2月20日日曜日 ミロ美術館でのやりとり

  久しぶりに雲一つない快晴。

 

  9:30に起きて朝食後、マーガリン?と桃ジャムのサンドイッチを作り、薄めエスプレッソを水筒に入れて、11時前fundacion Miroに向けて出発。Urquinaona(Linia I)のホーム上にある地下鉄駅案内板が電車の進行方向と逆に表示しているのがわかりにくい。電車の中では、日曜なので親子連れが多く、また色々な人が我々をじろじろみた。薫曰く、「ブスの子ほど人のことをよく見る。」

 

  また、しんどい石段をふうふう喘ぎながら登り、さらに車のびゅんびゅん通って歩きにくい坂道をゆくとMiroの美術館がある。なんだかおそろしく混んでいると思ったら、何とここは日曜でもお金をとるのだった。しかも1ptsも値引きしていない。けしからん。1100ptsMiroの作品は少しで、あとは他の人が展示しているのに高い。Japanese2人連れ、Japones3人組みあり。皆知ったような知らぬような顔をして通り過ぎる。

 

  入口を過ぎて右手奥の土産コーナー(図書室?)を覗いていると、後ろから誰かが近寄ってきた。振り向くとToni Vidalであった。また、小さな声でとめどなくカタラン語を話す。囲りもうるさいので、よく聞き出すために2人して耳を傾ける。まるで村の老人の話に聞き入る調査員のようだ。ほとんど聞こえずわからなかったが、「semana….Barcelona…….」と聞こえたので、たぶん我々が2/28Barcelonaを発つので来週あたり来ればどうか、と言っているようだった。彼は胸ポケットから手帳を取り出し、カレンダーの頁を出して、いつがいいかと聞いたようだった。やっとのことlibreという単語を思い出し、「Usted libre?」というと、242526と指した。24でいいか、と我々が言い、薫が「manana o tarde?」と聞いたら、1718と紙に書いた。17時で決まり。「Adios,hasta luego」と言って別れるときは、いつも無表情なのがふにぃ・・・と笑ったようだった。それにしても、よくもまあ、こんなに混んでいる中で目ざとく一度会っただけの我々をよく見つけたものだ。虫の知らせでもあったのだろうか。もしかしたら、超能力者なのかもしれない。

 

  Miroの絵については、若い時のを見ると怪奇的なところがあるので意外だった。年取ってからのは宇宙に遊ぶへたくそな虫けらという気がするが。くるみにはこの虫けらは虫歯の虫のように見える。また、パステル画が面白く見えた。1階右手の部屋では、現代美術の展覧会、左手奥ではカタルーニャの芸術、2階ではToni Vidal、あちらこちらでちらほらMiroがあるという具合。現代美術のところでは、うすい油紙でできた人の抜け殻のようなものが男女向き合って吊るされていた。観念に偏りすぎて肉体のないおばけのようなものも多く、いずこも同じという気がした。Toni Vidalの写真展は結構な客の入りで、面白がって見ている人も多く、日本とは少し写真展の客層が違うなと思った。まあ、他の展示もあるのだが。相変わらずToniは来てくれた知人と小声で話をしていた。2階屋上からはMiroの彫刻を前景にBarcelonaの市街が見渡せた。日なたのベンチでサンドイッチとコーヒーの食事をした。相変わらず犬を連れた散歩者が多い。でも、日本と違うのは西洋の犬は(もちろん飼い犬だが)食べ物を持っていても滅多に近寄ってこないところだ。人間と一緒に住んでいるからしつけが厳しいのだろうか。それに、たいていはシェパードが多く、これを筆頭に大きな犬か、チンやチワワのような小さな犬かである。雑種はほとんど見られない。日本のポチのようなのはいない。だいたいが西洋においては犬を飼うということ自体、金持ち趣味のようで、深田祐介の本に「イギリスでは犬を飼わないと一人前に扱われない」とあったのを考え合わせると、スペインも他の西洋先進諸国の真似をしているように思える。まずそこいらへんから仲間入りをしようというわけか。昔の陶器やさらにはシェパードの絵なぞ1つもなく、たいていは耳の垂れた茶色い犬なのだから、シェパードは土着の犬ではない。あの、耳の垂れた茶色い犬はいなくなったのかしら。サッカーシャツ(くるみの分)を買うためにEl Corteに歩いて向かう。ランブラスは人で混んでいるのにEl CortePreciadosも休みであった。これから日曜の午後2時過ぎは動かぬようにしよう。

 

  Apartamentosに戻る。とても疲れたので一休みしてから、ポトフー残りとオレンジを食べる。胃がしんどかったり身体が疲れたりしたとき、ポトフーのようなあっさりした汁物は身に染み渡る気がする。塩を加えたので、よい加減になっていた。なにしろうらぶれていたので、ぼーっとしているうちに5時になった。(実は話していたかもしれない。)

 

  早めに夕食をとってゆっくりしたいので、支度にかかる。シャンピニョン残りでシャンピニョンソースを作る。シャンピニョンに対して①トマトが少し多かったのと、煮過ぎて汁気がなくなったので、②Vinoを少し多く加えてしまったのと、③パスタの割に塩気を強くしたのとで全体のバランスが崩れてしまった。少しいつものより酸味が強い。やはり分量にはほぼ従った方がいいようだと反省。小麦粉があるのでキャベツとともにお好み焼きにする。肉はこのあいだのかたまり肉を薄く切って、くるみが牛丼にしようと玉ねぎと煮たが、間違えてソースを3滴入れてしまったので面白味の醤油とともに、けったいなものになってしまった。これを使った。日が弱いのとフライパンが焦げつきやすいため大変だったが、ソースでごまかして食べたら結構食べられた。うまくできなかったが、美味しい気がした。また、これに昨夜のCrema de alcachofasを食べ、オレンジ1個を半分ずつにして終わった。薫は洗い物とソーセージとキャベルのサラダ作り。くるみは床の掃除とたくさん溜まってしまった洗濯物を。二人ともテーブルに着いたのが10時少し前。今日は結構早く片付いた、と満足げ。薫はパスタの訳、くるみはこれから風呂に入り、できればヒターノの本を訳して寝るつもり。

2月19日土曜日 最後のペセタ両替やら帰り支度やら

 

  いつものように朝食を済ませ、metroにてUrquinaona下車。まずBanco de Vizcayaで両替を済ませた。たぶんこれがスペインペセタに替える最後の両替になる。この銀行で日本人アベックに会う。彼らは4~5日前に当地へ来たとのこと。乳液スリのことを教えてあげた。

