1月23日日曜日 快晴

 MONSERRATに行く予定だったが、くるみが昨夜寝付かれず、疲労困憊しているので、11時頃に起床、予定は変更して家で溜まった用(洗濯、食料を新鮮なうちに調理)を足すことになった。朝食、昼食兼ねて、昨夜作ったサンドウィッチ用のハムサラダ、残りのパン、CCLを飲食する。デザートには、マケドニアフルーツヨーグルトかけ。薫はあまり家の中にいると、くさくさしてくるので、さっさと掃除をやってから、Parque Guell方面に散歩に出かける。くるみは家でカレーを作っていたようだ。

 

 極力、前と違った道をとって、Parqueに着くと、これまでで1番の混み様だった。青天井の下はポカポカが思いの外暖かく、まさに常春の地だ。Barもいつもは閑散としているのに、今日は外のベンチの2/3くらいを人が占めていた。車でやって来た家族連れが多いような気がした。野暮な光線でも撮れそうな陰や逆光のところを少し狙ってから、右手に抜けた。

 

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parche guell の色タイル

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parche guell を支える柱群 天井には色タイル

 

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parche guell エレガントな導入部

 

 

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park guell name plate 銘板

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グエル公園バルセロナ)の見える風景




 すると、上の方の丘というか、山にいっぱい人が群がって登っているのが見えた。芝生はないが、ちょうど奈良の若草山のような具合。土ではなく、岩で地形が少し複雑なところが違う。意外に高い山なので、少し面倒だったが、ええい、とこちらも登り始めた。ふもとにはサッカー場があり、青年が球を蹴り合っていて、見物客が多い。どうも山にはりついている人たちのいくらかはサッカー(FUTBOL)を観に来ているようだ。この山は周辺でも相当高いやつらしく、バルセロナの街を一望に見渡せ、これ以上高いのがぱっとは見つからない。晴れてはいるのだが、大分白く霞んで見える。頂上まで行き、反対側を見ると、霞は少し薄い。

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Barcelona landscape relaxing

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Barcelona and goats on the hill

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Four goats on the hill are indifference to Barcelona city

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All alone is living on the hill in Barcelona




 

 少し下ったところに粗末な家屋と木で囲われた畑のような、家畜の檻のようなものが見えた。ヤギが23匹見え隠れしていたが、こちらが下って行くと、畑のような檻のような柵の中に入ってしまった。そこから山の馬の背を越えた辺りにも、ヤギが大3匹、小2匹、草を食んでいた。小1匹は大1匹の乳を吸ったりもした。かなり、力強く懸命に吸うものだ。そこには、結構、坂の急なところで、ずっと下の平面になった地面に、高層アパートが立っているのがすぐ近くのように見えた。粗末な家屋とヤギ計5匹と整理された近代の建造物がいっぺんに見えるのが不思議な気がした。

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Inhabitants are sitting in linearly on the game


 

 高層アパートのもっと向こうには、また、地面が隆起したような小山があり、それは半分削り取られて、地肌が見えていた。まあ、要はいろいろと変化があるように思えたわけだ。ヤギはモロッコ製スツールの原材料でもあり、ひときわ親しみを覚えるわけで、ヤギ、自然、郷愁という連想はあまりない。

 

 山にはりついて陽を浴びる人々は新聞や本を読んだり、ラジカセの音を小さく出して、ニュースを聞いたりしていた。子供は坂を上ったり下ったりしていた。

くたびれてきたころ、進路をやや左に取りながら、アパートに帰った。アパートそばのカメリエスの交差点に出たのだった。めでたし、めでたし。

 

 

 くるみはカレーだけでなく、sopa de verdurasも作っていた。

 Verdurasはじゃが芋が1個腐っていたので、じゃが芋は1個しか使えなかった。人参1/3本、玉ねぎ1個をみじん切りにし、バターで炒める。それを鶏スープの中に入れ、ぐつぐつ煮ている間に、菜っ葉10枚くらいを細い千切りにして、放り込む。コクを出す為、鶏皮の細かいのを加えて、長時間煮込む。途中でバターを加え、塩胡椒して調味する。じゃが芋が砕けて、皆混ざり合ったら出来上がり。(現実にはまだ出来上がっていない。従って、味もわからない。)

