荷物をHotelに預け観光に出かける。kabab pitta屋のおっさんは9:00に開くと言ったのに、9:30で店は閉まったままだ。
とにかくアクロポリスまで歩く。ここで気がついたのだが、昨夜泊まった宿はアクロポリスのすぐ麓にあったのだった。ベランダから見えたごつごつとして切り立った丘がそれだった。
頼まれて窓を開けてやったおばあさんに聞いた道をゆくと、道幅が急に狭くなり、白く狭く仕切られた塀のあいだのくねくねと曲がった階段ー今にも他人の家に踏み込んでしまいそうなーをずっと登ってゆくと、急にある家の白壁にアクロポリスと書いて→印があった。広くなった道を登ったり下りたりしながらゆくとアクロポリスの入り口に着いたようだった。今日は日曜なので無料である。(普通は70Dr)
オリーブの樹の合間を登ってゆくと門があり、神殿へと大理石の階段が続いている。あちらこちらに遺跡と思われるような石の塊がごろごろ転がっているが、見向きもされない。神殿はちょうど修復中であったのと、ものすごく寒く強い風にさらされたのとで、そのすぐ下にあるアクロポリス美術館に早々に逃げ込んだ。
入り口にはふくろうの彫刻がある。薫が写真を撮っていいかと聞いたら、70Dr払ったら良いという。やめた。
中には大理石でできた大きな彫刻の異物やら壺皿などがあった。壺などに描かれている黒絵はユーモラスでもあり、優雅でもあり、なかなかいいと思った。紀元前の遺物にしては、鮮明な線で残されているものだ。このあと、日本人観光客が増えて来た門のあたりを抜け、ソクラテスなどが通ったといわれる小道を散策し、アドリアヌウへ出た。
ちょうどそのあたりは、蚤の市のためか、たいそうな賑わいであった。観光客よりも地元の人が多いらしく、店も本当のガラクタ屋であった。中には履き古して真っ黒になったスニーカーや、使用済み絵葉書や切手を売る店もあり、珍しかった。ほとんどがあまり売れていないようだったが。そのごちゃごちゃとして狭い道にテーブルを出し、ビールを飲んでいるおっさんたちもいた。今日はクレタ島へ行くつもりで、船についての情報を得るため、シンタグマ広場のTURIST OFFICEに向かう。さすがにこのあたりはどこも休みで、おまけに通る人にOFFICEの場所を聞いても、なかなか見つからず諦めた。
あまり寒いので腹痛になったくるみは薫に引っ張られるようにして、pitta屋にたどり着く。昨日のように、グリークサラダにカバブ・ピッタを注文。温かい飲み物は置いていなかった。ここで日本人旅行者に会って声をかけられる。彼はアフリカを回って昨日か今日ギリシャに着いたばかりだという。やはりこんな寒さを予期していなかったらしく、ペロポネソス半島の突端に行き、ゆっくりするつもりだという。いいなあ、私たちもそうしようか、と心がぐらつく。荷物を背負って駅まで行き、TURIST POLICEで訪ねた。クレタまでは1人片道1200〜3000Dr(約5千円)で一晩かかる。アテネはいつもこんなに寒いのかと聞いたら、そうだ、と答え、クレタのことはわからないと言った。天気も思わしくなく予算もあまりないので、クレタ行きはやめにすることにした。
エーゲ海の島巡りは、ギリシャだけを旅行して回るものにはいいが、私たちのように駆け足で旅行している者にとっては、足代の方が高くつく。ギリシャの南方へ行き、小さな村でのんびりしようと行き先もきめずに駅で列車を待っていると、シンガポールの先生が来た。彼はスーニアとかいう岬まで往復4時間バスに乗って来たが、NOT DO GOOD!だったそうだ。オーストリアに友人が待っているので、今夜の船でイタリアへ戻るところだという。
KORINTHOSまで一緒に行くことにした。ところが、列車は非常に混んでいて結局離れ離れになり、彼はPATRASへ、我々はKORINTHOSから南へ下るため、お別れをした。KORINTHOSの駅長室にて、KALAMATA方面の列車時間を聞くが、今日がもうなし。結局、明日の時間を書き留めて、この近くの宿に泊まることになった。
人に尋ねながらHotelのありそうな方へ歩いて行き、2〜3軒あたったのち、入り口におっさんたちがテレビを見ているロビーのあるHotelに決めた。部屋もまあ普通だし、シーツも変えているようなので(それに疲れていたので)妥協し、そのかわり薫が500のところ450Drにまけさせた。(シーズン中は600Dr)1800円!ユース並みの安さである。荷物を置いて、夕飯にゆく。
結構流行っているpitta屋さんもあったが、Hotelに来る途中にあった脇道のタベルナに入る。本当は店の前をうろうろしていたら、店のおっさんが調理場まで連れて行ってくれたのだった。この店は、主人とおかみさんとおばあさんでやっているらしい。金のボールには小さいサカナとイカ、揚げたイカ、ハンバーグのようなもの、鍋で煮たものなどあった。
店を入った右手のテーブル軍は何かの集まりがあるらしく、わら半紙のテーブルクロスが敷いてあり、ワイングラスに紙ナプキンで栓をしたものがところどころに置かれていたりしていた。左手のテーブル群は、兵士たちで賑わっていた。私たちは調理場に1番近いところに座った。
メニューが全部ギリシャ語で読めないので、調理場に行き指差して、トマトのサラダ、ハンバーグ、イカのフライを頼んだ。あと、ウーゾという、食前酒も試してみることにした。ウーゾは、ストレート用のウイスキーカップのように、小さいコップに入って出て来た。透明の液体。コップ1杯の水がついてきたので、割るのか?と聞くと、そうだというので、その中に水を注ぎ入れた。白く濁って石鹸水のようになった。ウォッカのように強いお酒に中国の香辛料を入れたような何とも言えぬ味。水で割ってもなおかつ強く、けっこう頭にくる。くるみは全部飲んだが、薫は「さすがに…」といって残した。
イカのフライは長さ5〜6cmのイカを丸ごと油で揚げ、レモンをたっぷりしぼって食べるもので、イタリア料理と同じだが、揚げたてで、いきがいいので美味しかった。
薫のビフテキというハンバーグも肉・野菜などをすりつぶしたように柔らかくしたミンチボールで、結構いけた。ここには残念ながらpittaはなかった。2人ともお腹いっぱいになり、宿へ帰る。
疲れていたので早く眠ろうかと思ったが、今までの小遣い帳のまとめをした。やはり、NAPOLI以南に下がってからはだいたい予算内で生活している。しかし、総計で見ると、予定より7万円ほど超過。4万円までが靴や鍋などの必需品・土産物になっている。結構使っているので、薫は驚いていた。1日平均では7450円になる。
このあとスープを作るのに使った湯沸かし棒を洗っていたら、途中に穴が開いていることを発見した。たぶん食べ物がくっついたまま腐食したか、焦げで高温になり、開いてしまったものだろう。やっともとがとれた頃なのに2人ともとてもがっかりした。今度は電熱器を買おうと思う。