  この間の額屋にゆき、額を選ぶが、安くて適当なのがない。どれもやけに細かったり太かったりで、バランスがよくない。結局しっかりした木でできた、角も丸みのある良さそうなのにした。当初の予定よりかなり高くて1707ptsだった。この出費は痛いが、まあ日本でこの材質で作ることを考えると、少し安いし、バラバラのタイルだけ持って替えるのと印象が全然違うので、まあしかたないかとも思う。出来上がりは来週の金曜日。午後6時~6時半頃に取りに来てくれということだった。気がかりな用事を一つ終え、この余勢をかってサッカーシャツを見る。El Corteにもあったが、デパートだと値段交渉ができぬので、カタルーニャからグランビアを西に行ったところにあるスポーツ店へゆく。しかし、ここは子供用ばかりでおまけに胸のワッペンがセルロイドみたいでちゃちである。仕方なくEl Corteまで戻り、シャツを薫が試着してみてから、Rebajas か?と聞くと10%引きだと男の店員が答えた。Preciadosにゆき、Rebajasでないことを確かめてからEl Corteに戻り、Extra grandeMedia1枚ずつ購入。女店員はひどく無愛想だった。Metroにてアパートに戻り、昨夜の残りの魚のスープとパン、ピクルス、それに残りのカレーパスタを薫一人で独占し、デザートに洋梨を食べて昼食とした。

 

  昼食が終わってから買って来たバルセロナのサッカーシャツをくるみが着てみた。薫に仲々よいと言われた。4人お揃いで買って帰ろうか。薫は夕飯のポトフーの仕度をしている。(くるみが話しかけたら、何となくEl Corteの店員のように無愛想なのでどうしたのかと思ったら、先ほどセリーヌの話が出て、くるみちゃんどうせ買えないもん、どうせ100円のパンツや1000円のシャツや高くてもサッカーシャツだもんとちょっと冗談で言ったら、それが気に障ったらしい。薫の前ではセリーヌのセの字やグッチのグの字も言えないと嘆いていたら身体が悪くなりそうになった。ああん、どうせくるみちゃんはみかんだもんね。)薫が洋梨(西洋女性)に魅力に感じたため、くるみは我が身を日本のみかんに例えた。

 

  今ポトフーに使う牛肉のかたまりを切った。500g余りだから12×22×6くらいの大きな塊であった。これを包丁ですーっと切るのは非常な快感である。もちろん家の包丁は肉屋のほどよくきれぬので、すーっととまではいかぬが。肉屋はさぞ肉を切るとき気持ち良いことだろう。薫は「わあー気持ち良い。ぜーったい肉屋も気持ち良いんやで」とすでに決めつけている。

この後、ポトフーの鍋を仕掛けておいて、Crema de Alcachofasを作る。

 

ポトフー〉

  • 作り方◆
  1. ごろごろした牛肉450g(塩胡椒済み)をサラダ油で炒める。
  2. ①をぶつ切り(大切り)にした人参2本、セロリ3本、皮を剥き丸のままの玉ねぎ小5個、パセリ1茎、月桂樹の葉1枚 もろとも水から茹でる。
  3. 飽きるほど茹でる。
  4. 塩胡椒で調味、出来上がり。
  • 反省◆
  • 塩が少なかった。前は成功したが、うっかりすると味加減がちゃらんぽらんになる。大胆な塩づかいでよし。
  • 好みとしては、もっと煮込んでスープも少ない方がよい。今回はかなり多くスープがとれた。

 

Crema de Alcachofas---スープの本参照。

  • 作り方◆
  1. ベシャメルソースを作る。バター25gに小麦粉25gを混ぜ合わせる。フォークで押すがよし。よく混ざったら、これをフライパンにあけ、熱し溶かしてから徐々に250ccの牛乳を加え、混ぜ合わせる。これがドロリとしたら塩胡椒、ナツメグで調味する。呉々も、調味料のどれかが出張らないこと。なおかつ、味頼りなくならぬこと。
  2. 一方、とかくするうち、どこが食べられるかよくわからぬままに剥いたアーティチョーク3本文の内部を25gのバターで炒めてから水大さじ23杯を加え、柔らかくなるまで煮込む。
  3. ②に①を加え、よく混ぜ合わせ、10分以上煮た。あまりに粘り出したし、よく煮えぬと困るので、少し水も加えた。
  4. アーティチョークが柔らかくなり、濃いスープが出来上がったら、生クリーム50ccを加え、沸騰させぬよう温めて出来上がり。

 

  • 反省◆
  • どこが食べられるか判らなかったので、いっぱい皮を剥いたら、随分食べるところが少なくなった。今度は頭を切り落とし、柔らかそうなとこから食べるようにすればよい。
  • クリームを少し煮込みすぎた。粘度が高い。ベシャメルソースを柔らかめに作っておいて、アーティチョークと煮て、良い加減に持っていくとよい。
  • アーティチョークは空気に触れると、剥いたそばから黒ずんでくるので、すばやく剥き、切り、調理する。本にあるようにレモンをかけたが、それほど効果がなかった。

 

食事後、かなりくたびれたが、気をふるってくるみが中心になって、陶器類の荷造りを終えた。実はこれに3時間を要した。

2月18日金曜日 気味悪い顔の魚がいい味を出すの巻

 

  これはsopa de peseado用に市場で買って来た魚の頭である。Pescado de roca o pescados pequenos cuya carne se desmenuce al hervin(para sopa)と書いた紙切れを渡したらこんなのが来た。政治家のような顔をした恐らく岩の魚という魚。体の色ベージュにてこげ茶の斑点(大小いろいろ)有り。眼細く鋭く何物かを見据えている。肌はやすりでこすったように、或いは猫の舌のようにざらざらとした感触である。あまり変わった魚なので、写真におさめたのち、ぶつ切りにした頭だけ絵に描いた。他にはきょとんとした眼のうなぎのような魚(グレー)大小2尾と歯を取られたアンコウ小1尾と、気味の悪い魚ばかり来た。これらはここの魚屋のべっぴんの娘(細身、色白、黒髪)に大きな包丁で内臓を取り出され、ビニール袋に入れられた。600g175pts。ダシ取りの魚にしては高いが。

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  あまり魚のことが衝撃的なので先に書いてしまったが、朝起きたところに戻ろう。

