2月27日日曜日 バルセロナ最後の見納め。ピカソ美術館、グエル公園

 晴天 ときに暑し

くるみだけ8:45に起床。Museo Picassoを見納めるだけ。9:45に出かける。ハポネスを数人、Museoで見かけた。あいさつ(会釈)すら返さぬものもあり。目に焼き付けて帰る。

 

  帰りがけ、緑に赤の垂れた植物の名を館員に聞いたが、もう忘れてしまった。ややこしかった。気持ち良く帰る。

  昼食はCurry+バターライス。バターで炒めてから炊いたが、意外なほどバター臭しない。うまし。

4時まで荷物整理して、もう一つ、Parque Guellを見納める。いくら見ても、Toniはうまくあの天井を撮ったものだ。不思議に撮れている。柱の上のうねった陶板のある運動場、端のベンチについて。

  1. こまかくうねっているので、他者と区切られる。扁平な関係にならぬ、隣と微妙な距離感になるとも言える。
  2. 海の方向に飛び出しているところでは、自分だけが前方に出ている感じがする。ちっちゃな風景の独占感。

 

  そばの草山に登り、バルセロナを見渡す。

アパートに帰り、風呂に入り、ちょっと寝る。夕食はCurry+オリーブ+赤vino(Siglo)+ポテトサラダ。フラメンカは作ったが、腹に入らなかった。これで殆ど材料がはけた。まずまず。

明日の準備をして、9時過ぎ。やっとのことで消燈。

(これだけの荷を本当に日本まで持ち帰れるかと思うほどの量だ)

2月26日金曜日 帰り支度のち、 Ciutadela 動物園

 

この日記は228日月曜日AM1:30に書いている。TONI家訪問以降は帰り支度に終われ、大事件もなく過ごしている。あまり書くことがない。この日は朝遅く置きて4ℓvino瓶を返却。近眼おばさんおらず、おっさんで150ptが瓶代だと言ったが、小遣い帳見せて200pts返してもらった。38ptsのパンを買って、瓶返しがてらスーパーに行く。Aceite2.5ℓ買う。帰って昼食。何を食べたか思い出せない。Vichissoise+海老フライ(玉ねぎも)+パンだった。そうだ。全て味はまずまずだが、つなぎに卵の代わりにマイス粉を使ったらパン粉のくっつきが悪く、鍋の中でだいぶ剥がれた。一服して、予定通りCiutadela動物園に出かけたが、Ciutadelametroを降りたら、随分遠くくたびれてしまい、無理はやめて中止にした。必要性の高いカバンを買いに、El CorteGalerias両百貨店にゆく。皮革物の数だけ多いが、丈夫さ・デザインで良きもの見当たらず、結局El CorteSamsonite(車付き、レバハスなし)4000あまりのptsで購入。 Pacoのカセットも1本、El Corteで購入。いつもは安い方のGaleriasでは、驚いたことにたくさんあったPacoのカセットがTodo売り切れで、セマナ・ケ・ビエネ(Semana que Viene)またいくつか(の週に)入るだろうとのことだった。

観光客が買い占めたのだろうか。帰ってCurryを食べて、少し荷物整理などしてから、1時過ぎに寝る。

Curryは時が経つと、馴染んできて味が変わるようだ。よくなるみたいだ。辛みが下がって、甘みも出てきた。じゃがいもか。

2月25日金曜日 牛の肝臓、切り落とし山羊の首、白い脳味噌に胃袋

 

  くるみは昨夜、というか今朝方まで起きていたので、しんどくてくたくた寝ていたら、薫が来て「朝ごはんできたよ」と言った。相変わらずジャムつきトスターダとCCL。しかし、最近これが一番朝の体調に合っている気がするから不思議だ。

  外は今日も雨降り。霧雨のようだ。本当は今日、早起きして市場にゆき、混んでいないうちに写真を撮る心算だったのだが。薫も億劫そうだったが、やることを延ばし延ばししていると、時間がなくなって却ってしんどくなりそうなので、やっと重い腰をあげたのだった。

 

  最近、犬の糞が道路に多くて滑りそうだ。薫は「気温が下がったから、犬もお腹を壊したんじゃないか」と言う。途中までいったところで、香辛料屋で取り替えてもらう筈のコロランテ2袋()を家に置き忘れて来たことに気づいた。くるみが走って取りにゆく。

  薫は角の店屋で待っていた。かなり急いで戻って来たつもりだったのに、「遅いから車にはねられたのかと思った」といとも簡単に、人を交通事故にしてしまう。市場は、今日も雨なので空いているかと思ったら反対でかなりの賑わいであった。客が多いのを反映して店の人も威勢が良い。また、品数も多い。昨日、一昨日と探したalmejas(はまぐり)も今日はあちこちの店屋で出している。参るよ。ほんと。

 

  また今日も混んでいる香辛料屋へゆき、長い長いシナモンの棒2本を買い、そのあとにコロランテを取り出して、「これはサフランか」と聞いた。鼻の先の丸いおじさんは、首を前に突き出して、一生懸命説明してくれるが、くるみにわかったのは「pure(純粋)」であることと、パエージャに使うのにはもっと必要であること、これを入れると米が黄色くなることだけであった。結局これが何者であるかはわからぬまま、困った顔をして佇んでいると、おじさんは紙に包んだサフランの花が2~3本入ったもの(表に20ptsとえんぴつ書き)を見せた。あ、そうそう、これ。いくつか、と聞くので、また考えていたら、今度はマッチ箱くらいの大きさのボール紙を台紙にしてセロファンで包んだpaqueteを見せた。2つもらう。釣りもわかりやすいように、昨日の分8ptsを返し、新たに300pts受け取った。最初はここでも慣れない為、怪訝そうな顔をされたが、このところ毎日来るのでおっさんも仲々サービスがよい。

  今日もこの店の息子らしき、父親にそっくりの先の丸い鼻とくりくりとした目玉を持った青年が手伝っていた。スペインの店屋の娘や息子は偉いなあ。よく嫌がらずに働くなあ、と思う。Patataはおやじが気に食わぬので、patata屋では買わぬことにした。人間、愛想悪くて人柄悪いと損するよ。苦虫を噛み潰したところまではいかないが、よく眉間に皺の寄るおじさんの店でpatataを買う。38/kg×1kg。くるみが「ポールニューマンに少し似ていない?」と言ったら、「良すぎるよっ!」と大声で薫が叫んだ。100pts8ptsを出したら、釣りは70ptsなのに、75pts(25pts×3) くれた。「おまけしてくれたのかなあ」

 

  DESPOJO屋の写真を撮る。ここにはまだ買いに来たことがないので、よく見たことがなかったのだが、大きな大きな牛の肝臓、毛がついたままの切り落としヤギの首、得体の知れぬ白いもの、赤いものが吊るされている。ガラスケースの中には白い脳みそやら、ぶよぶよしてレースのようなひだひだがうねっている胃袋(callo)らが所狭しと置かれている。客が結構並んで流行っているところを見ると、まだスペインの家庭料理も廃れていないなという気がする。家庭料理がなくならないうちはDESPOJO屋も安泰であろう。これらのものは近づいてみると、思ったより不気味ではなかった。

