10月4日 ユースホステルinコペンハーゲン

昨夜は一等のコンパートメントの席に座ったが、酔っぱらいがくるみの席に足を

投げ出してきた。振り払うのに、手こずった。

車中異常な混み具合にて手洗いに行き着くのも困難。乗客は身体をくの字にして、ほと

んど隙間のない通路を埋め尽くしている。そのほとんどが寝ている。座ったまま寝てい

る。また、コンパートメントに坐る諸氏も寝ている。

外国人は偉丈夫なり。

 

  11時コペンハーゲン着。かなり多くのバックパッカーが降りる。土産物は俗悪。

銀行で米20ドルを両替したが、コミッションを600円相当も取られた。未だにどういう

仕組みか呑み込めない。何とか節約したい。

 駅前はターミナルがなく車線の多い広い道路になっている。昨日の悪戦苦闘でかなり

疲労困憊していたので、早めにユースホステルに向かうことにする。

 

 まず、その前にsuper marked?!で食料品を買い込む。物価はほぼイギリスと同程度。

高し。なぜかスーパーの照明が暗かった。レジに並んでいる時など意外に我々に対して

客たちの当たりも柔らかく、なべて親切である。これはバス停でも感じた。

バス停で迷っていると、背広を着たおじいさんがデンマーク語で教えてくれようとする

のだが、全く理解できない。彼はこちらが理解できないのを、何故に悟らないのだろう

か。おぼろげにインフォメーションに行けばいいと言うことだけ分かった。

 

しばらくして英語の出来る男性が導いてくれた。

 

 ホステルは屋根の並んだ、緑とグレーの建物だという。バス代は4クローネ、ほぼ

120円。米軍基地のようなホステルであった。辺りは多くが原っぱで、ヴェラセンター

と言う建物以外見当たらない。風強く、荒涼たる感が漂う。宿代32クローネ、each。

計64クローネ。不思議なことに、くるみと相部屋になった。2人部屋である。ユースは

普通男女別に分けるが。

部屋は小学生の勉強部屋のようである。

窓口の青年は英語が話せるようだが、どうも文法に即しないところがあるようで、

掴みにくい。鍵が壊れていたので、カーペンターのおじさんに直してもらう。かなり親

切だが、やはり構わずデンマーク語で話し掛けられる。有難当惑。

 

 ロビーで食事をしかけると、建物内で食べてはいけないと言う。仕方なく外の

吹きっさらしの机付きベンチで食べる。継子いじめではあるまいな。

この約束事はかなり厳格に示されているようであった。

食堂でも持ち込み禁止が、3ヶ国語、国旗付きで書かれていた。

 

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 ベッドにいると、寝込んでしまった。午後5時過ぎ、ダイニングルームで夕食をと

る。30クローネ、each.お金が1クローネ足らず、弱る。一応、借りることにして食べ

た。のち、泊まり客にマルクを替えてもらうことを思いつき、アメリカから来た髪を結

わえた学生に頼んだ。3マルク=9クローネで交渉成立。首尾よく行った。

助かったお礼に、安田生命の扇子を進呈する。これでバス代を使ってデンマークのお金

はゼロになる。きわどい。

 昨日ははじめさんのおかげで贅沢な一日だったが、列車とユースで多く過ごした日は

旅行の感覚がなく、ただただひもじい時間だった。

くるみは小遣い帳と、メモ帳と日記に追われつつ眠る。

薫はトーマスクックの時刻表を睨みながら眠ることにする。なんとなく風邪疲れのせい

もあり、北の国は、あまり魅力的に見えない。気持ちとしては、一刻も早く南下したい

ところなのだろう。

 これから北ドイツを通り、オランダ、ベルギーに向かう予定。 

その後、フランス、ドイツ、スイス、オーストリア、イタリア、ギリシヤと下る。今月

末には、イタリア、ギリシャに着いていようか。消灯。