9時10分に起き、大急ぎでロッシオ駅にゆく。この駅は広場南西のビルの階上にあり、分かりにくい。駅のBarでミルクパンにチーズやハムを挟んだもので朝食にした。くるみは
ポルトガル風ミルクコーヒーに懲りてエスプレッソにする。薫は懲りていない。
10時45分発フィゲラダフォス行き。乗り込むとモロッコの列車に似て、4人掛け、窓ガラスは汚れ、カーテンは青色だった。各種設備は破壊され、盗られてはいない。ここは
2等でビニールレザーシートになっており、一等はチェックの布張り。車窓から見える
ポルトガルの家は皆屋根瓦が赤茶色で、白壁の家も多いが色のついた壁の家も結構見られる。
窓や扉口の上部が丸く半円形をしているのもそれらしい。
駅舎のホームに貼ってあるタイルは各駅ごとに違い、その地域の風景になっているようだ。タイルの凝り加減も違っていて、地味なタイルで飾られたところもあり、そのタイルは
ホームにある便所の外壁タイルと同じだったりする。駅構内のレストラン等がポルトガル風典型的建物になっているのも面白い。
途中オリーブと葡萄の畑も見えたが、どこも雑草が生い茂っていた。雑草か何か分からぬが、春でもないのに黄色い花が一面に咲いているところもあった。暖かいせいか、雑草は緑のままである。白いむっくりした牛が牧草を食んでいたり、仔馬が跳ねていたりした。
13時11分BALADO駅に着く。駅を出るとタクシー運転手が袖をひいたが、200$と高いので遠慮する。西洋人の女の子がバスストップを聞いたので、くるみがスペイン語であっちこっち聴き周り教えてあげる。彼女は50分遅れでおそらくナザレへ。我々は近くのおっさんに教えられたcafe restauranteに行き、14時45分発のバスに乗ることにする。
レストランは駅舎を出て左に曲がり、150m先右手にある。ここでもVOTE CPUと云う
ポスターがよく見られ、プロパガンダの壁画もあった。あちこちにソビエトの槌と鎌のマークが描かれている。これはLISBOAでもかなりあちこちで見られた。ヨーロッパの中で貧困ゆえか仲間外れになり、ソビエトが取り込もうと声を掛けている図か。それにしてもこの
嘘くさいペンキ絵は頂けない。
ここのレストランはU字カウンターになっており日本のスナック風。奥左にテーブル席がある。若い別嬪のおねえさんがテーブルに肘をついて乗り出し注文を聞いた。しかし、何を食っていいのか皆目分からぬのでメニューを見た上で、いいのを頼むと言う。
出てきたのは大きな茶色の陶器の皿にでかでかと盛られたバカリャウ(たら)。その下には小さく頭のとんがった形の黄色いほくほくした豆。これは大豆に似た味。いつかどこかで
食べた気がする。バカリャウは塩鱈。これに茹でポテトがついてくる。小皿には玉ねぎ、パセリのみじん切りがあり、これをかけて食す。
VINHO(ポルトガルのワイン)は色濃く、こくこくとして旨い。パンはどこでもそうなのだが
ドイツの真ん中がくびれたパンに似た形をしており、外側が軽くぱさぱさと粉っぽく、内側は
ふわふわと柔らかい。豆を残し、腹を抱えて駅に戻る。バスストップの看板はないが、駅前にて乗車。がきんこがこちらを見てけらけらと笑っていた。
バスの車掌は肩からミニレジスターを提げ、それを打つとレシートが出る仕掛け。レジスターは短い円筒形をしている。ナザレのバス停車場に停まる。
少し歩くと、首巻に鼻汁をつけたおばさんが、”シャンブレ”?と言って眠る格好をして
自分の宿に引こうとしたが、小汚いのでPensao Ribamarに向かう。どうもポルトガルでは
スペイン語かフランス語なら通じる見込みがありそうだ。
Pensaoは一階にレストランを構え、意外に民藝調を打ち出した小綺麗な造りである。
900と高いのでとにかく安くしてくれと言ったら、朝食なしで800と云う。部屋を見ると
木製のデコラティブなベッドに白壁の洒落た部屋(風呂付き)なので、ここに決める。