  そうしてみると、日本の牛や豚のDESPOJOは一体どこに行ってるんだろうか。スパゲティを買う為にスーパーにゆき、ついでに土産用のvinoと食事用のと3本のSigloを買い込む。レジに並んでいた時、聞いたようなイントロが流れてきたので、あれっ!?と思っていたら、春色の汽車に乗って海に連れて行ってよー松田聖子赤いスイートピーがかかった。へえー、スペインで松田聖子を聞くとは思わなかったね、と2人で驚いた。まさか日本語での歌がこちらで流行るとは思えないから、きっと誰かが個人的に手に入れたものなのだろう。改めて聞いてみても仲々いい歌のような気がする。スペインの歌手は割とハスキーボイスの人が多いからその点で受けたのだろうか。それにしても、日本とスペインが似ているとは前々から思っていたが、歌の感じもよく似ている。双方とも同じようなところがダサイ。まあ歌は言葉が基本になっているから、常に「子音+母音」の発音の日本語と同じくたいていが「子音+母音」で終わるスペイン語と似ているのは当たり前かもしれない。1音符に1つの「子音+母音」を当てはめたような歌が多く間延びしてリズム感がないところなども似ている。薫が言うように、日本もスペインもやはり「世界の田舎者」なのかもしれない。

 

  アパートに戻る途中、パン屋でドーナツ200g買う。昼食はCaldoとスパゲティミートソース。書き忘れたが、ひき肉をいつものTernera屋で買うとき、「28Febrero partir a Japon」と言ったら、昔のアメリカ男優のような肉屋の主人と鼻のつんと上向いた奥さんが「¡partita!」と言って驚いた。もう戻ってこないのか、と何回も聞き、最後には「¡ボン ビカッへ(Bon viaje)!」と言って手を差し出した。握手をして別れを告げたのだった。

 

  話をスパゲティに戻そう。

 

  材料は、ひき肉()200g、玉ねぎ1個、ローレル1枚、ナツメグ少々、塩胡椒、トマト缶大カップ(220ccくらい)、きざみパセリ、おろしチーズ、パスタ250g、バター、オリーブ油、にんにく。

作り方は、フライパンに油とバターを熱し、みじん切り玉ねぎにんにくを入れてよく炒め、そこに牛ひき肉を入れ、よく火を通し、水を加えローレルときざみパセリを入れて数分間煮込む。その後、塩胡椒してトマト缶を加えて煮詰め、好みの加減にしてできあがり、である。Caldoは煮込み材料も食べようとしたが、味がまったく汁に出切っていたのでやめ、フィデオスを入れた。このスープは鶏の首、ハモンの骨、牛骨が入っている為、油がすごく強い。そうした訳で塩加減に非常に苦労したのであった。また、野菜も結構たくさん入っていて甘みが出るので、仲々塩が効きにくかったせいもある。しかし、出来は一応まともで、少し味が濃いかな?というくらいであった。栄養のあるスープだ。

 食後にオレンジ。後片付けをしたら、もう出かける時間になった。絵タイルの額が出来上がってくるのだ。それともう一つはこわれもの(フラジーレ)を入れる(手荷物の)バッグを下見する為。El CortePreciadosを見たが、どちらもコストパフォーマンスよいもの見当たらず。El CorteSamsonite(車付き)Preciadosパイロットのスーツケース(ボックス型)がまあまあの候補。アパートに戻り、薫はパエージャを作り、くるみは手荷物まとめをする。夕食はパエージャ(2回分)と赤vino、食後に桃缶と薫はalmibar漬けりんご。そしてCCL。薫は洗濯に精を出し、くるみは洗い物をする。カレーの具がグツグツ煮えてきた頃(食後にくるみが用意して鍋をかけておいた)、時はすでに2時を回った。ああ、しんど。またあした。

 

PACO DE LUCIAの最新アルバム(2/26購入)

“SOLO QUEIRO CAMINAR”独りで歩きたい

2月24日木曜日 写真家トニ・ヴィダル私邸に伺う

 

  10時少し前、床を抜け出すと、朝食を薫が作りにかかっていた。いつもより分厚く切ったジャムトーストと小さいカップCCL。薫は結構な食欲で4枚食べた。Pacoのテープを少し聞いたのち、市場に出かける。

 

  外は朝方雨が降ったらしく、濡れて少し乾きかかった舗道と、むうんと暖かな大気。今日は清掃日なのか作業員の人達が何人かでそれぞれの担当地区のゴミや汚泥をさらっていた。市場は天候が悪いためか、かなり人出が少ない。いつもはこの時間(11:30)だと人が結構混んで道が狭くなる感じがするのに。愛想のよい海老屋のおばちゃんの店も今日は客がいない。我々がムールを買いにゆくと、綺麗にセットされた頭を出し、にこやかに注文を聞いた。今日はどこも流行っていないが、特にこの貝や海老を扱う店の周辺はおそろしく人が少ない。というか、このおばちゃんの店でさえもたまにぱらぱらといるだけで、他の店は全く人気なし。我々が買っている時も右隣りの貝屋のお姉さんがやることがないので、山盛りにされたあさりを端から掬い上げてはじゃらじゃらと落としていた。

 

  薫はDespojo屋の写真を立ち止まっては撮りにかかっていた。パエージャをするための鶏を購入。心なしか、古く見えたが、家へ帰って開けたら匂いがするほどでもなかった。

鶏の解剖の仕方〉

  1. まず首を落とし、更に頭を落とす。
  2. 次に肛門を落とし、レバーをちょんぎって身体を2つに割って(手で両側に開いて)下の方からじょきじょきとはさみで真っ二つに切る。
  3. 股関節をのばし外して、はさみで切り、足を外す。
  4. 足の先を切り落とす。
  5. 手羽を落とす。
  6. 本体2つになったものをそれぞれ更に2つに切り、4つにする。
  7. 先の爪を落とす。

 

  この鶏屋さんでは親切にも首・肛門・レバー・足先をまとめてビニールでくるんでくれる。これで完了。

 

  香辛料屋では、相変わらずおばちゃん達がごちゃまんとたむろしており、くるみが「¿Quien es urtima?」と聞いたので、スペイン語がわかると思ったのか、くるみのあとの番のおばさんが何事かを伝えようとした。よくわからぬ顔をしていたら前のおばさんに言っていたところを見ると、どうも順番とっておいて、ということだったらしい。このあとも、皆で私の次がこの人でその次があの人で、というように、順番のことだけを皆でわいわい確認し合っていた。相当な念の入れようである。これでは、ちょっと割り込んでくる奴がいたら、これら背は低いが、やり手そうなおばさん達にさんざんにやっつけられるに違いないと思った。

 