  起きたら10時過ぎであった。昨夜酒を飲みすぎたため、薫は二日酔い気味らしい。それでも何とかパンを買いにゆき、焼きたてのパンとCCLにて朝食。べっぴんのお姉さんから買って来たと二日酔いにしては余裕のある口ぶり。しんどいけれども、もう食糧がないので市場へゆく。今日は正調sopa de pescadoを本の通りにやるつもりである。「岩の魚、あるいは肉を煮る価値のない魚」がどれかわからぬので、紙に書いて持って行った。この件は先に書いたが、とにかくすごい顔や姿をしたのばかりよこした。このうちで最も不気味な岩の魚はサメに似ており、氷の上に何匹も積まれているのを見たときは、ひえー、嫌な奴っちゃなあと思っていたのに、これが真先につまみあげられたのは少しショックであった。もっと小さいかわいい小魚たちが来ると思っていたのに。

 

  あとは感じの良いおばさんの店でムール貝400g、その他シャンピニョン、トマト、玉ねぎ等々。牛肉屋では、また薫がカメラを向けたが、「No,no,撮ってはいけない」と言いながらも急におっさんの愛想がよくなるのであった。脈あり。今日はシチュー用の牛肉の他に、骨1個とパセリ少々もらう。牛骨はこの間タダだと思っていたが、10ptsとられた。「でも、おまえ10ptsなんてかわいいもんよ」と薫が言う。相変わらず繁盛している。香辛料屋も然り。

 

  シャンピニョンを買った野菜・果物屋では、少し無愛想なお姉ちゃんが友達だかに買って来てもらったチーズをかじりながら働いていた。もしかしたら市場の中のBarは、外からの客が利用する為と、中で仕事をしている人達の為にあるんだろうか、と思う。この店では、普通のより少し大きめでしっかりした形の洋梨(pera)があったので3つ買う。1kgあたり98pts600gくらいだから、48ptsであった。この頃、買う店もだいたい決まってきたし、買うものを決めてきたこともあってずいぶんと買い物の時間が短縮されるようになった。それでももう12時を過ぎているので、来たときたくさんいた人がこの頃にはぼちぼち少なくなりかけてきた。

 

  帰りがけオリーブ屋と卵屋とスーパーに寄った。卵屋では110.5ptsの新しそうなのが出ていたが今日は赤玉の8.5ptsにしてみる。ここの若主人がまたしきりにかたつむりを勧めるので、薫はterribleと言った。じゃがいもも置いていたが、結局他には買わずに店を出たのだった。今日はところどころ空をグレーの雲が覆っている。まったくの曇り空ではないが。アパートに戻り、二人ともくたびれてしんどかったが、とにかくスープ用の魚をぶつ切りにし、鍋に入れて煮た。これらの魚達はかなりな頑固者で仲々手に負えぬものもいた。昼食はシャンピニョンのスパゲティをたらふく食べ、のちCCLを飲む。しばらくしてオレンジも食す。これから夕食の仕度までの間は、薫風呂、くるみ後片付け、のち書き残しの日記書きを少し。そうこうするうちに夕食の仕度の時間になった。以下に要領。

 

Sopa de pescado

  • 材料;岩の魚他600g/玉ねぎ中1/にんにく半個/牛骨1/トマト1/パセリ1/パン薄切り7/ムール貝400g/塩胡椒・ピメントン
  • 作り方;
  1. 600gをぶつ切りにしたもの、牛骨1個、玉ねぎ薄切り1個分、ぶつ切りにんにく半分、4つに割ったトマト、パセリを水の中に入れ、2~3時間とろ火で煮る。
  2. ムールは煮たあと、殻から身を外しておく。
  3. よく煮込んだ①をザルで漉し、ムールの煮汁を入れて煮、塩胡椒・ピメントンにて調味。
  4. ムールの身を入れ、乾いたパンににんにくをすりつけ焼いたもの(にんにくはパンの表面でおろしながら塗るのだ、これはアイディア!)を入れて、かき混ぜ乍ら、なお煮る。
  • 感想;色は違うが、かなりAGUTに近い味が出せた。滋味なスープに仕上がった。まず成功と言えよう。
  • ただ、赤味を出したい一心でピメントンをふりすぎて少しピリピリしすぎた。食欲をそそる赤味を出す為にはつぶしたトマト、辛くないピメントンを入れるといいだろう。
  • パンにすりつけるにんにくは片面だけの方がよい。今回は両面で、にんいくが少し前に出すぎた。
  • パンはもう少し少なめ、と薫は思った。1.4Lのスープにパン4かけ(厚さ1cmのもの)

くるみはこれでいいと思った。薫は少し香ばしさが強すぎると思った

  • メルルーサを入れるなら仕上げの段階で、サッと煮る程度。
  • 要するに、全体の材料のバランスを取れるようにしてよく煮込めば良い。何かの味が出ばってはいけない。バランスがよいとき、何からできたかわからなくなる。

 

Spaghetti al curry

  • 材料;グリンピース(さやで500g)/カレー粉大さじ1/クラブ3かけ/サフラン6/パスタ、塩胡椒、オリーブ油
  • 作り方;
  1. グリンピースは熱湯で7分程茹でる(グリンピースはさやから取り出し、熱湯には塩を入れること)
  2. コップにカレー粉、サフラン・クラブすりおろし、オリーブ油半分、水半分を入れてかき混ぜる。
  3. 茹で上がったパスタに塩胡椒し、熱した②と①を入れかき混ぜ、出来上がり。
  • 反省;
  • 材料から予想できる味だが、本のとおり冷やして食べた方がいいかもしれない。
  • 大失敗としてはカレー粉のバランスが悪く丁字、サフランが強く浮き立ってしまった。まだ香辛料には慣れぬので、当面、よくできたカレー粉を使う方が無難。
  • 豆は新鮮で甘く美味しい。

 

  食後には買ってきた洋梨を食す。日本では腐りかけた方が美味と言われる洋梨も、ここの国では新鮮でザラザラボツボツの皮を剥いたあとが滑らかで水々しい。一見柔らかそうで実はある程度の歯ごたえがあり、鼻に抜けるほどの芳香が素晴らしい。こちらでは、よく洋梨を食べると聞いていたので、日本のより(というか洋梨の悪いイメージよりも)美味しいだろうと思っていたが、これほどとは思わなかった。甘く、酸っぱく、水々しく薫に言わせればエロチック、くるみが思うにかぐわしき美女が艶然と微笑んでいる感じがする。これを持って帰ることができないのはとても残念だ。12時過ぎ、消燈。

