2月17日木曜日 曇りのち月光 トニ・ヴィダルとの出会い

 雲の中に青空のち曇り、のち月光

  11:30すぎまで寝て、少ないパンをうんと薄切りにして朝食にする。薫は恐らく、パスタの本を訳し、ナザレシャツのボタン付けとほころびを縫っていた。昼食は薫担当。Huevo de a la Flamenca(フラメンコ風卵料理)Pasta con atun y limon(ツナとレモン)を。

  Huevo de a la Flamencaは、太い豚肉に切り込み(サイの目)を入れ、よく炒めた。そのため、良く味が出て、肉も柔らかく食べやすくなり美味しかった。生のトマトも加え、水をいつもより多めにし、出来上がったとき汁が多いようにした。

Pasta con atun y limon 

  • 作り方
  1. ツナをほぐして(油を捨て)多めのオリーブオイルで炒める。
  2. とかくするうち、パスタを茹で、湯を捨てる。
  3. 炒めたツナをパスタに混ぜ、塩コショーで調味し、皿に盛る。
  4. これにレモン1(パスタ150gにつき)1/4個を絞り食する。
  • 反省

オレガノなど香辛料を入れるとどういう味になったかわからないが、結構パスタとレモンが釣り合って美味しかった。やはりレモンは1/8ではいけない。1/8でも1/2でもいけない。1/4が適切である。

 

  食後はコーヒーを飲みながら薫は風呂、くるみはToni Vidal氏への折り鶴を作る。以後交替。(薫はPastaの本の翻訳にかかる) 6:30頃、やっとの思いで完成させた鶴大~小7つ位と昨夜書いた色紙を持って宿を出る。くるみが鶴作りに手間取っていたため、余裕を持って出るはずが遅くなってしまった。Urquinaonaにて乗換え、Pl Espanaにて下車。徒歩20分余り。ミロ美術館に着く。恐れていたように、館前には自動車が幾台も停まっており、美術館には煌々と電気がついている。しかし入り口を入ると、今日ここで催し物をしているのは、Toni Vidal展だけではなかった。2階だというので、行こうとするが、PRIVATの札があり、上れぬようになっている。少しすると、この札は取りのけられ、上っていいものかどうか迷う我々他数名が立ちすくむところにちいこいおっさんが来て案内した。受付も何もなく、すぐ写真のたくさん飾ってある部屋に出た。あっけなく思い乍ら、それらの写真を見回していると、先の客とちいこいおっさんが挨拶を交わしていた。写真を見ながら薫と考えたところでは、あのちいこいおっさんがToni Vidalなのではないかということになった。しばらく様子を伺い、きっとそうだと確信を得るまでに、5分くらい。思い切って挨拶することにした。「Toni Vidalさんですか」と聞くと、「そうです」と答え、「ああはがきの」と言った。「初めまして」と握手を交わす。驚いたことに彼は「カオル」と名前をしっかり覚えていたのだった。くるみは少し前から覚えていた「私はあなたのいろいろなお心づくしを感謝します」を言おうとしてど忘れし、続けて小さな声で言ったので、あまりはっきり伝わっていないようだった。持って来た色紙と鶴を手渡す。実はもっと若い感じの人かと思っていたので、この手土産を渡すのは気が引けたのだが。しかし、Vidalはその色紙を眺め、鶴を持ち上げて珍しそうに覗き込んだ。いつここを去るのかというのをそばの女性が英語で訳して我々に伝えた。少し経つと、チーズと飲み物が出るのでどうぞ、ということだった。そのうち、客が次から次へとVidalのところへ挨拶しに来、それが皆親しい人のようで、彼も忙しそうなので、挨拶もしたことだしと、その場を離れようとした。

 

  Vidalはこちらを向いて、un momento(ちょっと待って)と言ったようだった。少し近くをぶらぶらしていると、知人の間を抜け出して、Vidalが我々のところに来、住所とTel Numberを書いた名刺をくれた。彼の家だということだった。事務所かもしれない。先ほども名前を覚えているので驚いたが、今度は「CameliesだからMetroだとAlfonsoXですね」というように我々の住んでいる場所まで覚えていて、Metroの地図を持っているかと聞いた。薫がごそごそと地図を取り出し見せると、「MetroだとAlfonsoXからBogatell,Marinaでもいい」と言い、次に地図を見て「ここだ」と教えてくれた。あいにくペンを持っていなかったのだが、彼は知人の集まりのところに行き、少し雑談をしていると思ったら、戻って来てペンを見せた。地図の上に家の場所と、丁寧にMetroの場所まで書いて、「ここで降りてこう歩いていく」と言った。とことん几帳面な人だ。なるほど、めちゃシャープな写真を撮るはずだ。他の写真家と一緒の事務所なのか、他の写真を見せてくれるのか「otro fotografia…」と言ったような気がしたが、定かでない。