  今日もにんにく売りのヒターノの女性、他石けん売りのヒターノの男の子(青年)が順番待ちの客に話しかけていた。しかし、くるみには声をかけず。にんにく売りと言えば赤いネット入りにんにく(25個程入っている)を両手に持ち、通りすがるおばさんに「いりませんか!どうですか!」というふうに活発に声をかけていた少年(ヒターノであろうが少し顔つきが違った)は、まだ声変わりもせぬ子供なのに、仲々歯切れよい売り方であった。大した度胸だけど売れないのかな、と思っていたら、順番待ちをしているとき、「¡Urtimo!」と叫び、片手ににんにくの詰まったネットを掲げて勢いよく走っていった。どうも1ネット売れて残り1ネットになったらしかった。幼いのに肝の据わった声といい、物慣れた仕草といい、大した小僧であった。あとから薫に聞いた話では、どうもおしのマネをして売ったりしていたようであった。

 

  香辛料屋ではサフランを買ったが、家に戻って開けてみたら、カラー・コンディメントであった。明日また取り替えに行かねばならない。雨が降りそうなので、急ぎ足にてアパートに戻る。さっそく鶏を骨と皮と身に区分。薫はCaldo(温スープ)を作るため、首と足を鍋に放り込み、本当にあるのかどうか疑わしく思い乍ら聞いたhueso de Jamon(ハムの骨)とやらも加えてぐつぐつと煮にかかった。

 

  昼食はビーフステーキときゅうりのピクルス、ハムのマリネ、赤vino少々、それにパン(マーガリン!付)キャビア。ステーキはいつものようにバターを落とした中に薄切りにんにくを入れ、塩胡椒を入れて焼き、vinoをふりかけたものに、刻みパセリをふりかけて食した。モスタッサもつけた。ハムのマリネは残り物のハム(短冊切り)に、人参、玉ねぎの薄切りを合わせ、酢と油をかけ、塩胡椒で調味したもの。Vinoシャンパングラスの半分にも満たなかったが、全体のバランスが取れて機嫌良い食事になった。食後には桃缶2切とりんご1/2(各々)を細かく切ったものを、その場で合わせてデザートにした。もうこの時点で時計は3時を回っていた。Toni Vidalと会うのは5:00だが、シャンパン屋に寄ろうと思っていたので。

 

  そうなると3:30にここを出なければならない。しかし、食後の片付け、くるみの洗髪を考えると無理なので、予定をずらした。アパートを出たところで薫がmapを忘れて来たことに気づき、すぐ取りに戻ったが、更に名刺(住所・Tel no.入り)を忘れてきたのであった。何とかなるさ、とmetroに乗り、9つ目のBogatellで下車。この辺はまたMatasの付近ともAlfonsoとも違って工場らしきものがいくつか見える、意外に閑散とした場所である。右手彼方にはSagurada Familiaが見えた。Toniが地図に落としてくれたばつ印にたどり着くと、そこは太い道路に面した大きな高層ビルで、1階が銀行、2階以上がアパートになっているらしかった。それらアパートの入口らしき木製扉は固く閉ざされており、色ガラスの向こうのconsaljeも留守中。ドアの横にはただ階数と部屋番号を書いただけの押しブザーが並んでいた。名刺を持って来ていない我々は途方に暮れて、あたりをうろついたが、やっぱりこの立派な木彫りの扉(日本の家でよくある玄関扉に似ている)が入口であるらしかった。少し待って、portarのボタンを押した時、ちょうど買い物帰りのおばさんが来た。「¿Donde esta fotografia Toni Vidal?」と聞いたらそっけなく「No,hay」と答え、続けてどこそこのBarかにinfomationがあるからそこで聞いたら、ということであった。そんな筈ないんだけどなあ。やっぱりここやねんけど。もう1度戻ってくると、車の中から荷物を運び出してドアの周りに並べているおじさんがいたので、もう1度「¿Donde esta fotografia Toni Vidal?」と聞いてみたら、ガチャガチャと鍵を差し込んで重い扉を開けてくれた。中に表札があるからそれを見てみなさいと言っていたらしかった。やっとのことでアパート内に入ることができ、ポスト(郵便受け)を見ると、3階2aToniの部屋であった。エレベーターにて3階まで。Oficinaかと思っていたが、どうもプライベートハウスのようである。おそるおそるベルを押すと、しばらく間があり、人が覗いた気配がしてからドアがそーっと開いた。大きな扉のかげに痩せて小柄なToni Vidalの姿が半分だけ見えた。

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  中へ招じいれられる。玄関を入ると、白い壁の細い廊下が奥へ続いている。壁際には腰の高さほどの白木のボックス型本棚が廊下いっぱいに置いてあり、中には本がびっしり詰まっている。この棚の上には、素焼きの壺やら貝殻他、細々としたものが置かれている。本棚の上部と向かいの壁には展示会のように台紙に貼った写真がところ狭しと貼られている。写真はほとんどmenorcaの岩の写真。我々が帰るまでの3時間余りを過ごしたのは、この廊下をずっといった突き当たりの部屋である。

 

  この部屋はまた広々としていて、ドアを入って正面に見える面は全てガラスである。そこには、陽除けと目隠しのためにサンルーフがおりていたが。このガラス戸側には低い白木のボックスが2つ合わせて台のように置いてあり、上には水栽培と鉢植えのヒヤシンス、深いボールに盛られた胡桃とアーモンド殻つきが無造作に乗っている。この台は上部がフタになっていて、外すと中にたくさんの作品が詰め込まれていた。この部屋にも、本棚とあふれるばかりの本。そしてたくさんのレコード(クラシック中心)。柱には船の舳先についている木彫りの人形(彩色)があり、上部には写真用ライトあり。

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  壁には友人から贈られたという油絵や版画(エッチング)やら、秀逸なもの多し。片面に簡単なソファが置かれていて、そこに我々は座ったのだが、その壁にもおもしろい版画あり。そんなものたちに混じって、くるみの折ったむらさき色の鶴が吊るされていた。

 

  まず、お互いに落ち着かぬながら、薫が「スペイン語は少ししかわからないが、辞書を介してなら会話できる」というスペイン語訳を見せて辞書を示した。Toniが我々に飲み物が何がいいかと聞き、cerveza(ビール)を取りにゆく間、壁の絵や版画を見ていた。版画でコバルトブルーの飛行機を刷った上に黒ペンで細密画風に書き加えたものはなかなか良い。油絵は少しクセがあるが、乞食のおじさんがうずくまっているようなかわいらしい版画他。非常に細かくて丁寧に描かれたエッチング(これは虫と人間がごたまぜになって絡み合って描かれている)など仲々魅かれるものが多い。やはり、鋭い方のところには鋭いものが集まるものだ。