2月17日木曜日 曇りのち月光 トニ・ヴィダルとの出会い

 雲の中に青空のち曇り、のち月光

  11:30すぎまで寝て、少ないパンをうんと薄切りにして朝食にする。薫は恐らく、パスタの本を訳し、ナザレシャツのボタン付けとほころびを縫っていた。昼食は薫担当。Huevo de a la Flamenca(フラメンコ風卵料理)Pasta con atun y limon(ツナとレモン)を。

  Huevo de a la Flamencaは、太い豚肉に切り込み(サイの目)を入れ、よく炒めた。そのため、良く味が出て、肉も柔らかく食べやすくなり美味しかった。生のトマトも加え、水をいつもより多めにし、出来上がったとき汁が多いようにした。

Pasta con atun y limon 

  • 作り方
  1. ツナをほぐして(油を捨て)多めのオリーブオイルで炒める。
  2. とかくするうち、パスタを茹で、湯を捨てる。
  3. 炒めたツナをパスタに混ぜ、塩コショーで調味し、皿に盛る。
  4. これにレモン1(パスタ150gにつき)1/4個を絞り食する。
  • 反省

オレガノなど香辛料を入れるとどういう味になったかわからないが、結構パスタとレモンが釣り合って美味しかった。やはりレモンは1/8ではいけない。1/8でも1/2でもいけない。1/4が適切である。

 

  食後はコーヒーを飲みながら薫は風呂、くるみはToni Vidal氏への折り鶴を作る。以後交替。(薫はPastaの本の翻訳にかかる) 6:30頃、やっとの思いで完成させた鶴大~小7つ位と昨夜書いた色紙を持って宿を出る。くるみが鶴作りに手間取っていたため、余裕を持って出るはずが遅くなってしまった。Urquinaonaにて乗換え、Pl Espanaにて下車。徒歩20分余り。ミロ美術館に着く。恐れていたように、館前には自動車が幾台も停まっており、美術館には煌々と電気がついている。しかし入り口を入ると、今日ここで催し物をしているのは、Toni Vidal展だけではなかった。2階だというので、行こうとするが、PRIVATの札があり、上れぬようになっている。少しすると、この札は取りのけられ、上っていいものかどうか迷う我々他数名が立ちすくむところにちいこいおっさんが来て案内した。受付も何もなく、すぐ写真のたくさん飾ってある部屋に出た。あっけなく思い乍ら、それらの写真を見回していると、先の客とちいこいおっさんが挨拶を交わしていた。写真を見ながら薫と考えたところでは、あのちいこいおっさんがToni Vidalなのではないかということになった。しばらく様子を伺い、きっとそうだと確信を得るまでに、5分くらい。思い切って挨拶することにした。「Toni Vidalさんですか」と聞くと、「そうです」と答え、「ああはがきの」と言った。「初めまして」と握手を交わす。驚いたことに彼は「カオル」と名前をしっかり覚えていたのだった。くるみは少し前から覚えていた「私はあなたのいろいろなお心づくしを感謝します」を言おうとしてど忘れし、続けて小さな声で言ったので、あまりはっきり伝わっていないようだった。持って来た色紙と鶴を手渡す。実はもっと若い感じの人かと思っていたので、この手土産を渡すのは気が引けたのだが。しかし、Vidalはその色紙を眺め、鶴を持ち上げて珍しそうに覗き込んだ。いつここを去るのかというのをそばの女性が英語で訳して我々に伝えた。少し経つと、チーズと飲み物が出るのでどうぞ、ということだった。そのうち、客が次から次へとVidalのところへ挨拶しに来、それが皆親しい人のようで、彼も忙しそうなので、挨拶もしたことだしと、その場を離れようとした。

 

  Vidalはこちらを向いて、un momento(ちょっと待って)と言ったようだった。少し近くをぶらぶらしていると、知人の間を抜け出して、Vidalが我々のところに来、住所とTel Numberを書いた名刺をくれた。彼の家だということだった。事務所かもしれない。先ほども名前を覚えているので驚いたが、今度は「CameliesだからMetroだとAlfonsoXですね」というように我々の住んでいる場所まで覚えていて、Metroの地図を持っているかと聞いた。薫がごそごそと地図を取り出し見せると、「MetroだとAlfonsoXからBogatell,Marinaでもいい」と言い、次に地図を見て「ここだ」と教えてくれた。あいにくペンを持っていなかったのだが、彼は知人の集まりのところに行き、少し雑談をしていると思ったら、戻って来てペンを見せた。地図の上に家の場所と、丁寧にMetroの場所まで書いて、「ここで降りてこう歩いていく」と言った。とことん几帳面な人だ。なるほど、めちゃシャープな写真を撮るはずだ。他の写真家と一緒の事務所なのか、他の写真を見せてくれるのか「otro fotografia…」と言ったような気がしたが、定かでない。

 

  しばらく奥手で写真を見ていると急に親しげに「チーズがあるからどうぞ」という風なことを英語で話しかけてきたおばさんがいた。何語を話すのかとも聞いた。Castillanoか?くるみEspanol un poco と答えたが、どうもCastillanoとは標準スペイン語のことのようだった。おばさんの言う方を見ると、壁際に小さな丸テーブルが3つほど離して並べられ、その上に白い大きなチーズが乗っかっており、切り分けられているところだった。おばさん曰くTipico(典型的な地元料理)とのこと。このチーズは直径40cm、高さ10cmくらい、布巾で包んだ跡のように端に皺の寄った円くて白いものだった。味は牛乳を腐らせて塩で調味したような、わりあいにぼそぼそとした変わった味をしていた。すぐ近くの壁にかかっているチーズ職人の写真の中に映るチーズだということだった。

 

  へえーと2人で改めて、その写真を眺めた。飲み物は小さなプラスチック(透明)のコップにGinが注がれて出されている。チーズと飲み物が出るといったら本当にチーズと飲み物だけだねとくるみが言ったが、このとき薫の頭にあった鶏の丸焼きのうまそうな姿はかわいそうにあえなく消えてしまった。皆どんどんチーズをつまみ、わいわいとあちこちに集まっては談笑している。この写真展はスペインの職人たちを撮ったもので、だいたい4コマ1セットにし、職場での写真、顔のアップ、仕事の道具、働く手足、というような構成である。ボティーホ(伝統的な素焼きの壺)づくりの職人、コック、鉄細工職人、靴屋、漁師、蹄鉄屋、洋服屋、植字工、製本作業をする人