 

 Curryの人参はごろごろと大きく切り、面取りしたもの3本、玉ねぎは極々薄切りにしたもの3個。フライパンにサラダ油を熱し、玉ねぎを入れて、茶色くなって焦げ付く寸前まで炒め、次に人参もよく炒めて、鍋にとる。にんにく薄切りを炒めたところに、鶏手羽・ももを入れ、こんがり焼く。途中で、塩胡椒し、白ワインを少々ふる。これも鍋に入れる。サイの目にし、種をとったトマトを炒める。これに加え、残り物のトマトピューレとセロリ、パセリを入れる。ローレル1枚を追加し、鶏肉がかぶるくらいの水を入れ、とろ火で煮込む。これから、ターメリックナツメグ・タイム・クミン・胡椒・パプリカを合わせ、これに入れる予定。香辛料の種類が不足なので、カレーにならなかった。瓶に2cmほどあるcurry de madrasの助けを借りるつもり。

やっぱり借りた。何故なら、役者不足だった。(クローブ・カルダモン・コリアンダー・陳皮・オールスパイス・マージョラム・ジル)

 

 出来上がったcurryターメリックを少なくしたので、ドロドロの赤いビーフシチューのようになった。鶏は溶けて繊維になり、野菜もドロドロ、形をとどめているんは人参だけだった。塩気は程よく効かせたつもりだったが、サフラン雑炊の水気と混ざって薄めになってしまった。甘味は玉ねぎで良し。今日は香りの香辛料よりも辛みの香辛料が揃いすぎたために、辛い割に香りの柱の一本一本が目立ちすぎた。バランスが悪いような気がする。次回は、もう数種類、香辛料を増やし、挑戦してみるつもり。でも、普通の調合カレーと違って、数種だけでも生の香辛料を入れると、本格派に近づくようで刺激的だ。

 サフランご飯は薫が担当し、水を多く最初に入れすぎたため失敗した。まず、1.5合の米を多めのオリーブ油で炒め、水を入れ煮かけたところで、サフラン小さじ1(指で潰して)を放り込んだ。これをフライパンで(空き鍋がなく)やったので、焦げるのを懸念し、水を多めに入れてしまった。飯盒か炊飯器があればうまくいくのだが。サフランは米の炊き汁で中でよく、色と香りを出した。薫は鼻が詰まっていて、香りの方はよくわからなかったが。サフランの色はレモン・イエローの上品な色で、どちらかというと淡い印象を受けるが、ターメリックででる色はかなりどぎつく黄土色に近い山吹色といった風で、だからこそ食欲をそそるというところもある。ええ、とにかく、熱湯で煮込んでいるにつれて、サフランの色が出て来たことを書き留めておきたい。

 

 順が逆になったが、sopa de verduras には、マカロニを放り込んで、じゃが芋が溶けるまで煮込み、zuppa minestroneにして食べた。GENOVA 看板なしトラットリアで食べた例の名作だ。これは少し煮込みすぎ、シチュー風情になったが、はっきり成功を収め、ほぼ例のを再現した。これで、また安くて旨いメニューを頂くことになる。鶏スープ、溶けじゃがが大きなポイントのようで、材料全て、日本で買っても高くないのが有難い。不思議にクリーミーな味に感じられた。未だ名称不明なこちらのverduras (緑の葉)の代わりには、ほうれん草は高いで、小松菜を使えばどうか、とくるみの案。

 

 食事中から、冷やした白vinoを飲み続け、半分が全てなくなり、瓶を空けた。4L瓶のも、何とか酢になる前に飲み切りたい。くるみさんは風呂に洗濯に、薫は少し雑用をして早く寝よう。明日は早くから活動する。消燈。