  少しすると、サービステーブルに缶ビールを3本とコップ3つを乗せたものをToniが運んで来た。つまみは、深鉢に盛られた殻つき胡桃とアーモンド。ペンチのようなくるみ割りでもって割ってくれた。「こういうのは日本にない、胡桃やアーモンドは高い」というと、こちらでも高いがNavidad(クリスマス)の典型的なpostre(デザート)だ、と言い、箱入りの胡桃菓子を持って来て見せた。少し食べて見るかと進めるので1切れずつもらう。これはアーモンドの粉と砂糖・ミルク・粉を混ぜ合わせ固めたものらしく、甘いがコクのあるサクッとした歯ごたえの菓子だった。途中で、写真を見せてもらえるかと聞くと、ガラス戸側の台の上を片付けて、そこに椅子を起き、そこで見るようにセットした。写真はmenorcaのと肖像と二種あった。Menorcaのは石の写真多く、波にそぐられたもの、海のようにうねって渦を巻いているもの、波のようにさざめいているものを撮っていた。またmenorcafiestaの写真もあったが、これは6月のサンホワンの祭りだそうで、豊年を祈るものであることを絵によって教えた。

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このfiestaの写真は石の写真と比べて、どちらかというと「勢い」を出そうとしているかのようにくるみには思われた。我々がもらったカラーはがき(航空写真で山々の中に基地が見えるもの)と同じでモノクロのがあったので聞いたら、農夫達の住まいと牛小屋、馬小屋だということだった。これも絵によって図示。

 肖像写真はガルシア・マルケスを筆頭に、ホワン・ミロ、サルバドル・ダリ、タピエス、他歴史家、詩人、小説家、画家などの有名人であったが、小説家は小説家の(少し俗物的な)、詩人は詩人の(崇高な理念を持ち毅然としたような)、画家は画家の(自己顕示欲が強くてあくが強そうな)顔をしているのが面白かった。日本でもどこでも職業の顔をいうのは変わらないものだ。この後、引き続いて、我々に疲れたか?疲れたか?と何度も聞きながら、次々と作品を見せてくれた。全てはモノクローム、先ほど見た写真を引き伸ばして展示会用に台紙に貼り付けたものであった。今度のは、同じメノルカでもセピア色に染まっている(台紙がくすんだ小豆色)のも混じっている。セピアをかけたのか、と聞くと、15~20年前のものでアンティークな雰囲気を出したかったらしいことが朧げに理解された。薫が更にポスター、Menorcaハガキ(モノクロ)、展覧会と3つの仕事のタイプが違うのはどうしてか、と質問。しばらくこの質問の意を解さぬようだったが、それぞれが違うから撮り方も違ってくるということらしい。

  また、彼はmenorca出身で実際の故郷でもあり、それだけ思い入れも深いとのことだった。つまり写真がその象徴になっているとのこと。我々はスペイン語日本語の辞書しか持って行かなかったために、こちらから意を伝えるのにたいそう苦労した。学生か、と聞かれた時も学生ではなく、料理を勉強していると答えたら、わかったのかわからぬのか、怪訝な表情をしていたし、city plannerという仕事を伝えるのにも大変であった。しかし、全く言葉が通じないで途方に暮れていても、途中からはなんとかお互いにおおよその察しをつけることができるようになったようである。

  誰か日本の写真家を知っているか、と聞いた時には、こちらではあまり展示会がないのでよくは知らない、と言いながらも、日本の写真家のカタログを持って来て、ぱらぱらとめくって見せた。彼はIKKO(の宙に缶が2つ浮いているもの、を指差して、これが好きだといい、次に石元康博の石畳と敷石の写真を指して、これも、これもと言った。少し力が入っていたので、結構気に入っているように受け取った。とことん石の写真が好きなのかしら。そういえばここへ来て初めの頃、ToniWalker Evansを知っているかと薫が尋ねたら、意外なことに知らないのだった。しかし、写真家名簿をひっぱりだして来て探し、(本で見ると)大変興味深いと言った。薫はこの間の展示会の作品といい、手法といい、てっきりWalker Evansのファンなのだろうと思っていたのに、少しびっくりしていた。Toniはもう2つ、menorcaについて石が土台(基礎)になっていることと、二通りの生き方について説明した。二通りの生き方(2 memos de vivo)とは、ひとつは表面的であり、いまひとつは真面目さである。真面目さは、mas trabajo(dificil)音楽で言えば、軽いものとclasicoがあり、軽いものは踊り音楽のようなものだが、今はclasicoを聞いているということ。書き忘れたが、写真を見せてもらう前に、薫がToniに写真を撮らせてくれるか?と聞いた。自分を?という感じで少し驚いていたふうでもあったが、そこは強引な薫のこと、なんとしても撮ってやるぞ、という気合いで、坐る大きな籐椅子まで指示していよいよ撮ることになった。シャッターは開けなくていいのか、灯りはつけなくていいのか、とToniは聞いたが、薫は大胆にも写真家を(それも中以上の腕を持った)ノーフラッシュで撮ろうとしたのだった。少し意外そうな顔をしていたToniだったが、撮られるとなったら仲々堂々としたもので、大きな籐椅子に足を組んで坐り構えた。少し間があってパチリ。撮り終わった後、Toniは「Cansado(疲れた)」といい、薫はひゃあと声をあげた。何故ひゃあと声をあげたかというと、薫曰く、Toniはカメラを向けても微動だにせず、これなら1秒のシャッターを切っても大丈夫そうな程であり、何と言ってもカメラをのぞいた瞬間、向こうからレンズを通してこちらを覗いているように強い視線(それもピントぴったり)で少しもたじろがなかったからであると。一見、ひよわそうに見えるのがレンズを覗くと堂々として様になる。そのギャップにも驚嘆したのだった。謙遜家のToniのことだから、まあ、薫を試すという気がないにせよ、どうやって撮るのか興味あり、また緊張もしたのだろう。いつも自分が撮っている立場だから、撮られる時もどういう表情をしたらどういう風に映るかというのをよく知っている為、かえって困ったのかもしれなかった。この後にお返しに、と思ったのか、「お土産に」と言って我々の写真も撮ってくれることになった。機種は公明な写真家達も愛用の名器ハッセルブラッドと、15年の年季もの三脚で。今度は上部にあるライトをつけ、籐椅子に坐ったくるみと横に立った薫を、フラッシュをつけ速いシャッターでたちまちのうちに撮った。動作がゆっくりの割にシャッターを切った瞬間は写真家の機敏さがほの見えたように思った。彼はこのほかにニコンを持っていると言った。そして、我々に遠慮(気兼ね)したのか、「マミヤやブロニカも前には持っていたがハッセルブラッドの方が軽いから」と少し悪そうに付け加えた。

 

そうこうしているうちに奥さんが帰って来た。白い顔をしてメガネをかけ、金色のセミロングの髪をさらっと垂らした小柄な女性であった。Toniは今こんなことを話していた、というようにメモに書いた牛や馬の絵、くるみが書いた文字の変遷(ニ;Toni Vidalの名を薫が3種の日本語で書いたのを説明するために)を見せて楽しそうに教えた。彼の妻とも握手。「¿Como estan?(お元気ですか?)」と急に言われ、応えられなかったのが心残りであった。

