11月22日 停電する宿

10:00すぎ、宿をでて電話局より永井家にコレクトコール。相手方はその時間にいる人の名を書かなければいけない。忙しいせいか、おばちゃん方は愛想が悪い。鈴木家は話し中にて昼食後電話する。永井家一家は元気らしいが、景気が相当悪いと言っていた。鈴木家では2人して受話器に額を寄せてきゃはきゃは笑いながら話していた。乞食してないかと聞いたので、もう乞食してると答えた。昼食は昨夜のPEMA(CAFETERIA)に入る。infomationで教えてもらったレストランは夕食にしようとしたためだ。実は朝食のつもりでボカディーリョとオレンジジュースを頼んだのだが、殊の外腹がふくれた。それで、タコの煮付け(パン付き)を追加して、serveraを飲み昼食とした。もう、店員は覚えていてくれた。写真を撮りたいというと、ぞろぞろ集まって来て、カウンター内に一列に並んだ。更に物色していると、調理場に入ってもよいというので行ってみると、黒人の女性が隠れていた。彼女と調理場を撮ろうとすると、副ボーイ長がさっと歩み寄り、カメラの中におさまった。彼は写真を送って欲しそうなそぶりを見せていたが、全く無視した。タコの煮付けはどこで食べてもそれほど変わりがないようだ。イカと違い、どうしてもタコ自体のくせが強いので、どんな味も負けてしまうからだ。こいつはまあまあ。ボカディーリョはネギ入りオムレツとポテト入りオムレツにした。どうも分配して食べかけたもののみ、サンドイッチにしてくれるようだ。オレンジジュースは1杯につき1個半くらいのオレンジを使い、少量の水を足す。半分に切ったオレンジを押し付けると、レモンしぼり器型をしたものがぐるぐると回転してオレンジの汁と実をこそげとる。それが蛇口から出て、網でこされ、オレンジの果汁となる。これには砂糖を入れずに飲むようだ。(好みで入れるんだよー。だって昨日入れてたもん。)昼食、鈴木家への電話が終わってから、マンレイの展覧会に行ったが、月曜日は休館。Marianaにする。ぶらぶら歩いてmereadoにゆく。日本でいう卸売市場のような建物(屋根!という印象が強い)だが、壁の上部にはステンドグラスのような模様がいくつも見え、教会のドームのようでもある。中は生肉屋、野菜屋、果物屋、香辛料屋、荒物屋、お菓子屋、乾肉屋があり、少し区切られて向こうにペスカド屋がある。ペスカド屋の周りは、ペスカド屋ばかりである。オレンジを探して歩いたが、くるみの頭ではこんがらかって適当にkg350ptsの店で買う。だいたい25〜70ptsまで。大きさや形はまちまち。小さくて日本の温州みかんのような皮の柔らかいものは高め。

 その中でも葉付きのものは高い。やはり、色の薄いものや形のまちまちのものは

安い。でも、皆はバカ安でなく、並みの値段の店に集まって居ることが多いような気がする。日本の店では、オレンジの大粒で皮の硬い、しっかりしたのが高いので、不思議な気がする。大粒のは、酸味が少なく、甘みと水分が多くあっさりした味をしている。

 小粒のは、酸味と甘みとどちらも強く、みかん!と言う濃い味をしている。手で気軽に剥いて食べられるのも、家庭向きなのかもしれない。

 

  くるみは疲れたらしいので、Hostel El Cidに戻り、昼寝をする。夕刻5時に起きて

駅にゆき、クシェット(寝台車)の値段を聞く。ひとり665pts。日本よりは安いが

宿に泊まるよりは高い。予約をし、チケットを得る。コルドヴァ行きだ。

 

  ツーリストインフォメーションで紹介された、not expensiveのパエージャの

レストランにゆくと、月曜は休みで、muchas graciasと、ねずみ色のシャッターに書いてあった。グランプラザに戻り、食堂を探すがよきところ見つからず。

人通りが昨日より随分少ない。或るレストランでは、白服のコックや店員が丸いテーブルに腰掛け、vinoなど呑んで談笑している。7時半なのでもう客を待ち受けてよいのでは。全体にどこも客の入りがよくない。大通りに面した4ヶ国語でメニューの書いてあるBar restaurantには観光客らしき人が結構入っていた。それぞれ4カ国の旗がついて