窓からは右手に海が見える。No.18 ベッドの頭部には楕円形の籐細工がはまっている。
ベッドカバーはピンクのストライプに小さな赤いバラ模様、フリル付き。木彫りのサイドチェストとひだひだの花びらのようなスタンド付き。風呂はブルーの柄入りタイル張り。
タオル掛け、トイレットペーパーホルダーんも凝っている。天井の照明は海中の藻が
上に向かって開いた形の白い陶製の飾りで間接照明になっている。
床は小さなPタイルでよく磨き込まれている。階段の手すりやロビーも趣あり。
列車疲れで、ともかく一息いれる。
まず、インフォメーションにゆき、クールを気取りながら親切なおねえさんに、ナザレ風
ウールシャツのいい店を聞き、ついで安いホテルとレストランも尋ねた。
レストランは海沿いの小さなのとしか教えてくれなかった。
ウールシャツ屋でしげしげ検討を始める。いくつかの吊るしはありそうな柄、色合いで、話を聞くと生地から縫ってもくれると云う。驚いたことに、吊るしもオーダーも同じ値段で1600
$だった。他の店は800か900だがウール50%綿50%で、ここではピュアウール100%と強調した。生地の種類は多数にわたり、チェックが豊富である。はげかけて頑強な視線を持つ
おっさんはこの店に自信をもっているようだった。
迷った末、グレーにオレンジの細いストライプの効いたチェック地に決める。寸法は首回り、
肘までの長さ、肩幅、胸周り、着丈を綿密に測った。くるみはグレーと黄色のチェック地。
2つ買うから安くしてくれと言ったが、3200のところ、3000にしかまからないと云う。さらに粘ると、さっと生地の値段を見せ、500$✖️2,6メートル+200(加工賃)と計算してみせた。あまり、手際がいいのと、堅い商売をしているらしいので、これで妥協した。
この店はほとんどウールシャツだけを扱っている。他にはウールスカート若干、ナザレの黒帽子のみである。
海沿いを散策する。フェニキア風色彩のボートというが、淡路島でもどこでも
結構色付きボートを見かけるので、あまり珍しくはない。水色や赤には馴染んでいる。
それより実に豪快な海波と、しわがれた爺さんが被る、垂れたナザレ帽が印象に残る。
また、インフォメーションに戻り、釣りのパンフレットはないかと聞くがない。
ウールシャツ屋で安いレストランと言って紹介してもらったCASA ANTONIO ALELUIA
に行く。看板なく見つからなかったが、ナザレ帽のずんぐり爺さんに店の中まで連れていってもらった。
本日のスープ2つと、店の親爺が勧めた一番安いいわしの塩焼き2つ、赤ワインを頼む。
スープはじゃが芋が溶けてどろどろになった野菜スープで、豚汁に似ていた。
いわしの塩焼きは、レタス、トマト、玉ねぎのサラダに茹でポテトを従えて、数尾で登場した。
体長15センチ、焼き上がり良く、新鮮ですこぶる旨い。骨もバリバリ食える。
VINHOは口当たりよく、一杯お代わりした後、ポートワインも頼んだ。こいつは小さなグラスに入り噂通り甘いが、ブランディのような香りがあり旨い。いくつかのレストランの値段表を見たが、ここのはなるほどかなり安い。
最近は腹を抱えて店を出ることが多くなった。
宿に戻り、ひっくり返ると、くるみが今日が薫の誕生日であることを思い出した。
これから乾杯しようか、しまいか、どうしようかな。
誰もが買うウールシャツの店
CRISPIM AUGUSTO DE MEDEIROS
Dr .Manuel de Arriaga, 14~15 2450 NAZARE
追記、誕生日は結局ALELUIAで行われた。VIHNO BLANCOを煽る。
店の壁には、サッカー選手の古びた集合写真が掛かっていた。ここに
あなたはいるのか?と聞くと、いや、いない。友達だと答えた。
ほとんど永眠してしまい、一人はまだ生きている。76歳と書いて教えてくれた。
ALELUIAは、ひょっとして、ハレルヤ、祝祭の言葉か。