しばらくするとToniが「何か食べ物を」と言いながら、盆に薄切りのライ麦パンとSobranoを運んで来た。Sobranoとはスペインの、殊にカタルーニャmenorcaの典型的な食べ物で、ピメントン漬けの豚のソーセージであり、パンに塗って食べる一見明太子に似たものである。これを切って食べなさい、と勧め、「パンはもっと要るか?」と聞いたり、Sobranoを切ってくれたり、サービスをした。この間の展覧会のときのチーズといい、今日のもてなしぶりといい、Toni Vidalらしい、地味で気の利いたサービスである。たくさん積まれた写真を見るのに、飽き飽きした訳ではないのだが、奥さんも夕飯の支度をしているらしいので、こちらもそろそろお暇しましょう、その意を伝えようとするが、その度にToniは眉間に心配そうなしわを浮かべ、「疲れたのか」と聞くものだから、ついつい長腰になった。最後に1つポスターの原画を見せてほしいと頼むとすぐには見つからないが探してみるからと言って引っ込み、少しすると戻って来て、同じのはないが3枚ある、と言った。どうもスライドにするらしく、その場でフィルムから切ってマウントをつけてくれた。それからよいしょよいしょとペンキ塗りの台のようなのを担いで来て、そこに3冊の本を積み上げ、これもまた名器と言われる西ドイツのRoleiローライ(取り外しレンズ)を上に乗せた。長い長い線を繋ぎ、コンセントに差し込み、壁の絵を外してスクリーンをおろし(これは薫がやった)、いよいよ映写。最初のは関係なく、ローマ風壁画、次に出て来たのは石段の向こうに建物が見えるので、この手法はポスターのに似ているが少し違う。次はデルタ、しかしこれも、全く同じではなく原画はTurisInformationにあるとのことで、少し角度が違っていた。3番目のものはParc Guelの天井を撮ったものだが、ポスターと違う角度から撮ったものが2(端下の方にアクセントがあるもの、真ん中に均等におさまっているもの)あった。どれも驚くほどクリアーでポスターで見る迫力であった。薫はポスター作りの内幕を見たようでおもしろいと喜んでいた。しかし、たった3~4枚の為に、足代やら映写機やらを持ち出して見せてくれるなんて。こんなに親切でいいのだろうか。我々がそろそろ帰ろうとすると、紙切れを出し、日本の住所を書いてくれれば写真を送ってあげる、と言うのだった。そして、更にはくるみが書いている間に、土産用のポスターとカラーの絵ハガキを用意してくれた。ポスターはToni自身が巻いて、端を別紙で包みセロテープで留めて痛まぬようにしてあり、あとでmetroの中でよく見たら、テープの先が折り返してあったので、薫のように几帳面だといって笑ってしまった。絵ハガキはやはりmenorcaのものだが、これはカラー版。とても雰囲気のある色が出ていて二人とも喜んだ。薫は「」やっぱりカラーの方がいいよ」と叫び、Toniに「カラーの方がよい」と言った。しかし、Toniは、カラーも好きだけれど白黒の方がもっと好きだと言って譲らなかった。それでも薫は何とか「あなたの写真はカラーの方に持ち味がある」という意味のことを伝えようとして躍起になったが、結局微妙なニュアンスを伝える言葉を知らなかった為、2~3度やりあった後諦めた。Toniは自分で撮ったカラーのフィルムを全部持ち出してきて、こんなにたくさんカラーを撮った。けれども自分は白黒の方が好きだ、と言って最後まで頑張るのだった。もしかしたら、白黒よりカラーの方がいいと言われて憤慨したのかもしれなかった。彼が言うには、カラーは易しい、けれど白黒は難しい。

夜も更けて真暗になったので、metroまで送ってあげると言って、Toniは紺のニットジャケットを羽織ってきた。悪いし、わかるからといっても承知しないので厚意に甘えて送ってもらうことにした。先ほどの白黒論議と合わせてみても、彼は穏やかそうだがかなり頑固なところがあり、あとにひかぬ子供っぽさがあるように感じた。入口で奥さんと握手を交わし、「またいつか」という言葉を聞いた後、3人で通りに出た。エレベータに乗る時も通りへの扉を開ける時も、常にToniは先に立ち、ドアを開けて待っている。その身の軽さがやっぱり写真家なんだな、と改めて思わせた。それにしても一介の旅行者に、よくもこんなに親切にしてくれるものだ。Metroのマークが見えたところで立ち止まり、握手を交わして別れを告げた。あなたのことは忘れない、楽しかった問い言葉も伝えることができないのは面映ゆかった。

 

MetroにてAlfonso Xへ。アパートに戻るともう9:00を回っていた。ずいぶん長く居たものだ。

くるみはメモを書き留め、薫はカルボナーラを作る。スパゲティが足りぬので、少量残っていたマカロニ2種を混ぜて食べる。その後、はまぐりのスープならぬあさり(Rosellona)のスープを苦心して作り、食す。貝の味はしじみに似て強い滋味あり。醤油が甘いので、またCaldoにコクがあるので味のバランスをとるのに苦労したようだが、食べて見ると難なく旨し。このあと、デザートにオレンジ1個を分け合って食べ、CCLを飲んだ。くるみも薫も疲れてしまった。薫はくるみに気兼ねしてベッドにごろ寝をしていたが、寝ていいよという間も無く、ぐうすか寝入ってしまった。只今明け方の4時。あさりのスープの作り方、他書き落としたところは明日記すことにして、もう寝ようかと思う。おやすみ。

2月23日水曜日 あんこうスープ と イカワイン煮の日

 9:30起床。しかし、外は雨が降り出しそうな曇り空。ジャム付きトーストとCCLの朝食をいつもどおりに終えたが、雨が降り出してきて雨の動物園では動物も出て来まいと思い、明日に延期することにした。薫はパコデルシアを聞きながらSopaの本を訳していたが、くるみがどうしてかめまいがする為、ベッドにて休息。昼頃、薫にもう、お昼ご飯食べるよーと言って起こされるまでは無の世界。起き出して昼食の準備に取り掛かる。

 

 〈スパゲティ・カルボナーラ

いつもやっているメニューなので、材料・作り方を省くが、感想・反省を記す。

  • pastaの本に出ている正調カルボナーラよりこちらの伊丹式の方が勢いがあって旨く感じる。何よりベーコンがカリッとしているのが望ましい。
  • 今回香辛料屋で買ってきたおろしチーズを使ったが、これがまた効果的である。引き立てている。
  • 胡椒は多めが好ましい。
  • 卵は固まっちゃダメよ。

 〈ビーフステーキ にんにくじょうゆ〉

このあと、薫は野菜が足りないと言ってキャベツ炒めソースかけをして食べた。こちらのキャベツは甘みが強く、煮物用なのか炒めてなお固さがある。

食後には洋梨。あいかわらず見た目は冴えぬのにいい味しとる。洋梨がこんなにみずみずしいものとは思ってみなかった。食後はまた翻訳にかかる。薫は相変わらず景気良く進んどるが、くるみはつまって仲々先へ進めない。残念。

