10月13日 サンドウィッチinヴェネツィア

 8:30に目覚め、昨夜買ったほしぶどう入りぱんとレモンソーダを飲食する。

外はもう観光客でにぎわい始めている。天気はややくずれ、昨晩雨が降った模様。今は曇っている。

 

 9:30頃Hotelの窓口(受付)で25000リラ、宿代の先払いを済ませる。部屋に記された35000リラをとられぬ為也。レシートを要求すると、台帳に書いてあるとか何とか言いながらも書いてくれた。イヴ・サンローランのようなメガネをかけたこの兄ちゃんは無愛想である。こちらも無愛想で対抗する。サンタ・ルチア駅にサンタ・ルチアを唄いながら向かう。親に電話し、平野に電報を打つ為也。

 

 途中、曲がりくねった狭い路地にある店々をのぞきながらゆく。種々雑多な店があり、退屈せず。八百屋、魚屋、電気屋、土産物屋、食べ物屋など。ぶどうは1kg1000リラ程度から。靴は日本の値段に比べて、そう安いとは言えないと感じたが、ものはかなり良さそうなので、結局かなり安い勘定になる。

  くるみは傘を欲しがったが、2200〜2300円程度で朱と茶のツートーン、上下が木製でフック(革のつりひも)がつき、肩から下げられるようになっている。これをかけて歩いている若い娘を置く見かけた。エビはこちらでも高いらしい。

 電気屋では探していた湯沸かし棒を何種類も見つける。4500〜11000リラまで(大きさ、形は違うが)。高いものはコップとカバーがついている。値段によってコイルの大きさが違う。つまりワット数が違う。結局、昼食をとりながらも考え続けた結果、7500リラ、大コイルのもの(1000ワット)を選ぶ。これは相対的にはかなり買い得。3回も値切ったが、まける余地すら見せなかった。最後に大阪弁で言ったのが一番通じたように思えた。

 

 話は昼前に戻るが、11:00頃、駅の電話局に着く。道は迷路のように曲がりくねっているので、PER PIAZZ.ROMAという看板を目印にしていったら、やはり駅のそばだった。電報の方は、2:00までやっていないというので見送る。国際電話は県名と電話番号と名前を用紙に書いてコレクトコールで申し込む。坐して待つこと5分。2番のボックスをさされたので受話器をとる。雑音が続き、Hello!という男の人の声が聞こえた。慌ててHello!と返し、英語で何やら言ったがわからなかったので黙っていると、シバラクオマチクダサイとたどたどしい日本語で言った。

 また雑音とHello,Helloと雑音が続いた後、聞き覚えのある声がハローと言った。お母さんだった。「もしもし…」というと「くるみーーーーっ!」という絞り出したような甲高い声を出した。「私、イタリアのベニスにいる。」思ったより雑音が多く、お互い焦っているので言葉がぶつかる。「どこ?」やっと話が通じ、こちらは元気であること、今11:00であること、家の方は変わりないかを聞いて薫に電話を渡した。薫は、食べ物は結構美味しい、お腹は壊していない、安いとこを見つけて何とかやっていると会話し、くるみに変わって電話を切った。大阪へも電話をする。まず雑音に混じって広丈らしい声が聞こえたが、しばらくして母親が出る。まあ互いに問題なき様子。ベニスには車がなく、みな船であることを話した。

 

 

 サンマルコに戻る途中、昨日入ったトラットリアを探しながら帰るが、歩いているうちに方角がわからなくなり、ずいぶんと空腹のまま彷徨った。

 TRE SPIEDIというTRATTORIAに着いたのは2:00前だった。ビールピッコロ2杯、スパゲティ・カルボナーラ2皿、フリットミスト1皿を頼む。途中、勘定を心配しながらも、結局カゴに入っていた4つのパンを全部食べた。しかしどうも結局このパン代は勘定に入らぬらしい。

 ビールはすっきりと美味しかった(くるみ)。カルボナーラは昨日に引き続き、麺が細うどんであり、炒めたベーコンではなく、微塵のハムだった。しかし、温かさは昨日よりもマシ。量は多くなく、やはり前菜である。これを思うと日本のレナウンミラノなどは一皿で一食とする日本の習慣に合わせて、かなり大盛りになっている。便利ではある。

 FRITTO MISTO, FRITTOとはフライ(揚げ物)、MISTOはミックス、つまりミックスフライのことであった。但し、油が違うのか、味が少し違う気がする。レモンを絞って食べる。材料は、鯵のような魚、イカ、貝(名前わからず)、わかさぎのように小さくて細い魚である。衣は何をつけて揚げたのか、薄い。貝が美味かった。これは例のイタリア青年のおすすめ品。