  今まで見たVidalの写真とまた毛色が変わって、Walker Evans的に(8x10エイトバイテンと言う大型カメラで恐慌期のアメリカを捉えた草創期の名手)シャープで被写界深度が深いのが特徴になっている。アングルにも共通点があるが、時代のせいか人の表情がVidalの方が柔らかいのが最大の相違点である。何故Evansを連想したかというと、労働者を徹底して(例えば道具ならそのアップ)狙った為だろう。ポスターの写真は色付きのせいか、円満なふんわりした感じがあるが、はがきでもらったものはもっとクールで味気がない現代哲学風であった。そして、今回は2~30年代のドキュメンタリーを連想させる写真になっていて、ずいぶん毛色が変わっているなあ、模索中なのかなあ、といい加減なことを考える。面白いのは撮られた人たち(モデル)が招待されて来ていたことだった。皆、自分の写真を見ては笑っている。

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  ごつい図体のギャングのようないかつい料理人も来ており、あたりを圧していた。薫が頼んで写真の前で写真を撮らせてもらう。彼はBarceloneta近くでレストランをやっており、fire-man serviceもしているということだった。日本の消防士の帽子もあるから取りに来いと言った。このいかつい顔をしたおっさんは、顔に似合わず、慣れた英語を話し、びっくりさせた。ツイードのオーバーコートを羽織り、黒地に交叉した斧と燃えあがる火の刺繍されたネクタイを締めていた。今夜はおめかししてか、写真の中のような丸い靴ではなかった。薫が「good face!」というと、「いやいや、今日十分に髭を剃ってないんだ」とまじめな顔で言った。このおっさん誰に対しても、この調子。我々に店のカードと、自分の名刺をくれ、来てくれと言った。そばにいた、さっきチーズを切っていた長い黒髪を垂らした厚化粧のおばちゃんは彼の奥さんで店の経営に当たっているとのこと。しばらくまた写真を眺めたのち、Vidalに挨拶して握手して部屋を出る。

 

  Vidalの手は華奢で柔らかく、神経の細い人のような感じがした。あごヒゲを長く伸ばし、めがねをかけており、上はセーター、下はズボン、どちらもベージュ系の地名な色合い。一見、小使いのおじさん風に見えなくもない。大変失礼な例えだが。

  実は握手をしたとき投げてよこす視線が意外にも若くしっかりした眼なので少し驚いた。低い小声でゆっくりと喋る。偉ぶった風もなく、大家然としたところもない。歩き方もひょこひょことしている。話に聞いたshyなところはあまり見当たらなかった。むしろ控えめだが、しっかりした人のような印象を受けた。石元泰博に似ている気もした。

 

  滅多に見られぬ夜のミロ美術館の写真を撮って帰ろうとすると、先のいかつい料理人のおっさんも車で帰るところであった。「Senor,adios」と声をかけると、車に乗って行けと言う。Toni Vidalが好きかというと、素晴らしい友達だ、と言った。素晴らしいとはどういうことかと聞くと、beautifulagreeablefellowだと答えた。Hotelまで送ってやろうかと言ったが、こちらはレストランに行くところで、それも言い出せないので、「muy lejos」と言って、Pl espanaで降ろしてもらった。おばさんがドアを開けてくれて、「RestauranteBarcelonetaにありますよ、いいですね」と念を押した。「I hope to see you again」と言ったおっさんの言葉をもう一度代弁したようだった。仲々商売熱心である。でも我々はAGUTへ行くのだった。ごめん。

 

  Barcelonetametroを降り、蛇口のついた樽を並べたBarの間などを通ってAGUTに入る。客の入り、6割位。昼より少なし。奥の席に坐り、注文。薫のsopa de pescadoresはずいぶん長いこと忘れられていた。先にが来てしまったので、まだ来ていないという。Saritaより洗練され、あっさりとしているがかなり旨い。ダシの魚をけちりながらうまくバランスをとったという気もした。今日はパンも少なく、メルルーサも散らかっていた。くるみは思い切ってアーティーチョークの根元のグリーンソースを頼んだ。くるみが捨てた根元は柔らかく煮込まれ、パセリと酢、他何物かのソースに漬かって7個ほど出て来た。アーティーチョーク自体の味が微かでわかりにくいが、柔らかく美味しかった。これでしゅろの葉のような部分は食べないということがはっきりわかった。アーティーチョークも食べられるのだ。

  2°は薫corderito lechel a la plancha。このあいだのasadoと違い、だいぶちいこいし、骨つきで肉は半分ほど。こちらの方が(切身で)あっさりしており、臭みが少ない。Planchaにしては味わいがあるが、その理由はわからなかった。くるみはイカフライ アイオリソース。アイオリは最初持ってこなかったので、おばちゃんに頼んだ。にんにく多量すりおろし+マヨネーズ+油というところか。ゼラチンが入ったようにぷりぷりとしていた。イカフライはなぜか甘かった。これにvino tinto de la casa 3/8Lagua minerale 1/2L、パン。パンは坂下のパン屋のに似ている。デザートなし。ここの担当の白髪混じりのおばちゃんは周りの席の客の置いていったチップをわざわざ見せるようにレシートを開いた。昼間と違い、皆結構(35~100pts)チップを置いていた。もちろん、我々は置かない。勘定を済ませてから薫は写真を取りに調理場へずかずかと入っていった。従業員たちはわあーっと皆物珍しそうに身を一方に乗り出して見ている。戸口に立っていたくるみを振り返り、「連れだな」と言う風に笑っていた青年もいた。ナプキンを肩にかけグレーのカーディガンを着たメガネをずらしたおっさんが、くるみの横まで来て立ち止まっているので見ると、「ヤーパン?」と聞いた。「Si,Japon」と言うと、一人で納得して行ってしまった。あの無愛想な風のおばちゃんも笑って知ったような顔をしていた。一方、薫の方では、調理場で誰がコック長なのかわからず、おまけに広くて何が何やらわからぬので、撮りにくく困っていた。あとで聞いたら、ストロボも時間がかかるし、様にならないので参ったということだった。もう一度挑戦するぞ、と勢い込んでいた。MATAS隣りのシャンパン屋は閉まっていたのでmetroにてアパートに戻る。部屋に戻ってわあわあ騒ぎ乍ら、また白vino1本位飲み、くるみが耳をかいてやり、薫は寝入った。くるみも後から床に就く。