 そうこうしておるうちに、マーケットのあく時間になったので、買い物に出かける。外は依然として雨。ジョルディにこの日記帳に書いたサメに似た魚を見せて、「¿Como se llama?」と聞いたがわからず、電話屋のおっちゃんみたいな額の秀でた黒縁メガネの男もいろいろ言うが、どれも当てはまらず。結局わからないからmujeres(女性達)に聞いてみて欲しいということだった。スーパーではトマトと土産用のコーヒー豆他を購入、帰りにパン屋でパンを買ってアパートに戻る。受付では、ベネズエラの女性(赤ジャケット)がソファに腰かけており、ジョルディが聞いてみろというので、魚の絵を見せて聞いた。しかし、わからないので明日教えてくれるということだった。

夕食の準備に取り掛かる。

 〈Sopa de Rape アンコウのスープ

  • 材料◆3人前

Rape 200g(あんこう1尾)/トマト1/パセリ/にんにく1/玉ねぎ小1/1ℓ/塩胡椒/パン小薄切り4/オリーブ油さじ4杯分/アーモンド3粒/サフラン

 

  • 作り方◆
  1. オリーブ油の中に玉ねぎみじん切りを入れて茶色くなるまで炒める。
  2. 角切りにしたあんこうを入れ、水1とおろしトマトを注ぐ。(今回は頭付きだったので、体の分だけ骨を抜いて角切りにし、頭や骨は別鍋で煮て身をほぐし、汁も加えた)
  3. 塩・胡椒にて調味する。
  4. アーモンド、サフランをすりつぶしたもの、刻みニンニクを加え、さらに30分煮る。
  5. トーストしたパン(今回は味が薄いこともありニンニクつき)4枚、パセリを入れ、かき混ぜながら10分煮てできあがり。

 

  • 反省◆
  • Rapeは仲々味が出にくいので、水を控えめにする。
  • 骨や頭は先によく煮ておき、身を煮るときに加えるようにする。
  • 少々塩味が濃かった。(煮詰まったため)

 

 〈イカのワイン煮〉

少し汁気が多く、味が薄まった。汁は抑えめに。

キャビア

 

これに、1973年もののSiglo。しかし、コルクにはカビが生え、薫がベッドの上で力いっぱい抜いたら、ワイン抜きがめがねにあたって、めがねの縁が欠けた。肝心のビノはというと、コルクが壊れて抜けたのだった。薫の言うところによると、悪いコルクを使っていて、時間が経ったので、コルクが水(vino)を吸って膨れ上がっているのだということだった。仕方なしに、白vinoでもって食事を始めたが、途中でもう一度挑戦して開けてみることにした。普通のよりコルクが長いので、何とか何回か崩れながらもカスが落ちずに開いたのだった。シャンパングラスに注ぐと綺麗なルビー色をしている。光がそこの方まで透けて見えるような澄んだ色だ。飲んでみると、バター味に似たコクがうまく味に溶け合ったようなまろやかな、それでいて刺激的な味である。なるほど、10年も呆然と寝ていたわけではないのだ。このvinoは日本にもよく来ている。Sigloと同系列だが、日本に来ているのは、もう少し年代が浅いものだ。こちらのはこういう麻袋で年代の浅いのがないので、きっと100ptsあまりのvinoに麻袋を着せて輸出しているのではないかと思う。坂下のvino屋で買った45/ℓvinoと並べてみると、格段に透明度がまず違う。味にも広がりがある。余計な雑物を入れずに熟成させたという感じだ。旨いvinoだとついつい飲み過ごすと言いながら、キャビアをつまみ、旨いvinoを飲み乍らよい気分になった。

薫は風呂、くるみはvinoを飲みながら日記書きをする。こういう生活もあと少し。考えてみれば長い旅だった気がする。薫は日本のことさえもはるか記憶の彼方だという。飛行機に乗った時は、これから30時間以上も座り続けていなければならないのと、初めての異国、ということで、ただもう恐ろしさだけがいっぱいだった。6ヶ月なんてとってももたないと、密かにびびっていた。けれども、外国についてみると最初は確かに足が地に着かぬところはあったが、途中からは当たり前になっていき、今ではもうこれが自然として違和感がなくなっている。味噌汁やきつねうどんなど日本的な食物も、食べ物に窮していたイギリスでは頭に思い描いて恋しくなったが、何物も満たされた現在においては、あまりその欲求がなくなっている。朝もCCLにジャム付きトスターダというのが身体に合ってきて、それ以外はあまり入らぬ気がするのは不思議な変わりようだ。日本を離れるときはさぞかし、白い飯に味噌汁が恋しくなるだろうと思っていたのに。どこに言っても都会ならば、それほど違和感がないのは、こういう旅ならではのことだろう。正月2~3日はかなり滅入って益がないとダダをこねもしたが、今になるとスペインを離れるのも少し寂しい気もする。スペインの印象も変わった。特にアンダルーシアと違ってここバルセロナはスペインと言ってもかなり気色の変わった地域ではあるが。基本的に、人間が住んでいるのだからして、そう大層な変わりようがある筈はないのだ。白い街並みも、絵ハガキでみればこそ情緒があるかもしれないが、そこの佇んでみればただ少し薄呼ぼれた白い壁があるだけだ。そういうのは、絵葉書で見ただけじゃわからない。それから今回くるみにとって収穫だったのは、いろいろな料理屋に入っていろいろは料理を食べたこと。日本ではあまり変わったところに入ったこともなかったからかもしれぬが、所変われば料理法も変わる、という具合で、思いもかけぬ組み合わせ方をする。それがくるみの概念を破ることになり、幅を拡げるという意味でずいぶん勉強になった。これは、バルセロナのアパートに住みだして料理をするようになっても更に強く感じたことだが。この旅での収穫は日本でも相当役に立ちそうだ。さて、薫も風呂から上がって来たし、そろそろ寝る時間かしら。明日はToni Vidalと会う日。

2月22日火曜日 暗い冬の火曜日 魚のスープ決定版なる  

 

 暗い曇り。2月中旬以降、こういう天気が多い。これが冬か。

昨日と同じく10時起床。朝食のパンは食パンの耳で済ました。今日も市場に出かける。心なしか、魚屋も今日は品数が豊富である。昨日は休みとは言っても、仕入れ日だったのかもしれない。夕飯のArroz de Mariseoの為の海老、ムール、イカを買い、香辛料屋にて日本に持ち帰る為の粒コショー、とうがらし、ナツメグを購入。おばさんはちょっとびっくりしていたようだったが、嬉しそうでもあった。

 肉屋のおじさんは薫を見て、「今日はカメラで撮らないのか」と聞いた顔がすでにほころんでいた。帰りがけに盗み撮りしようとしたら、気がついて、肉を切っている時の横顔にシワがたくさん寄っていた。昼食は、シャンピニョンのスパゲティ。薫が手がけた。このスパゲティは何回食べても美味しい。シャンピニョンの香りと歯ごたえにバターとワイン。なかなかの名作だ。日本へ帰って食べられなくなるかと思うと残念だ。バルセロナを離れるのに何が残念かと言ったら、やっぱりくるみは食いしん坊なので、おいしい卵や、新鮮な肉や魚、シャンピニョンや洋梨などの日本では手に入りにくいものと別れることだ。Vino, tambien 洗い物、訳などやっているうちに夕方になり、外は暗く寒そうなので、散歩は中止して、夕食の仕度にかかる。3時頃か、ブランデー入りこコーヒー(よくBarでやっている)を飲んだら、腹が張ってきた。Barでは、ドポドポとBrandyをついでいるが、我々はun pocoにして、ミルクや湯を足した。それでも、効いてしのぶによると、温めたブランデーを飲んでいるように感じるそうだ。コーヒーではなくなる。

