ちょっと元気のない相方 1月10日 月曜

  いつものように、カフェコン・レッチェと、トスターダの朝食。カフェはミルクが足りなかった。昨日は日曜で店が休みだったせい。これからは2本ずつ買っておこう。くるみは

朝食後、急に腹痛の為、横になって休む。少し前から体調が悪かったのだった。少しうとうと

として後、眠りから覚めると、薫が何事かガタゴトやっていた。暫くすると、お昼だようー

と言って起こされた。2時頃、薫の作った昼食を食べた。献立は以下の通り。

 

 <昼の献立>

* SOPA DE AJO

* イワシのトマトソース煮

 

* SOPA DE AJO

1.オリーブオイル(たらーと沢山)を熱し、ニンニク8片を入れかき混ぜて焦げる手前で火からおろしてピメントをニンニクが半分見えなくなるまで振りかける。

 

2.そこに薄切りパンを6枚くらい並べ、わあーと水を注ぐ。

 

3.とろ火で15分くらい煮、塩で味付けして、火にかけたまま卵を落とし、しばらくしてから

 下ろして食べた。

感想: レモンが一絞り入っていたので不思議な味になっていたが、味付け、塩加減はまあまあであった。ニンニクが多かったのと、オリーブオイルが決めてであるようだ。何せ、

にんにくのスープと銘打つのだから。仕上がりはやや濃い目を狙ってちょうどよいくらいか。

 

* いわしのトマトソース煮

1.ニンニク、玉ねぎ薄切りをオリーブオイルで炒め、はらわたを取ったイワシを放り込む。

 

2.やや火が通ったら、トマトソースでびちゃびちゃに浸ける。

 

3.しばらく煮込み、塩を振っておしまい。

反省: トマトソースは濃度が高いので、水を入れるなどして少し薄めにしてゆっくり煮るべきだった。イワシイワシ、トマトはトマトという味付けになってしまった。

 

  食後、薫は料理本の訳、くるみはしんどいので、耳かきをしながらだべっていた。主に

友達の話しをした。夕刻5時過ぎになったので、市場に出掛ける。マケドニアフルーツの為の

オレンジ、りんご、桃缶。卵と珈琲用ミルク。

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市場は5時半からだと言うので、その先まで散歩に出掛けた。10分ほど歩くと大きな通りに出た。この辺は照明器具屋さんも高級そうであり、地下鉄の降り口と、高いビルが立ち並ぶ見慣れた都会風景であった。少し歩いて引き返す。勤め帰りの人たちで道はけっこう混み始めていた。途中のいくつかの陶器屋を覗きながら市場に戻る。陶器屋にはあまり良い物はなく、ただ

一つの店にくすんだグリーンと濃茶の皿や傘立てがあった。少し派手さに欠けるがまずまず。

いいと思った皿は1万円以上する。

  もう一つ、外のウインドウに飾られたコーヒー豆入れの壺は濃い藍色で細かに模様が入っており、なかなかであった。

  どこの店もRebajas Rebaixasの札がペタペタ貼られ、女の人たちはここぞとばかりに買い物にいそしんでいるのだった。やはり、目立って混んでいるのは、下着と子供服をおいた店であった。子供服屋は不況に強いのだろうか。やっと開いた市場で安い店を探し、オレンジとりんご各1キロ買った。スーパーで牛乳1.5リットル✖️2本、小麦粉、ワイン2本も。夕食は

冷蔵庫にあるものでくるみが作る。腹拵えにさっき買ったりんごのパイをひとつ食べて備える。

  今晩は鶏肉のクリームカレーソース煮と、マカロニと野菜のスープ。スープは少し

薄く、ソースは少し柔らか目だった。買って来たモリレスは、ヘレス酒の親戚のようで癖がある。辛口。59pesetasのVINOはやはり安物の味がする。味に奥行きがない。やはり、100pesetasを越すものとそうでないものとでは格段の差あり。これからは100以上の

VINOを試してみよう。どうも、VINOのNOの上に〜が書いてあるのは一番まずいようだ。

明日は壊れてしまったラジカセの抗議をしにマタス通りにゆく。何としても直してもらうか

換えるかしてもらうぞ。    おやすみ。

 

  追記*この頃、くるみの思うこと。

最近、くるみの元気がないのは、身体の調子が悪いせいでもあるのだが、やはり外国の環境に慣れないせいもあるらしい。以前、バルセロナを訪れた時の印象と今現在の印象とでは随分

と違ったものになっている。旅行者として動き回りながら見るのと、定住して暮らしながら

眼に映るものは自然と違ってくるからだ。前より色々なことに気が付くようになった。

漠然と眺めていたものが急にピント合わせされたようにひとつひとつ見え出した。そのひとつにスペイン人の我々を見る眼というのがある。最初旅行を始めた頃は他人からじろじろ見られるのがとても気になったが、そのうち慣れてしまった。忙しかったためもあるだろう。今また気になり出した。違う意味を感じ取ってのことだ。じろじろ見られるのは、日本人旅行者が珍しいのではなく、日本人=黄色人種が珍しいからである。この珍しいという感情の中に、ときたま蔑視のそれを見ることがある。私が日本人であろうと、中国人であろうと、そんなことは彼らにとって関係なく、ただ単に、”黄色人種”なのである。いくら日本が世界に名を馳せていても、いくら空手が皆に憧れられていても、それは日本の製品や技術に対しての話しで、日本人個人に対しては依然として差別意識が少なからずあるのを感じ取る。気力が衰えて居るせいか、そういう他人の視線と囁きが痛いように神経が反応するのだ。

  皆、外国に長く旅行するというと、羨ましがるけれども、皆がして居るような、日本人、

或いは外人の庇護者に囲まれた生活や旅行と、誰という頼りもなく異国に生活するのとでは

随分と他人の見る眼も違うのだと言いたい。スペインは親日的であるはずなのにこうなのだから。黙って俯いて歩いていても、顔や色が黄色人種です、と叫んでいるのだから仕方ないではないか。我々でさえこうなのだから、黒人の人たちもさぞ大変な思いをしているだろう、と思う。人種差別のない国なんてないのだ。でも、このままでは薫のいうように、どんどん自分の殻に閉じこもってしまい、わざわざ外国で生活する意味がなくなるから、何とか打開策を見つけたいものだ。要するに自分がどのように反応したらいいかというパターンを決めておいたらいいのだが。今の私は気弱になっているので、どうしたらいいか分からない。