観光客向けをアピールしている。

  結局、保守性から又、PEMAに入ってしまった。入る前からセットメニューに決めている。パエジャ込みで,600ペセタ。頭には昨日の旨い特製オムレツやいかの墨煮が

浮かんでいる。席に着いて同じメニューを頼むとボーイが、Dos MENU!と鬼の首を

取ったように叫んだ。少し首をかしげる。menuを取るのは珍しいのだろうか。そう言えば、あまり見ない。サラダは胡瓜、レタス、トマト、黒オリーブ、青オリーブ、玉葱

人参に、胡瓜とオリーブのピクルスが入ってにぎやかである。オリーブ油とヴィネガーと塩を掛けて平らげた。まもなく、くるみが”パエージャがもう出来た!”と言ったので

薫はその早さに、頭の中に暗雲が立ち込めた。パエージャは時間のかかる料理のはずなのに、なぜ早く出来たのか?やって来たパエージャを見ると、カタツムリの入った

黄色い焼き飯のようだった。よく見ると鶏肉の塊がごろごろ入っている。一目みて

出来立てではない。立ち食いで食べたつまみ、タパスのようにレンジで温めたのだろう。

  食べ出してカタツムリを見ると、ツノが出て居た。まるで紫陽花の葉からそのまま

運んできたようだ。ごはんは通常固めと聞くが、ここのは柔らかい。ふわふわしてる。

レモンは、グレープフルーツのように大きく、そのままデザートとして食べるのかと

みまごうた。

  このパエージャを食べ終えると、もうフルーツしかないと思うと心もとない

気がしたので、ムール貝を追加した。

 ”マリナーラ”と言うと、”ん?マリネラ”と言って訂正された。これは日本語で言うと

”ハマグリ”という貝を”はまげり”とか、”はまがり”とか呼んでいるようなものだ。

”はまがり一丁”違うちゅうねん。はまげり一丁。くるみは、ここではないがミルクのことを、ラッチェと薫に教えたために、カプッチーノを頼む時、いつでもカフェ コン

ラッチェと言い続けた。しかし、スーパーで牛乳を見ると、レッチェと表記されているので、長く訝しんで居た。聞いて見ると、くるみも曖昧で間違っていたことがわかった。ミルクのことをまあ、大声でマルク、マルクみたいに叫んでいたわけだ。

ぎょうにゅう。。。

 

  やってきたムール貝は昨日のより味が薄かった。日によってこんなに違うのは少し

不思議だ。同時に、メルルーサ、たらの一種のぶつ切りフライ、ポテトフライ付きが来たので、重い皿がふたつあるのを思い出した。食べられるかなあと思い、ひとつのパンはカバンにしまった。メルルーサは、揚げたばかりで、まずまず。大きなものなので

ぶつ切りである。このあと、オレンジが出たが、とても全部食べ切れず、半分ほど

紙にくるんでカバンにしまった。

  勘定をして出る時、我々ほど食べて居た人もいなかったし、高いメニューも頼んだので、(といってもたかが知れているが)店員さんが随分金を落としたなあという顔を

しているような気がした。驚いたような、もうけたような不思議な顔だ。腹を抱えて

店を出る。

 

  Hostelに戻り、しばらくして2人してbanoに入った。お湯を溜めて、日本のお風呂のようにして入り、まず薫のみ頭を洗ったのだが、その後、お湯を抜いた直後から突然

新しいお湯が出なくなった。いくらいじっても、冷やこい水しか出ない。

10分ほど苦闘した末、業を煮やして、薫が服を着ておばはんに事情を告げにゆく。

  おばはんは隣の湯沸かし器を見て、10分か15分待ってもらいたいと言った。

薫は風邪を引きたくないので風呂を上がり、部屋に戻ったが、くるみは裸のまま浴槽の

底につくねんとして坐っていた。

ところで、おばはんを呼びに行った時には、フリオ、フリオと言ったのだが、何を間違えたか、冷やすのを頼んでいたVINOを出しに行きそうだった。違う。。BANOだと言うとついて来てくれた。しかし、banoに入りそうになるので、セニョーラがお乳を出していると言って、手でお乳が出ている真似をした。たちまち、了解された。

 しかし、くるみが風呂の底にかがみこんで20分経っても30分経ってもお湯は

熱くならず、水より少しあたたかい程度で、とて身体など洗えない状態だったので、仕方なく頭だけ水で洗って出る他はなかった。

  鍵を返しにゆく時、wait..wait...しても、Frioだったと告げ、manana翌朝にははいるとと言ったら、オーケーしてくれた。

  部屋に帰って布団にもぐりながら、日記を書いていると、突然停電した。

全く色んなことが起こる宿だ。とにかく就寝。