 

  しばらく奥手で写真を見ていると急に親しげに「チーズがあるからどうぞ」という風なことを英語で話しかけてきたおばさんがいた。何語を話すのかとも聞いた。Castillanoか?くるみEspanol un poco と答えたが、どうもCastillanoとは標準スペイン語のことのようだった。おばさんの言う方を見ると、壁際に小さな丸テーブルが3つほど離して並べられ、その上に白い大きなチーズが乗っかっており、切り分けられているところだった。おばさん曰くTipico(典型的な地元料理)とのこと。このチーズは直径40cm、高さ10cmくらい、布巾で包んだ跡のように端に皺の寄った円くて白いものだった。味は牛乳を腐らせて塩で調味したような、わりあいにぼそぼそとした変わった味をしていた。すぐ近くの壁にかかっているチーズ職人の写真の中に映るチーズだということだった。

 

  へえーと2人で改めて、その写真を眺めた。飲み物は小さなプラスチック(透明)のコップにGinが注がれて出されている。チーズと飲み物が出るといったら本当にチーズと飲み物だけだねとくるみが言ったが、このとき薫の頭にあった鶏の丸焼きのうまそうな姿はかわいそうにあえなく消えてしまった。皆どんどんチーズをつまみ、わいわいとあちこちに集まっては談笑している。この写真展はスペインの職人たちを撮ったもので、だいたい4コマ1セットにし、職場での写真、顔のアップ、仕事の道具、働く手足、というような構成である。ボティーホ(伝統的な素焼きの壺)づくりの職人、コック、鉄細工職人、靴屋、漁師、蹄鉄屋、洋服屋、植字工、製本作業をする人

  今まで見たVidalの写真とまた毛色が変わって、Walker Evans的に(8x10エイトバイテンと言う大型カメラで恐慌期のアメリカを捉えた草創期の名手)シャープで被写界深度が深いのが特徴になっている。アングルにも共通点があるが、時代のせいか人の表情がVidalの方が柔らかいのが最大の相違点である。何故Evansを連想したかというと、労働者を徹底して(例えば道具ならそのアップ)狙った為だろう。ポスターの写真は色付きのせいか、円満なふんわりした感じがあるが、はがきでもらったものはもっとクールで味気がない現代哲学風であった。そして、今回は2~30年代のドキュメンタリーを連想させる写真になっていて、ずいぶん毛色が変わっているなあ、模索中なのかなあ、といい加減なことを考える。面白いのは撮られた人たち(モデル)が招待されて来ていたことだった。皆、自分の写真を見ては笑っている。

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  ごつい図体のギャングのようないかつい料理人も来ており、あたりを圧していた。薫が頼んで写真の前で写真を撮らせてもらう。彼はBarceloneta近くでレストランをやっており、fire-man serviceもしているということだった。日本の消防士の帽子もあるから取りに来いと言った。このいかつい顔をしたおっさんは、顔に似合わず、慣れた英語を話し、びっくりさせた。ツイードのオーバーコートを羽織り、黒地に交叉した斧と燃えあがる火の刺繍されたネクタイを締めていた。今夜はおめかししてか、写真の中のような丸い靴ではなかった。薫が「good face!」というと、「いやいや、今日十分に髭を剃ってないんだ」とまじめな顔で言った。このおっさん誰に対しても、この調子。我々に店のカードと、自分の名刺をくれ、来てくれと言った。そばにいた、さっきチーズを切っていた長い黒髪を垂らした厚化粧のおばちゃんは彼の奥さんで店の経営に当たっているとのこと。しばらくまた写真を眺めたのち、Vidalに挨拶して握手して部屋を出る。

 