くるみが調味したSopa de Pescado をまず食べる。うんと旨し。ほぼ、難がなく、少しpimenton picantが効いているのが特徴になっている。時間はかかったが、これならAGUTの味に匹敵するといえよう。と絶賛したらくるみは喜びを噛み殺して外に出すまいとしているようだった。さて、決定版の作り方。

 

  〈SOPA DE PESCADO

  • 材料◆

サメ形魚の頭・胴体のぶつ切り/うなぎ形魚の頭・胴体のぶつ切り/トマト1(種をとらずにみじん切り)/にんにく1/4/玉ねぎ中半分/パセリー茎/塩胡椒/ピメントン2種/パン薄切り小型6(にんにくつき)/ムール貝4

  • 作り方のポイントと反省◆
  • トマトは皮を剥かずに種もついたままで、よく刻んだものを入れた。そのため、よく、オレンヂ色が出たように思う。AGUTも種のまま煮ていたのではないか。
  • 魚は余り細かく刻まず、かき回さずにとろ火で煮た。深鍋を使って。少量の水で全体が浸るようにしたので、平鍋のときと違って(多く水を入れてしまう)、汁が薄まらずに済んだ。
  • パンは新しいのを使ったので、よく焼き、にんにくを両面にこすりつけて塗った。小6枚に対してにんにく1片半やった。
  • 魚汁をざるでこした後で、塩胡椒、ピメントンで調味した。ピメントン・ピカンテは(がばっと)一振りだったが、結構効いた。胡椒は控えめ、塩も慎重に加えた。
  • 味が決まってから、パンを入れ、潰さぬよう、ほぐした。ムールの煮たのは最後に入れて、一煮立ちさせただけにした。ムールの煮汁は鍋中の味が薄まらぬよう、少なめを入れた。
  • 薫の思うところでは、このSopaは、濃い魚のスープを牛スープが補いながら、にんにくと釣り合ってできている。臭みはパセリが消している。酸っぱ味はトマトが担当している。玉ねぎは甘みで、パンはとろみと香ばしさ(油の)で用いられているようだ。

 

このすぐ後、薫がArroz de Mariscoを作った。二度目の挑戦である。

 

  〈ARROZ DE MARISCO

  • 材料◆

170cc/玉ねぎ中1/パセリ2本の葉のみ/にんにく中3/トマト缶60~70cc/海老140g/イカ180g/ムール貝6個ほど/塩胡椒/オリーブ油

  • 作り方のポイントと反省◆
  • 前のように、海産物を煮ておいて、野菜と米を炒め、これを煮汁で炊きこみ、具(海産物)を放り込んで調味して仕上がり。というコースだが、
  1. だしを出す貝がいなかったため、味が頼りなかった。ムールの味はほのか也。
  2. トマトがなく、トマト缶で代用した為、本物特有の自然さが少なく、煮込みトマトのくせが出るので、馴染ませ、分量を加減するのに苦心した。
  • 結論としては、貝の味がなかったのは残念だったが、材料の範囲内ではほぼまともな味つけだったと自ら考える。
  • ところで、愛想のいいおばさんから買うのは、海老もムールも随分味がいいので嬉しい。

 

満腹になり、一服してから、薫は風呂に、くるみは香辛料包みに、両者とも勤しむ。(落としたが、薫が食事を作っている時、くるみは便所風呂で洗濯という激しい労働に従事していた。)

深夜まで、音の消えた部屋でスペイン語をにらんで、くたぶれた頃に消燈。おそらく、1時前。

 

ARROZ DE MARISCOには、味出しの貝(ムールだめよ!)と生トマトを欠くべからず—−−−本日の教訓

2月21日月曜日 半開きの市場、日本人のおばちゃんに会う

 

10:00起床。朝食を終えて市場へと急いだが、どうした訳か、市場の中は薄暗く、多くの店がcerradoである。魚屋も貝屋もほとんど店を開けておらず、かろうじてこの間、sopa用の魚を買った店にてpara sopa de pescadoと言って、サメのような魚1尾、うなぎに似た魚(今日のは太くて長くて40cm以上あった)1尾、それに大きな魚の頭1つ買う。高くて290pts。この間のは500g175ptsだったのに、gram数が多いのかもしれないが。店はこの間の美少女ではなく、その姉くらいの、割合に綺麗なセニョーラと、その旦那さんらしい、目の鋭い男とでやっていた。いつもムールを買う、愛想のいいおばちゃんの店は閉まっていた。人参、辛くないピメントン、洋梨、マッシュルーム等々買えるものだけ買った。香辛料屋で待っている時、突然日本人のおばちゃん(くりくりパーマにメガネをかけた)がやってきて、初対面なのに早口で矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。

以下はその大要。

おばさん:来てどのくらいになるの?

薫:いえ、もうすぐ帰るんです。まだ2ヶ月ですけど。

おばさん:あら、もう帰っちゃうの。それでどこに住んでるの?この近く?

薫:(とまどいながらくるみにどこだっけ、と聞き)カメリエスです。

おばさん:あら、じゃ、グエル公園の近くね。やっぱりガウディ関係?

薫:いいえ。

おばさん:いえね、私ここに15年住んでるんですけどね、この市場で日本人の人に会ったのは、前1回女の人に会ったのね。でもその人は1人で来てたの。今日はまた二人で来てたから珍しいなーと思って見てたの。二人で来てるの見たの初めて。

二人:そうですか

…………

 

くるみはこの時順番が回って来て、香辛料屋のおばさんに注文している最中だったので、おばさんの話にかまけていられなかった。上のは、その合間に漏れ聞いた薫とおばさんの会話。しかし、よくまあ回る舌とせわしない喋り方と、異国の地にあってもなお、日本のおばちゃん的雰囲気が薄れないものだと感心してしまう。くるみはあまりにも自分のことを喋らずに、他人(それも初対面)のことを聞きたがるので、何か影に悪い男がいて、所番地を教えると乗り込んでくるような懸念に襲われたので、あまり話さずにいた。いつもは他人の押しに強い薫も、突然だったのでびっくりしたのと、おばちゃんのすごい勢いに押されてへどもどと受け答えしていた。さっき書いたように、おばちゃんはこのバルセロナ15年住んでいるそうで、ガウディの案内(日本人向け)をしているとのこと。下がり気味の補足落ち着いた眼と黒っぽいメガネ、おばちゃんパーマ、ださいオーバーコートと、とってもよく回る舌を持っている。我々を見て、「二人見たのは初めて」というけれど、動物園の「白ゴリラ」を見た訳じゃあるまいに。見世物じゃないぞ、と後からいろいろなことを思うが、そのときはただもう圧倒されて呆然となるばかり。きっとこの人ならどんなところでも生き抜いていけるだろうと二人で驚嘆した。モロッコでも大丈夫に違いない。たぶん旅行中会った日本人の中でベスト1の迫力の持ち主だろうと思う。さて。おばちゃんのことはこれまでにして、先程途中になってしまった市場の話を。