マタスの主人と再会 2月16日水曜日

  薫の言いつけで、くるみ、パンを買いにゆく。時9:30。パン屋ではいつもの3人娘が売り子になっていた。くるみがパンを頼んでいる最中、そのうちの一人がもう一人の頭に紙吹雪を散らしたので、彼女の髪についてしまったりした。店に足を踏み込んだ途端のいい匂いの正体は、揚げドーナツであった。今日は珍しく朝から菓子パン類も豊富だ。あまり美味しそうな匂いをさせているのでいくら?と聞き、「200」と言った。そうしたら売り子嬢は「200pts?200g?」と聞いた。もちろん200g。長太パン1本とドーナツの袋を抱えて帰る。

 

  あいかわらず受付のおっさんは仕事に忙しそうである。CCLとジャム付きトーストを3枚と1杯ずつ食し、ドーナツは途中であ食べるためにいくつか持って出る。まずmetroBarcelonataMATASへゆく。久しぶりなので、少し気恥ずかしい思いでベルを押し、待っていると、すぐにドアが開いて、いつもと同じようにおっさんが顔を出した。一瞬驚いた風だったが、すぐに「久しぶり、元気か」というように握手を求めた。薫が写真を撮らせて欲しいというと、おっさんは言われたとおりにライティングデスクに横になって腰掛け、毅然とした顔つきで構えた。薫が仲々シャッターを押さないので、ぎこちない仕草で、机の上にある小物をようもないのにいじったりしていた。もう何枚か撮るのかと思っていたのに、客が出て来たりして、少し忙しそうな様子なので、別れを言って部屋を出た。別れ際に、Hotel(の住み心地)はどうか、とか、またバルセロナで会いたいと言った。思いの外、我々の訪問を喜んでいたように思った。

 

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  あちこちの店を覗き、パエージャ用の鍋を見る。以前見たときはあちらこちらに安く置いていたように思ったのだが、よく見ると意外に正統派パエージャ鍋は少ない。前見た緑色の把手のは30cm(4人位)220pts,オレンジ色で内側テフロン加工のは665pts~。前者は安くてよいが、把手のつき方が少し安直で、取れる恐れあり。後者はデザインに難。周囲が斜めになっていないので、使い勝手が良くなさそうだし。どうせだから、壊れたら嫌だから、いいのを買って帰ろうということに話が決まり、結局何も買わずにシャンパン屋でロサードだけ飲んで立ち去る。薫は何故か通りの写真を一生懸命パチリパチリ撮っていたと思ったら、ヒターノの人たちを撮っていたそうな。でも近くで撮って、取り囲まれたら怖いので、ずいぶんと遠くから撮っていたらしい。今日はヒターノの女性達は皆毛皮のコートを着て、時計やブレスの隠れ売りをしていた。いつもはうすいブラウスにカーディガン、汚れた前掛けじめなのに、どうしたのだろうか。もしかしたら、我々が案ずるより彼女達は裕福なのではなかろうか。

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  シウダデラ動物園は次回に回すことにして、パエージャ鍋を買いに、El Corte方面へ向かう。途中の金物屋でも見たが、960ptsと高くて、把手の留めもしっかりしてテフロン加工のがあったが、把手他デザインはあまりよくなくやめた。たまたま見つけた額屋では、絵の額ばかりだったが、タイルを持っていけば、作ってくれそうでもあった。次回に。ここの兄ちゃんは愛想が悪そうでいて、最後ににかっと笑ったりして、どっちなんだかわからない。とにかく他の店では皆「ない」と断られたので、1つだけでも目当てができてよかった。Galerias Preciadosでは只今Rebajas中で、パエージャ鍋はマタス付近より安くなっていた。たった2つしかない、たぶんステンレス製の立派な鍋を2つとも買う。11250ptsと高し。お姉ちゃんへの土産、予想外に高くなってしまったけど、仕方ない。ここの女店員には「同じ他のはないか」と聞いたのだけれど、調べ方も実に乱暴で、鍋をばんばんがちゃがちゃ言わせながら積み上げるので見ている方がハラハラした。どうりでいろいろなものが壊れる訳だ。ただでさえ壊れやすいのに。あと、お玉を見たがいいのなく、ナイフとフォーク()を薫分1セット購入。あのワイン開けはやはりなかった。シャンパン屋のグラスが悔しいことに192ptsで売っていた。我々が買ったのが1100ptsだから5つで40pts(92)違うわけだ。残念。

 

  今度から買い物はEl Corteでなく、Preciadosに限る。この間、DiagonalEl Corteのインド展を見たので、序でにここのJapan展をのぞいてみた。ショーケースで見た限りでは、どうも二流の土産物的子供騙ししか来ていないようだったが、意外なことに流行っているようだった。皆2つか3つの袋を提げて帰ってゆく。品物は着物(風、と言いたいが)、ポット、水筒、おもちゃ、うちわ、ハンカチ、スカーフ、化粧箱、他ステレオテレビ等の電化製品。ふうん。一度帰りかけたが、トニービダルへの色紙とペンを買い忘れたので、El Corteにて買う。もう2時を過ぎているのでどの店も店閉まいしていた。アパートに戻り、カレーと野菜炒めを温め直してパンと一緒に食べる。

 

  夕方、papeleriaに紙を買いに行った帰りに受付のジョルディの写真を撮り、パコデルシアのカセットのことも聞く。どれが1番好きか。他にはいつものように女の子二人がいて、1人は上下を白でまとめたパンツ姿にブーツという出で立ち、顔は細面で色の濃い目の化粧をしている。彼女は英語で何かとくるみに話しかけてきた。英語が達者なのは、スイスに3ヶ月、イギリスに1年いたため、という。この間料理用の単語の意味を教えてくれたのも彼女だったらしい。もう一人は金髪をぼさぼさの感じに垂らした少し男勝りの感じのする女の子。薫が二度目にカメラを向けたときは逃げてしまった。写真は苦手らしい。フラメンコについて知り得たことは以下の通り。

  • パコデルシアの曲の中では、entre dos aguas がよし。
  • ロス・チチョスは結構良い。
  • カマロンはあまり好かない。
  • 名を忘れたが、パコデルシアの赤い表紙のがよかった。という、漠然としたものだった。テープ4つ(うち1つ中身なし)を貸してくれて、どれか好きなのをあげるというので、礼を言って別れた。

 

