Museo Picasso界隈&仮装の女児トリオ  2月13日日曜日 曇り

  9時半起床。誰もが買わない、高くて異常に,やらこい!パンをそそくさと食べて、10時半前に出かける。

 

   Jaime I(ハイメ・ウノ)で降りて、Montcada通りのMuseu textil d’ indumentaria(服飾美術館)にゆく。受付のおっさんは無愛想に、入口は外の階段からと指差した。客少なし。コルセットをはめたような細い腰の貴族女性が来た古めかしい(と映った)ドレスが多く陳列されていた。色が大分褪せているので、見応えがなかった。洋服を着せられたマネキンは首から上がなかった。それがずらりとこちらを向いて並んでいるのがあった。最後の方に来ると、かなり凝ったベルギーの刺繍やらがあり、少し退屈が紛れた。ある部屋は近代に入ってからドレスが飾られ、モナコ王妃が来たという水色地に銀の花びら(セルロイドか何か)をたくさん縫い止めて、表地全部が覆われているのがあった。水鳥が首をすくめたまま、そのまま女性の頭に乗っかったような帽子もあった。その他大きな渦巻きの入ったのやら、大胆なものが多い気がした。中端ころからフランス人やスペイン人の団体が入って来たので、かなり騒々しくなった。

 

  ここを出て、すぐそばのMuseo Picassoに入館。日曜なのでともに無料。この間に続いて、今日は2階を見る。相変わらず、無茶苦茶面白い。見落としていたのは、水着の女性の写真(天然色の)を台紙に貼って、そこに山口瞳みたいな眼鏡の小男を漫画で書き加えたもの。少しスケベっぽく現代風の諧謔があった。前来た時は開いていなかったが、そろそろ観光客が多く出没し出すせいか、Ceramicaを置いた2室を開けていた。ここに、滅法、手の込んだ良い陶器を置いていた。ショーケースの上に、丸い障子窓のようなのがいくつもあき、柔らかい先がCeramicaの上に降りて来ていた。これは別室の陶器を焼く窯を連想させた。見ていると、ますます安東次男の訳した「ピカソの陶器」を読みたくなった。帰ったら是非お茶の水で探してみよう。今日は無料なので、我々のようにあて込んで来ている人も多いようだ。

  その中の子供の一群が館員に注意されても、なおどたばたと走り回り、おしゃべりをするので閉口して日本語で注意した。しかし、余り効き目はなし。2、3度言ってやっと俺だけは避けて走るようになったが。傍のくるみが腹が減ってしんどいというので、写真展を再度覗いてから、Museoを去る。

 

  Montcada通りをPrincesa通りの方に出て、左にしばらく行ったところにあるチューロ屋で、前のようにカスタードクリーム入り揚げドーナツを1つずつ買って、立ち食いして、Leneralitot辺りで食べきってしまった。しかし、まもなくカタルーニャ広場南のCanuda通りにあるプリン屋にふらふらと入ってしまった。縦長のガラスケースに入った数種類のプリンがいつ通っても旨そうに見えるので、思い切って入ったというところもある。ふらふらではなかったかもしれない。ここは細い路地の割に画廊などの小綺麗で品のいい店が並んで、雰囲気のあるところなので、なお気持ちが助長された。一番安い、といっても110ptsもするのだが、プリン2つは注文するつもりで、あと飲み物はボーイに聞いておすすめのChocolate espanolを頼んだ。来てみると、Chocolateは字義どおり、チョコレートを溶かしたようなものが白い陶製のカップに入って出て来て、ナポリで飲んだのを思い出して、しまった、甘いなと思った。プリンはまずまず旨かったが、ともかく値が高すぎる。値ほどではなく、雰囲気料、場所代込みというところ。Chocolateは甘いことは甘いが、見た目より控えてある。シナモンを結構加えてあるところがミソのようだ。Espanolとある由縁。だいぶ散財になったが、気にかかっていたのだから、これで吹っ切れて良いだろう。白い陶製のものの上部にプリンが作ってある大きなのは、180ptsと随分高かった。全体に高めだが、結構客が入っていた。プリンを食べている人はそんなに見なかった。

 

  Galerias Preciadosの日本の脅威展を見るつもりだったが、おそらくFiestaのため休みだった。なぜFiestaだと気づいたかというと、昨日ウサギがやたら売れていて、何か特別の日かなと思っていたところに持って来て、今日は赤ん坊や女優やらに仮装した子供が親に手をひかれて歩いているのを、あちこちで見かけたからだった。

 

  ところで、日本の脅威展を知らせるために、Galariasのショーケースには、日本製のカセットテープやおもちゃ、和食器や和服が陳列されていたが、カセットを除きどれもいい加減な土産物のようなものだったので、唖然とした。

 

  MetroUrquinaona駅辺りに来ると、仮装した3人の少女を見つけた。彼女らは親連れではなく、3人で飛び跳ねるようにして歩いていた。カメラを向けると逃げて撮らせてくれない。そこで隠れながら追いかけて行って、その中の一番べっぴんの女の子がエスカレーターに乗ってちょうど上って来たところを撮った。驚いたような、笑ったような顔をしていた。この子は白っぽいダンサーのような服を着て、目にはシャドーを入れていた。サイドにはパンティのあたりまでスリットが入っていて、その格好で走り回るのだからどうしようもない。随分色気あったなあ。もう一人は赤ん坊の仮装でおしゃぶりをくわえて、そばかすを頬っぺたに書いていた。この子も仲々いい顔だ。

最後の一人は、黒人の混血で色浅黒く、毅然とした顔をしていた。シルクハットにマントという出で立ちで、ショーマンの仮装になっている。皆スタイルもよく似合っていると思った。改札口手前でつかまえて、今度は撮らせてくれる?と聞くと、べっぴんの子が「Jo()?」と言ったので、みんなと指さすと、「Tres(3人だって)」と言いながら、ずらりと横に並んで、驚いたことに慣れた仕草でポーズを撮った。黒人の子はマントをさっと開いて見せた。子供とはいえ、肝が座った奴らだ。彼女らが撮られる気になったのは、傍のおっさんが「撮らせてあげなさい」と言ってくれたためらしい。Alfonso Xで彼女たちも降りたが、どこかで見失ってしまった。

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仮装の娘っ子トリオ in Barcelona

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地下エスカレータから現れた仮装女子


 

  Metroエスカレーターを上ると、また、別の仮装した子供を親たちが囲んで記念撮影やらをしていた。くるみによると、「七五三みたい」。

部屋に帰り、俺はスペイン語とにらめっこをしている間、くるみがシャンピニオン入りスパゲッティを作った。ソースを作りかけてから、スパゲッティが殆どなく、タジャリンしかないことに気づいたらしい。仕様が無い。きしめんのようなタジャりんを使う。せっかくうまくソースを作ったのにと、Cockは嘆いていた。しかし、食べてみると、そう難なく美味しかった。作り方は先述したので略すが、ポイントは豊富なバターと知るべし。

 

  食後はGITANOSPASTAの翻訳作業を続ける。夕方になって、俺だけで、昨日炒めて取っておいた具で、インスタントパエージャを作る。味付けはまともだと感じたが、やはり作り置きのせいかあまりうまくなかった。特に失敗したのは、一緒に米も昨日洗ってしまっていたことだ。水が浸み、ひびが入っていた。これをパエージャに入れると、味が落ちているだけでなく、パラパラと細かく砕けて、味気ないこと甚だしい。マグレブ地方(アフリカ北部)のクスクスに使う粟つぶのようになってしまった。教訓❶米は調理前に水にさらすこと。❷料理材料は極力作り置きをせぬこと。特に勢いを重視するものや、味の微妙なものに作り置きの材料を使ったらてきめんである。夢々避けること。材料が死んでしまう。