  Vidalの手は華奢で柔らかく、神経の細い人のような感じがした。あごヒゲを長く伸ばし、めがねをかけており、上はセーター、下はズボン、どちらもベージュ系の地名な色合い。一見、小使いのおじさん風に見えなくもない。大変失礼な例えだが。

  実は握手をしたとき投げてよこす視線が意外にも若くしっかりした眼なので少し驚いた。低い小声でゆっくりと喋る。偉ぶった風もなく、大家然としたところもない。歩き方もひょこひょことしている。話に聞いたshyなところはあまり見当たらなかった。むしろ控えめだが、しっかりした人のような印象を受けた。石元泰博に似ている気もした。

 

  滅多に見られぬ夜のミロ美術館の写真を撮って帰ろうとすると、先のいかつい料理人のおっさんも車で帰るところであった。「Senor,adios」と声をかけると、車に乗って行けと言う。Toni Vidalが好きかというと、素晴らしい友達だ、と言った。素晴らしいとはどういうことかと聞くと、beautifulagreeablefellowだと答えた。Hotelまで送ってやろうかと言ったが、こちらはレストランに行くところで、それも言い出せないので、「muy lejos」と言って、Pl espanaで降ろしてもらった。おばさんがドアを開けてくれて、「RestauranteBarcelonetaにありますよ、いいですね」と念を押した。「I hope to see you again」と言ったおっさんの言葉をもう一度代弁したようだった。仲々商売熱心である。でも我々はAGUTへ行くのだった。ごめん。

 

  Barcelonetametroを降り、蛇口のついた樽を並べたBarの間などを通ってAGUTに入る。客の入り、6割位。昼より少なし。奥の席に坐り、注文。薫のsopa de pescadoresはずいぶん長いこと忘れられていた。先にが来てしまったので、まだ来ていないという。Saritaより洗練され、あっさりとしているがかなり旨い。ダシの魚をけちりながらうまくバランスをとったという気もした。今日はパンも少なく、メルルーサも散らかっていた。くるみは思い切ってアーティーチョークの根元のグリーンソースを頼んだ。くるみが捨てた根元は柔らかく煮込まれ、パセリと酢、他何物かのソースに漬かって7個ほど出て来た。アーティーチョーク自体の味が微かでわかりにくいが、柔らかく美味しかった。これでしゅろの葉のような部分は食べないということがはっきりわかった。アーティーチョークも食べられるのだ。

  2°は薫corderito lechel a la plancha。このあいだのasadoと違い、だいぶちいこいし、骨つきで肉は半分ほど。こちらの方が(切身で)あっさりしており、臭みが少ない。Planchaにしては味わいがあるが、その理由はわからなかった。くるみはイカフライ アイオリソース。アイオリは最初持ってこなかったので、おばちゃんに頼んだ。にんにく多量すりおろし+マヨネーズ+油というところか。ゼラチンが入ったようにぷりぷりとしていた。イカフライはなぜか甘かった。これにvino tinto de la casa 3/8Lagua minerale 1/2L、パン。パンは坂下のパン屋のに似ている。デザートなし。ここの担当の白髪混じりのおばちゃんは周りの席の客の置いていったチップをわざわざ見せるようにレシートを開いた。昼間と違い、皆結構(35~100pts)チップを置いていた。もちろん、我々は置かない。勘定を済ませてから薫は写真を取りに調理場へずかずかと入っていった。従業員たちはわあーっと皆物珍しそうに身を一方に乗り出して見ている。戸口に立っていたくるみを振り返り、「連れだな」と言う風に笑っていた青年もいた。ナプキンを肩にかけグレーのカーディガンを着たメガネをずらしたおっさんが、くるみの横まで来て立ち止まっているので見ると、「ヤーパン?」と聞いた。「Si,Japon」と言うと、一人で納得して行ってしまった。あの無愛想な風のおばちゃんも笑って知ったような顔をしていた。一方、薫の方では、調理場で誰がコック長なのかわからず、おまけに広くて何が何やらわからぬので、撮りにくく困っていた。あとで聞いたら、ストロボも時間がかかるし、様にならないので参ったということだった。もう一度挑戦するぞ、と勢い込んでいた。MATAS隣りのシャンパン屋は閉まっていたのでmetroにてアパートに戻る。部屋に戻ってわあわあ騒ぎ乍ら、また白vino1本位飲み、くるみが耳をかいてやり、薫は寝入った。くるみも後から床に就く。