  しかし部屋に帰って聞いてみると、どれも録音が不明瞭で、中には風呂場で宴会しているようなのもあり、まいった。ところどころテープが伸びていたり、きゅるきゅるっとなったりしてひやひや。どうもエルサラコでなくても、Barで買うようなテープは皆おかしいようだ。そしてそれが当たり前であるようなのでびっくりする。

夕食はsopa de ajoと牛肉のピメントン漬、残りの野菜炒め。

  • sopa de ajo はピメントン少々多くぴりぴりと辛し。味はまずまず。
  • 牛肉のピメントン漬は、シンプルな味。もう少しひねりたいものだ。やはり辛し。
  • 野菜炒め、昼に同じ。

後、Toni Vidal宛の色紙にかかる。

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白い厚手の画用紙のような紙を二つに折り、見開きにして書いた。

Vinoを飲み過ぎたため、プレゼントの鶴も折れず、二人ともあえなくダウン。

 

 

追記〉

昼間、薫が受付のおっさんの写真を撮るために、階下へ降りていくと、おっさんがヌード写真入りの雑誌をめくっていたそうな。おっさんがバツが悪かったかもしれないが、薫もせっかくおっさんの年の割りに毅然としたところを撮ろうとしていたので、残念がっていた。再度挑戦するつもり。

Maria Cristina駅界隈 2月15日火曜日

  8:30に目覚ましが鳴ったが、も少し寝てていいよ、という薫の言葉で9:30まで寝過ごした。本日は課題はEl Corteまで行って、MONOPOLのワイン開けを買うことと、額探し。CCLとジャム付きトーストの朝食を手早く済ませ、MetroにてMaria Cristinaへ。すぐに地下台所用品売場へゆき、ワインあけを探したが、見当たらず。女店員に聞けども、ないと言う。しまった。売れたか、という思いで、それでもまだ諦めきれずに立ちすくんでいた。今月か来月かわからぬが、また入るらしいが。せっかく遠くまで来たのに残念だ。

 

  India展を見て帰ることにする。思いがけず広い展示場にたくさんの品物を置いている。よく見ると、インドだけでなくタイのものも混じっている。木彫り、スカーフ、小物入(石でできたもの、木でできたものなど)、絨毯、タピストリー、クッション、皮バッグetc。値段高し。しかしスカーフなど女客で賑わい、よく売れているようである。値段はだいたい日本と同じか、物により少し安め。しかし、モロッコでのことを考え、現地の感覚になって考えると、El Corteの中間搾取が多いように思え、ついばからしくなってやめてしまう。クッションカバーに気に入ったものあり、940pts。木彫りは他のものに比べて安し。結局、タイの壁掛けになる布で、紺地に渋い色調で説法する人と、それを恭々しく聞く怪物の書かれたものを450ptsで買う。黒と金色の細い縞の地のものと迷ったがこちらにした。薫曰く、加藤くんが喜びそうなものだそうな。絵はただのプリントで生地も安手だが、その割に印刷がしっかりできている。図案も仲々凝っていて、これは面白くて安い、といって買ったというわけ。当初の目的のうちの1つを果たせぬまま、この土産を持って家路につく。

 

  朝アパートを出て来たときは、それでも曇りで雨が降っていなかったのだが、この時、かすかにぽつりぽつりと小雨が降り出した。外気は肌寒く、手袋をしている人もちらりほらり。昨日あんなに晴れていたのに、またぶり返したようだ。帰り乍ら額屋を探したが、Diagonalは高い物屋さん通りあるいは趣味の店が多く、見つからなかった。寒さと雨と空腹で早足になる薫を追いかけるようにしてアパートに着く。昼食は昨日の残りのカレーとごはん。ごはんは、昨日の要領にて薫が茹でた。少し違うのは米の量(2)と水から茹でたこと。米に対し湯が多かったので、昨日ようにもち米風に粘らずに、さらっと仕上がった。少し芯があったが、相変わらずクローブが頑張っているカレーであった。

 

  昼食後は少しゆっくりしたのち、それぞれ翻訳作業にとりかかる。気がつくと夕方になっていたので、二人で白ビノを買いにゆく。相変わらず酒屋のおばさんは近眼のすごいメガネをかけて、しかしだんだんとお得意さんに対するような態度で、注文を聞く。Vino grande(55/L blanco)×4botela(45/L tinto)×3/4を買う。大瓶の方は洗わずに注いでいたとかで薫が少し気にしていた。でもおばさん、すごい近眼だからなあ。ボトルの方はまた割り切れない数字(453/4だと1余る)のため、1をプラスしたので悪いと思ったのか、口一杯までVinoを注ぎ込んであった。コルクがしまらないっちゅうに。

  雨が激しくなったが、ついでに郵便局近くのPapeleriaにゆき、トニービダル用の折り紙にする包装紙2枚を購入。しかし俳句用の色紙にするものは見当たらず。雨の中、肩をすぼませながらアパートに戻ると、ジョルディが親切にもドアを開けてくれた。¡Gracias! 夕食の時間なので仕度にかかる。薫は前の日記を見ながらHuero de a la flamencaを、くるみは残りもの整理のため、鶏肉と野菜のスープを作る。いかに作りからの相違点他覚え書。

 

Huero de a la flamenca

  • じゃがいもがなく玉ねぎを入れた。
  • 太肉と玉ねぎはむちゃくちゃ炒めた。
  • ピメントンを入れた。
  • 前回の反省点である汁気をもっと多くすることと、卵を入れた後蒸して、目玉焼きにすることは成功。着実にくるみを踏み台にする薫であった。

鳥と野菜の中華風スープ〉

なぜ、いつも中華風ばかりなのかというと、中華の料理法、あるいは味つけは何でもかんでも調和させてしまうから、残り物整理にもってこいなのである。ということで最近、大きな残り物(カリフラワー、鶏肉)が多いので、今日は卵も入れてとろみのスープだ。

  1. 鶏肉は一口大に切り、塩コショウ、Vino、醤油、コーンスターチづけに。そのあと油で炒める。
  2. 薄切りにんにく、斜め切りセロリ、短冊切り人参、千切りキャベツを強火で炒め、塩をし、そのあとで、薄切り玉ねぎを加え、カリフラワーを入れて醤油、塩コショウ、水、コーンスターチを混ぜたものをわあーっと絡め、先に炒めた鶏肉を入れて混ぜて、できあがり。

 

ごめんなさい。頭ぼけて間違えました。以上はその後にやった野菜炒めでした。次はほんと。

 