がっかりして、なぐさめもあり、量が少なかったこともあって、イカの墨煮を温め直したのと、緑オリーブを食べ、赤vinoを飲む。

墨煮の作り方は前に記したと思うので、簡易にして、Sepiaの解体についてその要所を書く。

  • 作り方◆
  1. 多めのオリーブ油でにんにく、唐辛子(干したの)を炒める。
  2. にんにくが色づいてきたら、Sepiaを入れて炒める。
  3. 軽く炒まったら、白vinoをドボドボと注ぎ、しばらく強火で煮込む。酒臭さが飛んだら、とろ火で煮続けて、墨が自身になじんできたら、食べてよし。

 

  • 解体のポイント◆
  1. 胴体と足に切り分け、Sepiaの足をスカートのように捲り上げるとあるでっぱった口をしっかりつまんでむしり取る。ぐっとつまむと小さな軟骨のようなものをプリッと飛び出して来る。
  2. 胴体の中に、皮1枚隔てて、イカの船(主骨)が入っているので、皮を少しやぶって、それを引っ張り出す。ビニール袋を切る要領で、端をピッと切ってから、取り出せるだけ破れ目を広げる。
  3. 船をとったイカの胴体に1箇所縦に切れ目を入れ、そこから墨袋を取り出し、鍋に入れる段階で、それを破ってから入れる。今回は1杯、墨袋がくっついて破れぬままのがいた。
  4. これでおしまいだが、姿煮の場合は足と胴を切り離さず、胴の切れ目から墨袋をとり、足の間から凸を取って煮ればいい。バラでよければ胴をまたいくつかに切った方が味が染みて美味しいだろう。

 

そのうちに、くたびれて寝てしまったとさ。

 

追記〉

夕食後、何度も(5回か?)間違い電話がかかってきたので、いい加減に腹を立てて、2度受付に文句を言いに行った。2度目に受付のおっさんは部屋に入り電話を見て、こちらは辞書を使いながら事情を伝えた。この体の大きい熊のような頑迷なおっさんは飲み込みが悪かったが、やっとわかったらしく、いろいろいじるふりをした(そうとしか見えない)上で、roto(故障)だと言った。俺がロトかというと、いやロトじゃない。ゥロトだと2度目は巻き舌で発音してみせよった。それで一応明日Senor(元締め)に伝えることにしておさまる。くるみ曰く、スペインでは考えられる故障という故障が次から次へと起こる。

寒波到来、イカ食う日々 2月12日土曜日

   目覚めたら11時近くであった。窓を開けたら雪が降り積もっていた。パンもミルクもないので朝食ができず、まず、市場に食料の仕込みにゆく。時間遅いためか市場はすごい混雑。珍しく雪が降ったり寒波が到来したため、皆、台風に備えるように蓄えを買い出しに来たのかもしれない。その為、市場はいつもの土曜日よりもなお一層の活気を呈しており、(どちらが生かわからぬが)品物も豊富で新鮮のようだった。今週もまたPaellaとカレーをやるつもりで材料を書いてきた。イカについては、くるみの前のおばさんのマネをして、550/kgの墨抜き骨抜きセピアを1つと600/kgの墨つき小つぶを300gもらった。どうもスペインではただのイカ、でも用途によっていろいろ違う種類を少しずつ買っているようだ。結構、いか1つとえび3つとかいう買い方をしている人は多いし、店の人も全然それを嫌がっていない。その方法にならったというわけ。

 

  鳥1羽は今回はよく調査してから買った。出口近くの鳥屋が異常に混んでいるので吊るされた鳥を見たら、結構新鮮な色をしていた。どう違うかというと、腹のあたりの皮の色が白っぽく少し透けて見える感じなのだ。鳥の皮は黄色いもん、と決めつけていたので、少し衝撃だった。ぐるりと一回りして鳥屋を覗くと、そう大差はないのだが、色が微妙に違い、皮の張りも少し違うように思った。前買った198/kgの鳥屋は今日も客が少なかったので敬遠。先に書いた長い列のできた鳥屋で待ったが、どうも皆ここではウサギをたくさん買っているようなのでやめた。どうしたわけか、ここでもその他の店でも今日はウサギがよく売れているようだ。うなぎの日のように、ウサギの日というのがあるのだろうか。いつ見ても気味悪くなるようなウサギの皮が剥けたのを皆、無表情に買ってゆくのだから、気が知れない。

  どこが気持ち悪いかというと、人間のようなびっくりした黒い眼をしているのと、手足をつっぱった形、むかれて赤くなってツルッとした肉がなんとも不気味なのだ。またそれをハサミでちょきちょきちょんぎるわけだから、本当に見ていられない。薫が見ていたところによると、内臓をとったウサギ(肝臓はついている)は、股のところから真っ二つにハサミでちょんぎられ、最後に目玉のところをクリッと押すと、ころりと眼が飛び出すという仕組みとか。まるで誰かの推理小説に出てくるような情景ではないか。

 

  結局、綺麗なお姉さんのいる、比較的大きく、コンスタントに流行っている店で鳥を買うことにした。

 

ここは225/kgと少々高いが、8つに切って内臓・頭・足は別にビニール袋に入れてくれ、親切だった。1羽で385pts。いつもが370前後だからたいして変わりがないのが意外だった。この他玉ねぎ・人参・マッシュルーム・他を買い、帰りにオリーブを買い、卵を買った。そういえば牛肉屋でも卵屋でも薫がカメラを向けたら店の人はたいそう喜んだ。特に、牛肉屋では日頃無表情で肉を切っている体格のいいおっさんと、つんとした感じの顔がかわいいおばさんが二人とも急に笑顔を見せて人懐っこくなったのは意外だった。ちょうど、おばさんは朝食か昼食か、パンをかじっているところで、それを狙ったのだが、カメラを向けているとわかると食べるのをやめて、「やーね」というように手で叩くマネをした。おっさんはなんのカメラか、というように首を突き出し、自分も日本製のを持っているように「Nikon」と言った。そしてそれは香港で50000ptsで買ったということだった。くるみが「F-2(dos)?」と聞いたら、少し考えていたがどもりながら、「S,si」と相槌を打った。

   卵屋ではまだ生きている小さいカタツムリをとった。店の若主人は「fotoより食べないか?」としきりに勧めたが、「日本では食べない」と答えた。

  スーパーに行って牛乳や米を買ってのち、パン屋に行ったら、何とパンは1本も残っていなかった。今日は全部売り切れでこれしか残っていないとパイやら菓子パンを指差した。お腹の足しにならないし高いので、袋入り食パンを買うが、これも高し。78pts。いつものパンの半分くらいで倍の値段だ。みんな買い溜めしていると見える。宿に戻り、買っていたりんごのパイとCCL、ソーセージサラダのわずかな残り。それにキャベツのスープを取り、遅い昼食を終える。

 

    外はまた雪がちらちらと降って来ていた。そういえば、市場に雪だるまが作ってあった。頭には黒い帽子(毛糸)を被り、首に襟巻きをして、目はレモン、鼻は人参、口はピーマン()だったかもしれない。日本のは目は炭団、鼻やまゆげは墨でできているのだから、やっぱり顔の構造上の違いは雪だるまにも表れると見える。

 

  風邪をひいたらしく、しきりに鼻が詰まる。Cadaquesよりマシだが、ここBarcelonaも相当冷え込んでいるようだ、皆ちょっと雪が降っただけなのに、大層にスキー用ブーツを履き、ダウンジャケットを羽織って歩いている。しばらくしてから薫がビノ瓶を持って、ビノを買いにゆくと酒屋は休みだったと言って帰って来た。雪が降ったから早く店じまいしたのかもしれない。受付の無愛想にいちゃんにシャンピニョンを煮るのには赤か白か、と聞いたらしい。そしたら兄ちゃんは考えて「白」と言った後、ゆっくり考えながら、「Do you like wine?」と聞いたということだった.