マッシュルーム・洋梨などを買う店で、「今日はfiestaか?」と聞いたところ、そうではなく、多くの店は休みの日で、うちは◯曜日が休み、ということだった。それから他の多くの店が休みのため、客があまりこないのか、どこの店の人たちも皆愛想なく疲れたような風だった。香辛料屋のおばちゃん然り。この後、いくつか開いているTOCINERIA(干し肉屋)にてハム、ベーコンを買う。ベーコンの値段表が薄く消えていて4?0となっていて、てっきり400/kgだと思っていたので、合計が違うと言ったら、ここの、立ち上がった熊のように大きなパーマ頭のおばんが凄まじい顔をして、紙に内訳を書いた。くるみがわかった、わかったと言ってもなお且つ「No!」と言って引き続き計算を続け、勝ち誇ったように計を出した。わからなかったから、ちょっと言っただけなのに、人間ができていない奴だ。今度からちょっとでも感じが悪かったら絶対買ってやらないぞ、と思った。我々がアパートに向かう頃は通りの店屋も閉店しているところが多かった。アパートに戻り、受付のsenorに「昨日たくさんの間違い電話があった」と言ったら、焦った時によくするどもり声で、「土曜と日曜、ここに人がいなかった」ような意味のことを言った。ちょっとうんざりしてるふうでもあった。残り物退治の策で、小麦粉、キャベツを使う牛ひき肉入りお好み焼きをやった。以下はその要領。

お好み焼き〉

  • 材料◆

  牛ひき肉200g/キャベツ葉4枚程/小麦粉200g/1//胡椒/

  • 作り方◆
  1. 小麦粉と卵・水を合わせ、牛ひき肉を加えてよく混ぜ、胡椒する。
  2. ①に千切りキャベツを混ぜる。
  3. よく熱したフライパンに多めの油を入れ、少なめの②を入れ、ひっくり返して薄く平らにつぶす。
  4. よく焼いて、ソースをかけて召し上がれ。

食後は洋梨を食べ、CCLを飲んで訳にとりかかる。といううちにまもなく4時過ぎになったので、外出の仕度をする。

もうそろそろ帰国便のリコンフォームをせねばならぬので、イベリア航空へゆくのだ。今日はどうも厄日のようなので、イベリアでもあの、しょうもないおっちゃんになる可能性大。あのおっちゃんになると、スムーズにゆくものもスムーズにいかぬように、もう我々は信じ込んでしまっている。どうにか避けたいものだ。MetroPasseig de Graciaにゆき、イベリアに行くと、結構順番待ちの人がいた。あのおっちゃんもさかんに仕事をしてるふりをしている。我々は04番だったが、あと一歩というところで、なんとかひげおでこのアニマルおじさんになった。願っていた甲斐あり。リコンフォームはあっという間に終わり、OK。なんとなく心許ないが、まあ大丈夫だろう。El Corteにゆき、サッカーシャツを買う。これはくるみ用でもあり、薫用でもある。二人で試着してみて、Mサイズを1枚購入。次にPreciadosにゆき、地下でシャンパングラスを1個買った後に、パコデルシアのカセット2つ買う。今日のお姉さんはわりあいに感じよく、しかしどれもたいていbueno buenoと言って進めるのでわからなくなった。若い頃のと、リサイタルのを1つずつ。MetroにてAlfonso Xに戻る。家に戻って聞いたら、リサイタルのは何人かとの合奏で、パコだけのだと思っている我々には少し拍子抜けの感。しかし、2面の速い曲はよし。若弾きのは全然未熟なところなく、すでに老成したようなふう。どちらもさすがに下手でないので、きっと聴きこむと良さを増すだろうと思う。

夕食。

スパゲティボロネーゼ〉

  • 材料◆

玉ねぎ1/2/人参小1/vino1/4カップ/トマト3/ナツメグ25g/ベーコン50g(本当は25g)/セロリ1()/パセリ/パスタ/塩コショー/バター25g/マッシュルーム100g/干しきのこ12g/油大さじ2/にんにく1

  • 作り方◆
  1. みじん切りの玉ねぎ、にんにく、人参、セロリをバターと油で炒め、茶色くなったら大切りのハム、ベーコンを加える。
  2. 次に薄切りシャンピニョンと水につけて戻した干しきのこを加え煮て、赤ワイン、パセリ、塩コショーを加える。
  3. ワインのアルコールが蒸発したら細かく切ったトマトを入れる。
  4. 1時間ほど煮て、茹であがりのパスタにかけてできあがり。

 小麦粉がなくなった為、トマトの前に入れるのを省いた。

  • 反省◆

ソースの塩加減多く辛くなった。先程気づいたのだが分量よりハム・ベーコンが多かった為、塩気が勝ってしまったらしい。こういう干し肉を入れる場合、ソースで味見をすると結果的に濃いものに仕上がるので注意。

また、これはパスタの量とも関係がある。付け加えるに、パルメザンチーズがなかったことも味をまろやかにする上において不足であった。(スパゲティ用のチーズを言ったつもりなのに、おばちゃんがスパゲティそのものを包んでくれたのだった)

 

魚汁〉

  • 材料◆

魚の頭大1/サメに似た魚中1尾のしっぽ/うなぎに似た魚大1尾のしっぽ/にんにく半分/トマト2/玉ねぎ1/辛くないピメントン/その他パンにつけるにんにく/干しパン/塩・コショー/牛骨/パセリ1

  • 作り方◆

この間と違うのは、魚や野菜を濾す前に、塩・コショー、ピメントンで調味したこと。パンにつけるニンニクを片面のみにしたこと。ピメントンは辛くないのを多めに使ったこと。

  • 反省◆
  • 平たい鍋で煮たので、水をかぶる程入れたら、材料に比して水が多くなってしまった。
  • 辛くないピメントンによって色味は成功。
  • 汁に比してパンが多かった。

夕食後、また訳にとりかかる。薫はやっとパスタの本の訳を終えた模様。くるみはまだ1章も終わっていない。明日の材料がないので、また市場へ行かねばならない。

 

《追記》

パコデルシアのテープを聴いてみて、11本ずいぶん違うのに気づいた。今度買った2本も含めて、ひとつとして同じ感じのものがない。地味だと思った合奏のものも、こちらの心を見透かしたように、2面は急に速い曲ばかり続けるなどして、そのテープごとに見せどころ聴かせどころを作っている。2面の~という曲はたぶん手持ちのテープの中でも最も速い速度で弾いているものだ。若弾きのも全然現在のと比べて聞き劣りがしない。天才は常にスタイルを変えていって、人を飽きさせない(自分を開拓する)努力をしている。