傍にかがみこんでいたり。これがイタリアなのかなあと思う。家々もずいぶん荒れ果てた家が多く、今まで以上にぐちゃぐちゃだ。

 

  途中、30分以上も(経ったような気がする)停車したまま、いつ動くとも知れないので、2人で呆然としていると、何本かの急行列車が追い越して行った。しまった!あっちに乗ればよかった。でも仕方ない。NAPOLIには私達の予想していた4:00を大きく上回って5:30に到着した。

 

 

  ここは、泥棒が多いと噂の高い街なので、くるみはびびっていた。インフォメイションでまともな宿を紹介してもらおうと思い、探したが、Closedであった。帽子を被った比較的品の良いおじさんが近寄って来てHotelの斡旋をしてくれるというが、値段を聞いて(2人で15000リラ)驚いたようだった。

 

  このおっさんを断り、ユースに泊まるため電話しようとしたが、ジュトンの販売機が壊れていてガチャガチャやっていたら、急に見知らぬおっさんがジュトンをくれた。電話は中々かからなかった。何かコツがあるのかもしれないと2人でさんざんいじくり回した挙句、薫が家族連れのおばさんをつかまえて、電話をかけてもらい、やっと通じた。

 

  ユースへは地下鉄で4つ目の駅。ユーレイルが使えることを知らずに2人で券を買ってしまった。80円の損。地下鉄の駅とは思えない広い構内で線路が3本ある。天井も高く、しかし地下に位置している。電車の中は、どういう訳か異様な混みようだった。それも中高生くらいの若い子があふれんばかりに多い。私たちは当然遠慮ない目でじろじろ見られた。そんなに日本人が珍しいのだろうか。やっと駅に着き、ユースに行く道を探していると、オーストラリア人の二人連れと一緒になる。共にユースへ。

 

イタリアでは、ユースのことをオステッロという。ここのオステッロは、小高い丘を切り落とした崖に沿って建てられた新しい建物だ。何故だか、長期滞在者がいるらしく、窓から洗濯物が鉋なりになっているところもある。

 

  受付にいる係員とも何とも知れないおっさん、おにいさんが急に(私たちを見て)日本語で「コニチワ」「オハヨゴザイマス」と叫び出す。口々に自分の知る限りの日本語を喋り出し、やかましいので参った。好意を示しているつもりらしい。

 

  部屋はこじんまりとした6人部屋。洋服ダンスもついており、シャワー・トイレも各部屋ごとにある。ベッドメイキングを簡単に済ませて、地下食堂で夕食をとる。スパゲティボロネーズ、ローストチキン(薫は魚のフライのケチャップ和え)にレタス、ビール1本(小瓶)、2人で8500リラ。外で食べるよりは安いが、少々高し。でも、店を探す手間が省けて助かった。

 

  ここには、おかしなことにどこかのおばさん、という感じの人がボールをいくつか持って来てスパゲティスープかけや袋入りソーセージなどを買ってゆくのだ。そういえば、階段の下でもザルにスパゲティをたくさん持ったものを持っている子供がいたっけ。黒い犬も廊下を歩いているし、小さな子(幼児)のような声もあちこちから聞こえる。家族で住みついているのだろうか。食堂のおねえちゃんはすこぶる愛想が悪かった。

 

  次の朝、8時に会うことを約束して部屋に戻ると、先住の2人がいた。目顔で挨拶した他は、洗面所を聞いただけだったが、どうも言葉のかんじからいってドイツ人らしかった。私が1人暗いところで日記を書いていると、急に2人でげたげたと笑い出し、とても感じが悪かった。言っていることはわからないが、途中でヤーパンヤーパンというのが聞こえるところをみると、どうも私の話(日本人の話)、それもバカにしたような話をしているらしかった。ヤーパン、ヤーパン、ヤーパン、ヤーパンと嘲るように言われた時には、さすがに腹が立ったが、言い返す術もなく、自分が弱いのをもどかしく思いながら、床についた。

 

  他国人を1人の人間として見ることをせずに、自分の偏見で決めつけてしまう人など本当に頭が悪いと思うが、こんな風に良きにつけ悪しきにつけ、他人からヤーパン、ハポン、ジャポネなどと言われてはじめて、自分が日本人であることを強く自覚した。