 

  夕飯の時間が近いので、Paellaの準備を始める。鳥はやっぱりすごく新鮮で、身が透き通っているようだ。くるみが骨を外しにかかる。胸肉をつまみ上げたとき、白い膜のかかった黒い玉(直径2cmくらい)がくっついていたので包丁でさっと払い落とすと、ころりんと転がって、うさぎの黒い目玉が逆さになってくるみを見た。ぎぇ~~~~!ぎゃ~~~~!気持ち悪いよう!ひぃ~~~~!!と言ってひきつっていたら、薫がわははと笑って慰めてくれ、目玉をつまんでぽいと捨てた。「目玉って意外と柔らかいんだな」しかし、薫は鳥の目玉だと思っていたらしかった。しばらくショックでくるみは鳥の解体に取り掛かれなかった。やっぱり、どうしてもウサギだけは食べたくない。絶対に!

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Paella

材料;鶏肉200g/トマト小2/玉ねぎ中2/イカ70g/ムール300g/

  牛肉100g/牛骨大1/ローレル中1/セロリ茎2/ピーマン赤1個・青1/2/

  ピメントン(ピカンテ)/塩コショー/鳥スープ/白ワイン/レモン/サフラン/オリーブ油/

  ニンニク/米2合

これを2回分に分けて作る。

作り方の違い;

  1. 牛肉は強火で炒めてから骨と一緒に、ローレル・セロリ・みじん切りにして茶色になるまで炒めた玉ねぎ、と共に煮る。あとからピーマンを加え、薄く塩コショーする。
  2. いつもは油ニンニク・鳥玉ねぎ・トマト米の順で材料を炒め、スープで煮るが、今回は材料、特に玉ねぎと鶏肉をよく炒めて茶色にするということを重点にするため、あとからトマトを加えて更に炒め、皿に取り出しておき、鶏肉とニンニクはまた新たな油でよく炒めた。
  3. イカはよく味が出るように少し長く煮た。その汁も鳥スープと一緒に入れた。ムールを煮た汁も然り。
  4. ①の牛肉は汁を入れて煮込み出したところから加えた。
  5. サフランをすりつぶして混ぜた。

以上によって、今までに比べ、驚くほど黄色いパエージャが出来上がった。味もかなり濃厚で、バランスも良い。ムールも殻から身を外したので食べやすく、実質本位のパエージャとなった。よく煮込んだピーマンの果たす役割も大きいことを知った。でも何と言っても大きいのは、⑤のサフランを潰したことにあるようだ。

  手でつぶすにしても包丁で刻むにしても限界があり、すりこぎでするように粉にはならない。粉にならないと、どうしても味や香りが全体にゆきわたりにくいというわけだ。なるほど。野菜をよく炒めた効果はどこにあるのかよくわからぬが、牛肉を別鍋で煮たのはよかった。Saritaで出て来た牛肉のような(それに近い)味がしたようだ。あとはオーブンを使って上部の水気を飛ばせば、もうかなり本格派となるだろう。

  2回に分けてパエージャを作ろうとおもっていたが、1回目でお腹がいっぱいになってしまったので明日の昼食にすることにした。食後、薫はイカの墨煮を作った。初めてイカの解体をした薫はひゃあひゃあと一人で奇声をあげながら、軟体動物をいじっていた。

 

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セピアというイカども

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自分の墨の中にいるイカ


  ああ、そうそう。夕食の支度をしているとき、母親から電話があった。バルセロナで雪が降ったことを知っていた。テレビのニュースで映ったらしい。それと、手紙の返事が来ないので何かあったのか、どうしたのかと心配していたらしい。一応,3512時に成田に着くことを告げ、手紙も出したことを言ったら少し安心したようだった。電波の関係か、今日も母親の声は泣いているように聞こえた。薫ちゃんは?と聞くので、今お料理してると言ったら、少し笑って、こんばんはだけでもいいから出して、と言った。どうも大分気が弱くなっている気配。電話があった後に、「親が心配性だとこっちが心配になる」と言ったら、薫に「育ててもらったくせに」と言われた。

  今、薫はガーガー得意の音をさせながらお風呂に入っています。外の雪は残念乍ら止んだ模様。薫の予定の雪のサグラダファミリアは中止となりました。残念でした。またどうぞ。おやすみなさい。

ホテルでの防犯で考えたこと【番外編】

  書き留めておくつもりだったので、

 

ホテル住まいでの用心について〉~室外の例えば避難路については省く~

  1. 鍵は挿したままにしておく(もちろんロックした上で)。これで外から鍵を入れてこじ開けることを防ぎ、場合によってはドアが揺れると鍵飾りが音を立てる。
  2. 簡易椅子の背を向けてドアから少し離して置いておく。万が一ドアを開けて入ってくるときも、ドアが椅子を押して抵抗もあり、音もする。
  3. 最重要貴重品はベッドのスプリングの下か、枕の下に敷いておく。これで置き引きは防げよう。(その他、荷物はまとめておくことは言うに及ばず)
  4. ドア以外に忍び込む余地があるかどうかを確認し、あれば、極力shutするようにする。グラナダの安宿では窓にうんと安いベルギー硬貨をはさんで、開かぬようにして寝る。あくる日、うっかり忘れたままにしてきたが・・・

 

TOURIST INFORMATIONについて〉

ここはSevillaのように極めて不親切なところを除けば、要求次第でかなり多様な情報、パンフレット類を得ることができる。これは意外に気づかなかった。時によっては、下手な案内所より優れたBookを入手できる。それには、どんな種類の情報を置いている可能性があるかを知ることが肝心だ。それはおよそ次の通り。

  • 地図(各種名所記載)
  • 簡単な案内パンフレット(10数頁)
  • ホテル・リスト
  • 時刻表(国内の詳細のもの)
  • 厚い案内書(10頁を超える)
  • 地区、或いは要素別(宗教・買物・芸術)パンフレット
  • ポスター(どうも何も言わぬと出来の悪いのから渡すようだ)
  • どれとはっきり示すこと。

文章の入ったものは、出来れば、読める国語のを頼むこと。

まず、日本語は大名所でもなければないので、英語になるだろう。

寒風すき荒ぶ漁師町 カダケスCadaques 2月11日金曜日

  仲々快適な寝心地ではあった。その原因は、シーツも毛布カバーにある。洗濯仕立ての 

匂いがして、のりがピンと効いているのが、いつもアパートの毛玉のざらざらとついたシーツやクレープ地のように細かい縦じわのいったホステルシーツに寝ている我々にとって気持ちよかったのだろう。ベッドも簡易に見える割には、マットがしっかりと固いので腰の落ち込みが思いの外、少ない。まあとにかく暖房も効いていたし、温かく寝られたわけだ。