  1. 薄切りの人参を油で炒め、鶏スープを注ぐ。
  2. スープが煮立ったら味つけした鶏肉を入れる。
  3. セロリ(千切り)を加え、その後にカリフラワー(茹でたもの)一口大を入れ、酢・醤油・塩・砂糖・コショウにて調味。
  4. 味が決まったら、かき卵を入れ、コーンスターチでとろみをつけてできあがり。

 

あーあ。かんたん。やんなっちゃう。

 

薫は風呂場で洗濯。Gパンしぼるのを手伝ってくれというので、二人掛かりでしぼりにかかる。薫はあんまり力一杯、一生懸命絞るので、ひきつけを起こした人のようにつっぱったまま、くるみに倒れかかってくるわ、くるみはその薫の姿がおかしいと笑い出してつんのめり風呂場の壁に頭をぶちつけそうになるわで、大騒動のうちにやっとGパン2本がしぼりあがった。なぜこんなに一生懸命絞っているのかと言うと、絞り方がゆるいと床が水浸しになり、水浸しになると床を拭くものが必要で、しかし我々は床を拭くものを持っていないから、ということになる。とにかく無事終わったが、薫はこのために全精力を使い果たして、ベッドに仰向けにひっくり返り、手の筋がつっぱらかって痛いという。あんまり一生懸命やりすぎたので、手のひらの親指の下の部分がおかしくなったらしいのだ。洗濯機のありがたみを思う。

 

  外が寒く、Calefaccionをつけているため、喉が渇いて仕方ない。今回のCCLは今日3回目。着実にコーヒー中毒になりつつある。そろそろ夜も更けて、よその家でも静かになってきた。明日の活動のためにもうそろそろ寝ることにしようか。

 

 

パコ・デ・ルシア マヌエル・デ・ファラを演奏する〉

Cara1

  1. 隣人のダンス
  2. 火の儀式のダンス
  3. 序章と黙劇
  4. ムーア人の織物
  5. 粉挽き職人のダンス

Cara2

  1. ダンス
  2. 舞台
  3. 鬼火のうた
  4. 恐怖のダンス
  5. 粉挽き職人()のダンス

料理とパコデルシアの日々 2月14日月曜日 久し振りに快晴。

  軟こいパンとCCLで朝食。俺はパスタの本、くるみは葉書書きにあたる。大阪、川喜多さん、おねえちゃんの3便。くるみが迷っているので、こっちでさっさと作文した。おねえちゃんのは妻自身で考えた。1時頃、ゴム手袋を買いがてら、郵便局にゆく。受付のおっさんが調べる手間を省いてやるため、「PAR AVION A JAPON,2(ドス)tarjetas,43pts(クアレンタ・イ・トレス ペセタ)」と云ってやった。おっさんは「tarjeta? 86(オチェンタ・イ・セイス)」と云って、切手を4枚よこした。とかくするうちに、くるみはマーケットに行ったが、手袋はなかったらしい。坂下のマーケットまで足を伸ばし、購入。

  部屋に戻り、くるみが昼食の準備。にんにく、塩コショウで味付けしたビフテキ(モスタッサ付け)。玉ねぎと隠元炒め添え。Paellaを作ったときのビーフ・スープ。パンにVoll-Damm 1本。(青く輝く星のラベル)相変わらず肉旨し。どうして肉をビフテキ用に切ってくれるとき、こんなに薄いのかな。あんなに安くて豊富なのになあ。火が通りやすく、手軽だからかなあ。

 

  くるみはGITANOSの本にかかりきりになる。薫は片付け物をしてから一服。そういえば、電話の故障のことをぴしっとしたおっさんに午前中話したところが、昼過ぎ、受付が交換し間違えた、単なるごたごただった、と返事をよこした。台所で修理をしたと言っていたところをみると、一旦点検して、故障がなく受付の責任だとわかったらしい。無愛想にいちゃんと熊のおっさんの時はよく間違い電話があると、くるみがこぼした。

ちょうど今、カレーが煮え。食べ頃にならんとしている。この調理行程のうち、野菜煮込みは昨日くるみがやっておいた。今日はカレー粉、その他香辛料を加えて煮込んだ。およその全貌を記す。

 

  • 材料◆

鶏足2本・手2

トマト()1

人参3

カリフラワー1/8

玉ねぎ3つ

にんにく3片

バター10-15g

セロリ1

ローレル1

クローブ大さじ1

クミン大さじ1

タイム大さじ1/2

ターメリック大さじ1

ナツメグ半径5mmのかたまり

トマト缶カップ1/3

塩コショウ

ピメントン(ピカンテ)大さじ1/2

カレー粉大さじ2

シナモン大さじ1/3

 

  • 作り方◆

香辛料以外の材料は要するに炒めてから煮ればいいが、今回は特に次の点が違う。

  1. 鶏肉と玉ねぎを十分すぎるほど炒めた。玉ねぎなど茶色いものになってしまった。
  2. 香辛料の中にクローブが加わった。それでPueblo Espanolで買ったすり鉢で、皆混ぜながらすりおろした。

 

  味は仲々バランスがとれていて、まずまずの味。米は煮すぎて、(インド式に茹でて、さっとざるであげるつもりが)炊きたてのもち米のようだが、特に難なし。次回はカレー粉なしでやってみよう。今回はクローブが大立役者であることがわかったのが収穫だった。カリフラワーも鳥も玉ねぎもトマトも、みな砕け溶けて、大分形を失っていた。ビールを飲んで食べたせいか、かなり腹がいっぱいになった。気を奮って俺は片付け物と、りんごのシナモン煮にかかり、くるみは洗濯に風呂場にゆく。ひと段落するのは12時を過ぎる模様。今日も1日が終わる。

 

追記〉

FUENTE Y CAUDAL (PACO DE LUCIA)のタイトル訳。

  泉  と   富   パコ デ ルシア

良いタイトルなので覚書しておく。

 

Cara1

  1. Entre dos aguas 水面下 “Rumba”
  2. Aires choqueros ぶつかる大気 “Fandangos de Huelva”
  3. Reflejo de luna  月光の照り “Granaina”
  4. Solera 古い銘醸のヘレス酒 “Bulerias por Solea”

 

Cara2

  1. Fuente y candal 泉と富 “Taranta”
  2. Cepa andaluza アンダルシアの切株 “Buleria”
  3. Los Pinares 松の林 “Tangos”
  4. Plaza de San Juan 聖ファン広場 “Alegrias”