 

 隣に座ったイタリアのビジネスマンを見ていて気がついたことだが、Aqua mineral natuleという炭酸水は、ぶどう酒に混ぜて使うようだ。シュワシュワのVinoができる。

周りを見渡すと、Vinoの広口ビン(陶器・絵付き・マジョルカ風)とその炭酸水のビンを並べて置いている人が多い。酔いすぎず、すっきり飲む為だろうか。

 この男の人は、豚肉の薄切りステーキをオリーブ油で調味したところにパセリを散らしたものと茹でポテトを食べていた。Primo Second.と注文するのではなく、こういう食べ方の人は意外に多いようだ。ポテトにはオリーブ油をかけていた。

 よくイタリア料理店に入ると、赤い瓶と白い瓶と2つ並んだのを持ってくる(あるいは置いてある)が、赤い方は酢、白い方はオリーブ油だったのだ。

 ここにもカプチーノ用の機械があったので、写真に収める。

 

 

 電報局で平野宛に祝電を打つ。8760リラと結構高くついた。兵庫県のHYOGOが台帳に乗っておらず、Takarazuka Cityでひいたらあった。あいもかわらず、ここの女の子も英語を全く話せない。(そういえば、さきのレストランでも、外人(イタリア人ではない人)が注文するのに苦労しているのを見た。)

 

 

 再び迷路を散策。先述のように湯沸かし棒を買う。くるみが覚えていた鍋釜屋を捜し出し、テフロン加工の赤い両手鍋を買う(4700リラ)。但し、蓋(2200リラ)は無し。日本に比しては格安。

 

 早速宿に戻って湯を沸かす。鍋の下に宿のタオルをひき、水をためて、湯沸かし棒を入れる。湯沸かし棒はほんの10数秒で、かなり熱する。コイル状に巻いた先端4cmくらいの部分が暑くなる。その部分は水に浸かっていないとそこは赤くなる。その鍋8分目の水が2〜3分で沸く。その強力さには舌を巻く。西ドイツ製。デザインは無骨だが、丈夫そうではある。しかし、日本で使えないのは残念だ。

 

 コーヒーパックを3つ放り込んで飲む。これからは、宿でも熱いものが飲み食いできる。どうもいろいろ回ってみると、当たり前のことだが、質・量・値段という本根で勝負している店は流行っている。但し、残念なことにこれは多くない。TURIST MENUを出しているRISTORANTEやTRATTORIAは客入りが悪いように見受けられた。その戸口で愛想の悪い主人やボーイたちが立ちはだかっているのは更に入りにくい悪い印象を与える。値段のところだけが変えられるようになっている店もあった。

 

 夜、昨日のサンドイッチバーを目指して出かける。やはり迷ったが到着。

 野菜ポテトサラダ・ツナ・アスパラサンドイッチ・コロッケ・白ワインを飲食する。ここのサンドイッチの具は多く、パンは目が詰んでしなやかである(ほとんどは1個700リラ、サーモンだけ1000リラ)。日本でもちゃんとしたサンドイッチは随分と高い金を取られる。ここは本当に客入りが良い。ただ殆どは、我々と同じような軽食であるが。

 

 丸いカウンターから紙ナプキンでサンドイッチをつかみ、手渡してくれるのもおもしろい。気に入ったので、そのBarを撮っていると女副主人かが奥へ導くので、何かと思って行くと、良い木造りのイスとテーブル、階段で構成される部屋があった。写真を撮るならこちらもどうぞというわけである。(2階には酒が置いてある棚が並んでいる。吹き抜け。)商売熱心に感謝。そこも珍しいので、写真に撮らせてもらったが、私は奥よりカウンターの仕組みの方がおもしろいと思った。

 カウンターの向かいの棚には、ぶどう酒が酒屋のように多く並べてある。確かではないが、値札がいちいちついているところを見ると、酒屋のように売るのだろうか。この酒屋的店づくりとサンドイッチバーの組み合わせを見よ。

このSNACK BARは、BOLDINという。

 

 ここを出て、インスタントスープを求めてスーパーマーケットを探したが、どこもあいていない。全体に他の店も閉めているところが多い。観光客も昨日より少ないようだ。今日は何かの定休日なのだろうか。

 途中、美味しそうなパン屋の匂いと、綺麗な売り子のお姉さんに魅かれて、パン屋に入る。しかし高し。雰囲気で値段をカバーしようとしている。流行っていた。

 

宿に帰り、冷えたコーヒーを飲む。

薫は今日もくるみをいじめた。くるみいじける。

あまりたくさんゴム草履で歩き回ったので、2人とも足の裏が真っ黒になった。