 

  朝は早起きしようと思っていたが、830分に目覚めた。朝の空気が透明なうちに、なんといっても、ここCadaquesのシンボルの方な教会を撮るため。今日は天気がよく空も晴れわたっている。昨日と違って陽も出ているので少しだけ暖かい。しかし、日陰になると風も冷たく、恐ろしく寒い。この小さな半島の中だけでも位置によって随分温度差があるのではないかと思わせる。入り江から見て左手の道を散歩した。しかし、どうもこちらは傾斜も少なく、教会を撮ろうにもクレーンが邪魔して思うように絵にならぬ。トンネルになった道を入れて教会の写真を1枚だけ撮った。仕方ないので、右手の道を少し行き、レンズを覗いたが、仲々これも思うようにならず。この道は横に岩が切り立っていて、日蔭になっている上、寒く強い風が吹きまくるので、縮み上がるほどの寒さだ。くるみは風に顎をやられた。(帰ったら寒さでボツボツの蕁麻疹になってかゆかった、寒冷蕁麻疹) 

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Cadaques カダケスの教会と入江寸景

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カダケス遠景




 

  多分ここいらで一番大きなcaféに入って朝食をとる。昨日からこの店には漁師か何か知らんが、暇そうなおっさん達がコーヒーも飲まずに中でひなたぼっこをしているのを見ていたので入ったわけだ。飲み物を提供するカウンターはそのひなたぼっこの席の奥手にあり、薄暗くて、思いの外、活気のないおっさんが1人で陰気にやっていた。CCLとドーナツをもらう。CCLはコーヒーの酸味が強くミルクが少ないのでちょっと参った。今考えると、インスタントコーヒーのような、やけに変わった味だった。我々が飲んでいる最中、端の方でCCLにブランデーの入ったものを飲んでいた人がそのコップを指さしておっさんに何か文句をつけていた。おっさんは、それを取り上げ、矯めつ眇めつしたのち、カウンターの中に下げて、それから牛乳の瓶を持ち上げて、その客に「これだけど」というかんじで振って見せた。どうも「ミルクが悪くなっているんじゃないか」ということらしかった。この店ではcaféは例のエスプレッソの機械で作り、ミルクはsimagoのようにタンクで温めている。瓶のミルクは大丈夫でも、この中で長時間温められすぎたミルクは蛋白質が固まってしまったり、少し変質することもあるのかもしれないと思った。

  あとで薫に話すと、「あんまり良心的な店とちがうな」と言った。CCLはやたら高くて150pts。ドーナツ30pts。この店には写真(大きく引き伸ばしたもの)が何故か飾ってあり、どれも仲々よく撮れていた。Gitanoが住むような貧民部落の写真があったので、Cadaquesかと聞くと、おっさんはとんでもない、というように、「No!No!」と言ってBarcelonaだと答えた。

 

  Hostalに戻って一休み。ちゃっかりCalefaccionは切ってあって少し冷える。けちんぼやなあ。11時過ぎ、ここを出るつもりで階下へ行くと、おばちゃんはいず、ここの息子らしい。丸い顔にひげを生やした柔和そうな青年が近寄ってきた。暖炉の前では、少し意地の悪そうな痩せたおっさんが本を読んでおり、めがねの奥からこちらをちらっと見て、さかんに犬の名を読んでいた。犬はここでもシェパードの大きいやつで、青年にさかんにじゃれついていた。棚の上に魚の絵のついた楕円の皿を見つけて、薫が「あ、これ、あの陶器屋で売ってたなあ」といい、よく見ると、仲々よくできていたので、ここを出てからまた昨日の陶器屋へゆく。

 

  店は真っ暗だったが、ドアは開いていた。おっさんがちょっと顔を出し、女の子に変わった。Hostal MARINAに置いてあるのと同じ皿を見つけ、他の同じもう1枚と見比べて選ぶ。だいたい魚の形・顔・色など似たりよったりだが、あごの形の良い方を選ぶと、それには少しヒビが入っていた。それを指差して、問題ないかと聞くと、「popular」だという。やっぱり、スペインではトレドの陶器屋のおっさんのいうように、少々のヒビや割れを気にしないのだろうか。このあと、値段を値切ろうとしたが、何せ融通の効かぬこのお姉ちゃんなので、(たぶん傷がついているから値切ろうとしたのだと思ったんだろう)頑として譲らない。どうせ買うんだし、ここでは値引きの習慣がないようなので、妥協して正価で買う。飛行機で持って帰るから、と言っても、ただ紙で包んだだけでよこすので、横に積んであった段ボール箱にて周りを覆ってもらう。これもまた一苦労。

 

  Restrante Saritaの開く1時まで間があるので、Barに入ろうかとも思ったが、せっかく来たのだからと寒中散歩をすることにした。入り江から見て教会の左手奥の小高いところに登ってみる。ここからは教会を含む町全体と入り江がよく見渡せる。気になるクレーンもあまり目立ちにくい。何枚かか写真を撮った。この丘にのぼる途中、塀の上にいくつも大壺を置いた家の写真を撮ったが、ここからもまたその家の花を植えた大壺がいくつも見渡せた。道にはほとんど人が歩いておらず、大きな犬やら猫やらが歩き回っているだけであった。

 

  1時近くなので、Saritaにくり込む。昨日来たので慣れたか、おばさんはどうぞどうぞと手招きして愛想良い。Menu del dia2つ。今日はEnsalada Catalana Paellaという献立。Ensalada Catalama1°platoだからといって、侮ってはいけない。ハム3種・卵・オリーブ他野菜各種は新鮮で彩りも鮮やか。飾りつけも綺麗で、ボリュームもある。絵では、ハムが小さくなってしまったが、本当はもっと大きかった。ピメントン(ピカンテ)漬のハモンセラーノが美味。これは良い土産になりそう。ドレッシングはついていないが、酢とオリーブ油をかけて自分で調合して食す。飲み物はVinoを飲むとだるくなるのでagua mineraleを頼むと1リットル入りの大瓶がどーんと来た。昨日の教訓を生かして今日は旨そうなパンに手をつけず。しばらくしてPaellaより奥行きのある味をしている。材料は、目に見えるものだけ言えば、イカ、タコの足、ムール貝、はさみつきの海老、豚肉、牛肉、鶏肉、きのこ(seta 黒色)、ピーマン(赤・青)、レモン、グリンピース。たぶんこの他に肉を煮るときの香辛料があるかもしれない。サフランの香りは全く感じられなかった。しかし塩だけでなく、醤油も使ったような味がしているのはどこに原因があるのか。骨つき肉とは別の薄切りの牛肉には別に煮込んだような薄味がついていた。それにできあがったパエージャの上に茶色いものが乗っかっていて、これも良い味をしていたが、どうもよく炒めて煮込んだ玉ねぎらしかった。米の色その他全体に茶色く色づいているのは肉の煮汁のためか。肉を煮るときにはどんなものを入れて煮ているのか。またあとで、ピーマンのゲップが何回もあがってきたところを見るとピーマンも標準以上に多く入っていたらしく、それもかなり柔らかくなっているところを見ると十分煮込んであるらしい。肉は3種も入っていて、どれも柔らかく旨い。たこが入っているのもアイディアだ。はさみつき海老の肉はカニと海老の合いの子のような味をしていて割と美味しい。今までとは違った種類のパエージャを食べた感じで、旨いチャーハン、旨い五目めしのようでもあった。仲々やるな。

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  一生懸命食べていると、おばさんが“¿Bueno?” と聞いたので、”Si, me gusta”と答えた。これで結構腹が膨れた上、Flan(これは自家製だが、たぶんインスタントだろう)を食べて、終わった。食後のコーヒーでも飲んでバスが来るまでの時間、ゆっくりしようと思ったが、ここではコーヒーの類はやっていないという。Postreを見てもそうだが、ここは純粋に料理を売る店で、デザートやコーヒーなどには力点を置いていないのかもしれない。薫が調理場の写真を撮らせてくれというと、「どうぞ」と答えてくれて中を見せてくれたが、中で調理をしている大柄なおっさんはゴツく見える割に感じ良い人だった。あまり熱心に撮っているので、おっさんは少し照れ、おばさんも恥ずかしそうに「muy pequeno」と言った。「pequeno,pero bueno」と言った。二人ともすごく喜んでいるようだった。ここの住所を、というと、おばさんはそそくさと引き出しからカードを取り出し渡しながら、いつ去るのか?と聞いた。くるみが「hoy」と答えるとひどくガッカリしたように、「寒いわね」と言った。これからも何回も来てもらえると思っていたらしかった。別れの挨拶をして店を出る。

 

  そういえば、この店の出口近くの壁にも魚の絵のついた飾り皿があったが、2匹の魚が泡を出して泳いでいる様子が結構よく描かれたものだった。店の外側の写真を取り、少しぶらついて、バスの停留所にゆくと、もうバスが来ていた。もうすでに最前列は陣取られていたので、後ろの方の席に別々に座を占める。

 

  今日は晴れている割に景色が白く霞んで見える。バスのガラス窓が汚れているせいもあるが。期待の写真は1枚しか撮らず。途中、バスが後続車のためにスピードを落として道を開けてやると、その車がブーブーとクラクションを鳴らしてお礼を言っているような感じなので、スペインの田舎ではまだ人心が廃れていないなと思ったりもした。昨日見た格好の良い電信柱は右のイラストのようなデザインである。軸はもうちょい細めかな。仲々すっきりとして、風景の邪魔にならない形をしていると、薫は大層気に入っていた。確か、これは数年前薫が本で見た電柱のデザイン(フランスかアメリ)だということだった。とうもろこしをたくさん乾かしている家など(少し離れた金網の中にもたくさんあった)ある畑の中の道を行くうちに、figuerasの駅前に着いた。

 

  まず列車の時間を確認したのちDaliの美術館へ。大したことに、あちこちにMuseuへの方向指示がある。それをたどって行くと、間違えずにMuseu Daliにたどり着けるというわけ。我々もそれに頼ってMuseuに着いた。聞きしに勝るけったいさだった。白い建物の上部にいくつもの彫刻が張り付いているのはともかく、大きなタイヤをいくつも積み重ねたてっぺんにやはり白い彫刻が座っていたりする。入場料は100ptsだった。台の上の大きなレンズから覗くと、女の人の顔に見える今の様子や、天井画、白い魚4尾に支えられたベッド他、けったいなものばかりで、まるでサーカス小屋の雰囲気だ。またよく見ると、中にはエロチックなものも結構あり、密かにというか、かなりスケベな人柄なのではないかと窺わせた。薫によると、「思ったより絵が下手」ということで、奇抜さで勝負しているのだろうか。少し下品でもある。しかし、仲々商売人であるのは、あちこちに金を投入しないと見えない仕掛けをいくつか作り、思いの外安い入場料の埋め合わせをしているようだ。

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  1階の絵画のみの展示室にはCadaques の絵があった。ちょうど薫が撮ったのと同じアングルで描いており、下の方に頭に壺を乗せた女性が二人歩いている。点数が多い上、どれもどぎついので、少々疲れてMuseuを出る。書き忘れたが、ここの館員はどの人も皆制服をぴちっと着込み、Daliに似たようなスペイン人にしては少し抜け目のなさそうなおっさんばかりだった。これら館員の人選にも気を配っているのかなあ。そしてまた彼らがよく気がつき、入るとき、ドアボーイのようにささっと歩み寄って来てドアを開けてくれるなぞ、まるでMuseuにあるまじき待遇であるのも、商売上手と繋がっているようでおかしい。

 

  ここを出た後、町中を少し散歩。レコード屋に入ってカセットテープを見たが、女店員の話ではFlamencoの有名な歌い手はCamelon他二人の歌手だったが、どの人も顔が気に入らず、やめた。カタルーニャでは土臭いフラメンコが流行らないのかなあ。それから陶器を置いている店をいくつか見たが、どれもこれといった取り柄なし。Cadaquesのしけた陶器屋(ここはあまり売れないので陶器の他に洗剤やら水コーラを売っている)にもよくあった、目玉のぐりぐりと大きい金魚が悪趣味に描かれた皿はどこに行ってもあったが。あれ、ほんとに売れてるのかな。欲しくないな。

 

  電車の時間まで駅前のBarにて時間を潰す。一歩踏み込んだ途端、たばこのもうもうとした煙と酒くさい匂いが鼻をついた。くるみCCL、薫Conac(Soberano)。駅にて切符を買ったら675と高い。Talgoだからだ。電車を遅らせてExpresoにして2人分386pts戻してもらう。出発の19:55まで駅舎内にて待つ。胡散臭そうなおっちゃんとか待ち合わせの青年たちとかたくさんの人々がたむろしていた。胡散臭そうなおっちゃんとはモスグリーンのベッチンジャケットを着た少し顔の赤い目のとろりとした男で、我々の真近にうろうろと寄ってきたので警戒したが、我々より前のTalgo特急に乗ったようだった。

 

  予定通り19:55に列車は発車。コンパートメントを2人で占領。持ってきたバナナとりんごの残りを平らげる。検札員の言った10:30より13分早くBarcelona Pg.Gに到着。Metroに乗り、急ぎ足にてアパートに戻る。ドアを開けると、ジョルディがトニー・ビダルからの封書を差し出した。写真展の招待状(案内)だった。ミロ美術館での初日だった。部屋は出た時と変わっていず、もちろんのこと火事で丸焦げにもなっていなかった。よかった。冷蔵庫に残ったものでspagetti carbonaraを作り、薫は足りないと言って、aglio olio もやって食べた。くるみはきゃべつとベーコン、人参、玉ねぎ、にんにく、トマトソース少々でスープを作った。この後、薫の耳をほじほじしてあげたら、ガーガーといびきをかいて寝てしまった。もう風呂に入る元気もないので寝てしまうことにした。おしまい。

南スペイン カダケス漁村へ 2月10日木曜日

  くるみ6:45のベルにて起床、ハンバーグを焼く。薫は仲々目を覚まさずもそもそと寝返りをうっていた。しばらくして起床。外は闇。パンを買いに丁稚のように使い走り。パン屋は6時から空いているということで、7時すぎにはもう客が3人来ていた。売り子は白髪でちょっと顔面神経症気味のおばさん一人。このおばさんは、くるみにとっては愛想が良く感じるらしいが、最近労使紛争でもあるのか随分疲れた表情をしていた。時間がないので、めいっぱい急いでサンドイッチ作り、朝食をすすめる。おかげで、メシのこなれが悪かった。

 

  最後まで慌てて予定より15分遅れでアパートを出る。Barcelona P.Gに着いたのは、8:25。間に合った。切符を買ってホームで待っていたが、46分を過ぎても列車が来ない。何度も駅員に確認し、待ちくたびれていると、9:20すぎにやっと到着した。8人掛けコンパートメントに2人で座る。ここは4枚のモノクローム写真(スペイン各地の)が飾ってある。特に上手くはないが控えめでよし。しばらくすると、走り出して霜がかかった風景が見え、もっとゆくと雪が降った後のようなので驚いた。バルセロナとはあまり離れていないのに随分気候は違うものだ。途中、隣のコンパートメントから食べかけの大きなパンのかたまりやらガラス瓶を割って投げていた。その他紙くずやらいろいろ飛ばしていたので行儀の悪い人だなと思っていたら、やっぱりあほそうな声を出していた。声にも知性は現れるものだ。

 

  Geronaの前あたりからあまり寒そうな風景は見られなくなった。FiquerasGeronaの次の次(Exprese)。一歩列車を降りると思いの外冷たい空気にさらされ、いっぺんに身体の暖気が飛ぶようだった。皆もそうなのか、駅前やホームにたむろする人は少なく、駅舎の中が人でいっぱいになっていた。駅舎を出てから少年にバス停を聞き、再度近くのおっさんにも。おっさんがついてこいというので、言ったら操車場のようなところにあった。となりの切符販売場にてCadaquesまでのbilleteを購入。1139pts。バスは観光バスのように窓を大きく開けたつくりである。我々の他、12~13人の乗客が乗り込んだ。珍しくアラブ系のおっさんもいた。しばらく田園地帯を走り、観光ずれした港町でUターンしてから山道を登る。ここからCadaquesまでの風景はいい。オリーブの段々畑が山に等高線のような模様をつけている。下には青い海と白い別荘が建った丘陵が見渡せた。山は、日本の山と違って、ごつく、象の足のように見えるが、よく見るとこんな山にもオリーブが生えている。段々畑は、この地方独特の割れると断面が板のように薄くなる石によって作られていたのが珍しかった。この山道は綺麗に舗装されてはいるが、急なカーブがいくつも続き、ガードレールがほとんどないので、カーブを曲がるたびヒヤヒヤとした。が、バスの運転手は手慣れて巧みにハンドルをさばき、ヘアピンカーブのように向こう側が見えぬところでは必ずクラクションを鳴らすという慎重さもあった。

 

  Cadaquesの町の少し手前が終点だった。降りてみると、Fiqueras以上に冷たい風が吹きすさんでいる。落ち着いて宿を探す余裕なく、10分ほど歩いてからHostalにあたり、2軒目のHostal MARINAに決める。CalefactionAqua Calienteのない部屋は1000pts。あるのは1300ptsで、今の時期は1300ptsしかやっていないという。仕方がない。ここはHostal Cristinaという(Hostal)宿の隣にあるが、少し綺麗そうなので選んだ。入口のガラス戸を押すと、右側に大きな素焼きの瓶があり、ところどころに民芸調の趣。右奥を覗くと、そこはレストランになっていて、いくつものテーブルの向こうに本物の暖炉が切られ赤々と燃えていた。(それだから、玄関の方まで木の風呂の匂いがする) 部屋は階段を上り下りした複雑な位置にあり、モロッコPachaを思い出させた。ツインベッド、風呂トイレ付き。

 

  窓を開けると、子供の遊び場が下に見える。ベッドは簡素なつくりだが、頭あて、他カーテンレールなど少し民芸調のものを取り入れてある。こざっぱりしているが、少しちぐはぐなかんじ。バスルームはコンパクトタイプ。昼食のサンドイッチとコーヒーを食べる。ぼそぼそしたキャベツのは1つ残された。デザートにオレンジ1個。気持ちを奮い立てて散歩に出る。入江から見て、Hostalの左奥手にある教会あたりをめぐる。ここは雰囲気があるが、新しい建物(同じような様式だが)があるので、土着的な感じが薄く、どちらかというと、別荘地の洗練が窺われる。ちょうどシエスタだったので店はCERRADO

  この前後に、Apartmentos Cameliesの番号を確認し電話をする。薫は火の点検について気になっていたため。おそらく点検していたのだが、番号はくるみが聞き出し、一度アパートに電話をかけてくれた。しかし、慌て者のおっさんが出てきて、電話の交換と勘違いしたらしい。うまく話が通じぬまま、まあおっさんがいて電話がかかるのだから火事ではないのだろうと考える。もうしばらく歩いたのちもやはり気にかかるので薫が台所の電気点検お願いします、としつこく怒鳴ってなんとか理解してもらったようだった。Senorが帰ってからやるということだったのかもしれないが。Hostal近くに戻り、側のPlazaの海から見て右手の道を進んだところで、良いCeramica屋を見つけた。まともらしい絵皿も豊富に置いている。

 

  あまりに寒いので肩をいからせながら宿に戻る途中、道ゆく女学生に薫がこの近くに旨くて安いレストランはありますか?と聞いた。1人が少し考えてすぐに道をこういったところにあるレストランがいいと教えてくれた。Nombre?(名前は?)とくるみが聞くとアニータ・イ・サリータという。いったん店にゆき、カルテを確認して部屋に帰る。カレファクションが入っていないので、くるみが寒がった。あまりにやることがないので、またHostalを出る。入江から見て右手の半島に歩いてゆく。相当に寒く風強し。前方にアベック2名発見。うす暗くなりかけているので、暖かい色のランタンがもう灯っていた。10分程歩き、海に突き出したコンクリートのボート着き場に降りてみてから、急いで引き返した、水はかなり透明で、くるみによるとフランスの海の色に近い。帰りがけになるほど、ここは雰囲気があるわい、夏は繁盛するだろうと気づいた。レストランの時間を聞いてから宿に戻った。(覚書;昼1時~3/7時半~)くるみが寒がったので添い寝をしてやる。

 

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Anita i Salitaアニタ・イ・サリータ食堂の主人

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アニタ・イ・サリータ主人の料理風景


  8
時頃、レストランにすっとんでゆく。本当にすっとんでいった。風が冷たくて寝起きなので。Dos menu. 薫はsopa de pescado、くるみはcamaloniにする。Sopa de pescadoは銀色の器にたっぷり3杯分入って出てきた。全部薫のものかと聞くと、そうだと言われた。具は白身魚(メルルーサか?)、ムールの身。汁はこっくりと濃く、魚や貝の味がよくわかる。濃いオレンジ色で、塩加減よし。AGUTのよりも田舎風だが、ムールもふっくらと大きく、よくダシの効いたスープで旨し。オレンジ色はピメントンか。だとすると相当多量に入っている気配。これにはトーストしておろしニンニクを塗った小さいパンが小皿に盛られてついてくる。これをスープの中に浸して食べる次第。ニンニクの辛みがピリッと効いてスープの味をひきしめる。カネロニはすぐ冷めてしまったところをみると、もしかしたら冷凍食品なのかな。でも味ボリュームまあまあ。薫はスープを2杯たっぷり飲んで、腹一杯になり、くるみも薫のスープ1杯をおすそ分けとカネロニを広げて、いっぱい。どうせ2°、セコンドは肉焼きのこ付きだろうとたかをくくっていたら、よく煮込まれた濃い味のシチュー風が出てきたので、見ただけで更に腹が膨れた。タレはそれほど多くなく、肉ときのこが丘をなしている。トマトをベースにブラウン色になるまで煮詰めたものらしい。皆が個人プレーをせずに溶け合って味を出している気配。きのこなどこげ茶色になってシチューの味に染まっていた。

  驚いたことに、これに多めの一皿ポテトフライがついていて、最初にはパン1/2本、ビノティント1本分持ってこられた。旨いところはポテトフライまで美味い。カラッとしている。ビノはたぶん樽のもので不思議な味をしている。一度口中に難なく滑り込んだものが口半ばで膨らみを持って広がり、また一つになって喉に流れる、という具合。バター味に似ているが、あの嫌味がなく別の形を取っている。面白い味だが妙ではなく、よく味わうと自然のものが(例えばぶどうの皮とか種周辺とかが)形を変えて味になった、という無理のない味わいがある。この個性をうんと好むというわけではないが、悪くはない。たまにレストランで飲むには安くて良い、ということになろう。パンは湿っていて目が詰まって、たぶん胚芽入りなので少しくすんでいる。モロッコのパンに少し似ている。やっとのことで、のメインの皿だけ食べ終え、ボリュームの少ないhelado(カップ入り市販)をとる。くるみの旅行本企画の話などしてから帰る。

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どうみても蟹。壁面にいきなり付いてる。

 

  その前に、壁にうすレンガ色をしたものがかけられており、「カニか?」と聞いたら「marisco」だという。この海で獲れるものらしい。トリーヨとかいった。色のせいもあり、薫は絶対カニやで、と言っていたが、くるみの思った通り貝やった。これは不思議な飾りもので、頂上の二本のトゲがツノの生えた般若のようでもあり、ふっくらと下ぶくれの形がおかめのようでもある。下手な絵皿を飾るよりはずっと洒落ている。やりすぎると不気味だが。これは仲々センスあるアイディアだ。帰りに売っている店を聞いたら、広場脇の土産物屋にあるかもしれないというが、夏だけなので今はcerradoかもしれないらしい。往きのようにすっとんで寒中の宿に戻る。この間2分、ぐだぐだして寝る前に、水をいっぱい飲んだらすこーし塩っぽいので驚いた。十分に濾過されていない水を供給している。ここはむやみに水を飲まない方がいいようだ。12時過ぎには消燈予定。

2月9日水曜日 やはり、どんよりと暗い曇天

  10時半ごろ起床。昨日やりっぱなしにしたまま寝たのを、薫が片付けてのち朝食。昨日といい、今日といい、やけに寒い。遠足を1日延期したため、丸パンが5つと食パンが1/2本残っている。丸パンをトーストに、もう一方は乾かしてsopa de ajoに使うつもり。しかし、丸パンは粘りがあるため、あまりトーストに向かないと薫が言う。お腹に重いのだ。ジャムも残り少なくもそもそする朝食だった。

 

  朝食後は、薫の散髪をする。この間、自分の髪を切って少しコツを(というか、切る手順を)考えついたので、それに従い、眉毛切り用の小ハサミにて挑む。でもやはり、散髪屋さんのように一筋の乱れもなく綺麗に仕上げるには「くし」が大きな役割を果たしているようだ。くるみも何回かやるうちには上手くなるのだろうか。パコのカセットを聴きながら、一生懸命散髪していたら、終わったのは3:30過ぎだったので参った。3時間余りもやっていたなんて。お腹がすいたので、薫は急いで風呂に入り、くるみ掃除。この後、昼食を薫が担当。そうそう、散髪をするとき、切った髪の毛が服についてはたまらぬと、薫はTシャツの上からカッパを着、雨用ズボンを履き、襟のところはゴミ捨て用の黒いビニール袋を巻いて洗濯バサミで止めた。そのため、毛は入らなかったが、ズボン他、蒸れたような匂いがして困っていたようだった。

 

《ジョルディとの会話》

買い物の帰りに、ジョルディに質問。

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宿で知り合ったスペイン男ジョルディと彼女?
  • パコデルシアはヒターノか?について。

パコデルシアはヒターノではなく、エスパニョールだということ。

ギター弾きにはヒターノはいず、歌い手にはいるらしいこと。

  • バルセロナにはたくさんのヒターノがいるか?について。

あまりいない。ヒターノはスペインの各地を転々と動き回っている。アンダルシア・グラナダにはより多くのヒターノがいる。

  • コルドバのカセットテープをどこで買ったらいいか?

エルコルテイングレスにたくさんある、と彼は答えたが、薫がなかった、と言ったら、グラナダのはあるが、コルドバのはないかもしれないとのこと。

カタラン人はフラメンコが好きでない。でも自分はカタラン人だが、フラメンコがとても好きだ、という。

 

 

  昼食はカルボナーラ。薫流のほうを。たまごうどんのようにつるつるとして仲々美味しい。薫はこれでもまだ足らず、sopa de ajoを作り食す。カルボナーラといい、sopa de ajoといい、spagetti aglio olioといい、実に簡単で美味しい料理を覚えたものだ。これは旅行の大きな功績だと思う。食後に喉が渇いたと言ってオレンジ2個平らげる。寒いのでcalefaccionをつけているためだ。思いの外、時間がなくなってしまったが、少し本を訳す。それから足りないもの(食塩と桃ジャム)を買いに、坂下のEuropeというスーパーへ出かける。今日の受付はジョルディで、また例の可愛い女性と友達、そして子供がいた。薫はまた間違えてBuenos diasと言って友達にBuenas tardes と直されてしまった。

 

  スーパーでは桃ジャムの缶詰(Eva)があったので、これと塩、安いトイレットペーパーを購入。ここのレジの女性はどの人も感じが良い。(あたりが柔らかい) 帰りがけ、薫がジョルディにパコデルシアはヒターノがどうか聞いてみようよと言い出して、質問したのが前ページのもの。バルセロナにもたくさんのヒターノを見かけるのに、少しそれを否定している気配があったのはどうしてか。もしかしたら、この地では「ヒターノ」という言葉は禁句なのではないかしら。ともかく、少し意外な情報(カタランの人はフラメンコが好きでないこと)も得て、部屋に戻る。ここカタルーニャが特別、スペインの中でも独立的な考えをしているから、フラメンコを自分たちのものでないと感ずるのだろうか。また少し訳を続けた後、夕食にかかる。とは言っても、スープは昼の余りがあるし、オムレツのソースもできているので、作ったのはオムレツとキャベツサラダのみ。以下は夕食の内容と反省・感想。

Sopa de ajo

塩加減少し辛い気もするが、これはピメントンピカンテのせいも少しあるだろう。卵を入れるとちょうどよくなるようだ。でもパンはよく煮られて麩のようになっていて美味しい。

《オムレツ》

《キャベツサラダ》

いつもやっているソーセージサラダ。だが今回、キャベツがとても固いうえ、太く長く線切りにしてしまったので、口の中であちこちトゲのように刺さって食べにくかった。キャベツで怪我したなんて聞いたことないよ。これはきっと煮て食べるキャベツで生食用は別なのではないだろうか。この間のは美味しかったのに。それから固いときは、いつもよりなおさら細く小さく線切りにすべし。ドレッシングにつけてもなお、キャベツはとがったまま。あちこちを向いて寝癖のついた髪の毛のようである。まいったなあ。

 

  食事のとき、グラナダで見たフラメンコの話になった。確か、薫は「仲々よかった、結構上手かったよ」と言っていた筈だったのに、今日は中に出てきた小さいおばはんが正月のコマみたいだったと言うのである。そういえば、フラメンコは妙齢の女性が艶かしくは激しく踊るもんだ、と思っていたのに、なんと本場も本場、グラナダのサクロモンテでは、下手な風呂屋のペンキ絵のような背景のついたおそろしく狭い舞台(単に「台」というかんじだが)の上で、正月のコマのように太った中年のおばはんが練習着のようなので踊るのだから、考えてみるとずいぶんギャップがあるもんだ。彼女ら踊り手は3人で、1人はコマ、もう1人は牛、そしてあとひとりのミドルティーンの女の子だけが締まった身体つきをしていたが、彼女もまた色気という点でいまいちだったような気もする。でも、土くさいフラメンコというのはこういうもんなのかな。

市場・料理 ・市場 2月8日火曜日

  曇りでやや寒し。昼下がりから雨。時に雷が鳴る。

 

  朝食はパンがないため、CCLに残りの茹でたカリフラワー、オムレツ モロッコソースかけ。少し気色悪い食事だった。これはカリフラワーが犯人だが。今日と、旅行の弁当を作る食物を買いに、公設市場にゆく。

 

  いつものように売り切れてはいけないと、魚介売り場にいの一番に行ったが、なんとなく活気がない。よく、いかを買う店も今日は売り台に帆布をかけて、売り場を半分に縮小していた。よくうろついて見てみると、表面が乾いたり、あまり元気のない、イカ、タコ、魚が多い。はっきりはしないが、不漁だったか、仕入れの関係かで良いものを置けなかったのではないかと考えた。結局、目当てのイカ一体に古市で買わず。そういえば、大きなSepine(体長約30cm前後)と墨を抜いて洗ったようなCalamaresを置いている店はあったが、欲しかった5~10cmの小さなSepiaや小さな5cm以内のCalamaresはあまり置いていないようだった。

 

  その足で、アメリカの男優のような骨格の太い体躯をしたおっさんと奥さんでやる肉屋にゆき、Terneza picado 400gを買う。肉をいじった手で、お金(1duro)を掴んでよこしたので、デューロ硬貨はミンチ肉がついたまま、こちらに引き渡されたのだった。

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アメリカの男優のような肉屋の主人


 

  ここの市場では、しょっちゅう、ヒターノスの女性がにんにくをカゴに入れて売り歩いている。ガニ股で、右斜め前、左斜め前と足を出して、相撲取りのようにおなかをつき出し気味にして、行き来している。くるみによると、そのにんにくは125ptsと普通の店より5pts高いので買う気にならないのだということだった。思うに、どうしてもう少し勝算のありそうなものを売らないのだろうか。誰かリーダーが頭を使って、良い商売を考案すればいいものを。大概の客(おそらく全ての客)は、ヒターノスの女性がにんにくを差し出しても、断っている。にんにくは家で作っていて元手なしということなのか。(ヒターノスの家らしきあばら屋は、草葺の屋根に石を積んで風邪で飛ぶのを避け、周りの柵の内側には小さな畑がある。)

 

  キリがないな。これはいいとして、今日はヒターノスの男性と思しき人が(数人)ヒターノスの女性数人の中に混じって歩いていた。急に、臓物屋の前で、大声で笑い出したので、何かと思った。男性軍登場かとも考えたが、あまりそういう気配は感じられなかった。ヒターノスでない人相の成年男子で、日本の押し売りが売るようなゴム紐の類を売り歩いている人もいる。

 

  最後に、キャベツをいくつかに切り分けたのを買って帰る。Colがキャベツだと思っていたが、どうもRepollaが正しいようだ。

 

  帰り際、坂下の乾物屋でベーコンやフランクフルトなどを買ったが、サルチチョン・フランクフルトがうまく通じず、店員が笑ったり、変な顔をしていた。どうも、袋(パケテ)入りとはっきり行った方がいいようだった。

アパートに帰るとヒゲのやり手おじさんがぴしっと背広で身を固め、一人の男とフロントの前の暗闇に立っていた。階段を上りかけると声をかけるに、この辺りは停電になったという。なるほど、部屋に帰っても、電熱台が使えないので、昼食を作れない。しょうがないと、あれはベッドに転がって通りを眺め、くるみは暗いダイニングで、ひっそりと人参剥きをやっていた。

 

  窓とダイニングの間は、すだれの間仕切りがある。通りでは、困ったなあという様子で、材木屋さんらしき人が所在なげに立っていた。通りを隔てた向かいのパーマ屋でも、恐らく急な停電に困っているらしく、盛んに外を見やっていた。どうも、客は散髪椅子に座ったままになっているらしかった。

  しばらくして、停電が直り、パッとライトがついた。遠足用のハンバーグをはじめとして、Sopa de Fideos改良版、カリフラワー、人参のゆでものを作り、食す。くるみの担当。Sopaは昨日作ったのに、フィデオスを多量に追加して煮込んだもの。人参はだいぶ年老いてしなびかけ、煮るに時間を要し、それでも余り、うまくはなかった。

食後、スペイン語とにらめっこしていて、何だが暗いなあと思って、窓の外をみると、結構雨が斜めになって降っているではないか。もう夕方のような暗さだった。降った跡はこの間見たが、まともに雨が降るのをみるのは、バルセロナでは初めてじゃないかと思う。随分、珍しいことがあるものだ。天変地異かいな。おかしなことでもなければいいが、と念じる。悪い天候には最近馴れていないのに、暗い空模様で雨が斜めに降り、その上、しばらく後には雷が轟いたので驚いた。どうも(他の)スペイン住民もそうらしく、通り向かいのビルのあちこちの窓には人の顔がいくつも貼りついていた。一応、傘の準備はあるのか、道行く人は黒いコウモリをさして歩いたりしていた。

 

  俺はスペイン語にくたびれ、腹も減ってきたので、コックになって、タジャリン(パスタの類、平たい)処理にあたる。ふにゃとなるパスタの性格なので、ソース焼きそばにする。道具立てがいつもより少ないのは明日遠足に行く予定なので、極力材料を残さず、平らげようとしているためである。ただ明日雨だと延期するつもり。

 

  キャベツ・玉ねぎ・ゆでた人参・ハンバーグ小2(バラして使用)・タジャリン・塩胡椒・ソースが材料。

ハンバーグはつなぎに止められているので、なかなかバラけずに困った。野菜を入れて、共に炒め、茹でたタジャリンを入れるという寸法。やはり、タジャリンはフライパンにくっつき、焦げつきやすい。パンから溢れるので、2回に分けて調理し、平らげてから、チビエビのプランチャ(炒めもの)GAMBA A LA PLANCHAをやる。にんにくをあらかじめ炒め、そこにエビを放り込み、塩少し降り、皿に盛ってからパセリを振った。結構うまいのは、オリーブ油の功績也。この後、だだくずれで、vinobrandy2人して飲み続け、いつになく延々と話し続けた。少しPICASSOの俺流見方コーチした他は、くだらぬ話ばかりなり。何となく、口が緩むような気分だったわけだ。2時か3時頃、ぱったりと寝る。この時、未だ雨が降り続いていたので、また朝早く出られそうにないので、一応明日の遠足を1日延期することに決定。

 

 追記;

坂下の乾物屋はすぐ近くのスルドスーパーと同じ名前で、BLASCOという。どうも、スーパーの一部門として出店しているらしい。なるほど、乾物屋とスーパーで同じ値段のがあったわけだ。(桃缶) この2軒は近所で圧倒的に客を集めている。乾物屋など、客が店内からはみ出し、歩道に立って、Quien es ultima?(ケネス・ウルティマ)などと聞いたりしている。