9時58分Lille発 Bruxelles nord行き列車に乗る。折角なので、一等に乗ってみる。
一等は1両しか無い。確かに、何が確かにか分からないが、話し声が少なく、やや
取り澄ました連中が多いようだ。ブリュッセルでは、通貨の持ち合わせが無いので
何も食えず。
Koln?ケルン行きに乗る。12時20分発。かなり混み合って入り。途中入国検査のため
警官らしきものがやって来てバッグの上っ面だけ覗く。くるみはフリー。
前の乗客は鞄の中身を出させられパスポートも取り上げられた。薫所見。感じ悪い
ご面相だったからではにゃあか。
彼はしばらくひどく憤慨していた。
車中の昼食。サーモンペースト付き黒パン及びチーズ、ザワークラウト(25ペンス)グレープフルーツジュース。
チーズ、グレープフルーツジュース苦し。ザワークラウトは甘くなくかなり美味。
チェコスロヴァキア産。徐々にイギリスで買った食物が減って行く。
閑話休題。列車にも色々ある。今乗っているのは二等だが、コンパートメント形式になっていて、かなり綺麗だ。コンパートメントの座席付きの枕は焦げ茶色で
座高により上下動するようになっている。
オレンジ色のシートに、カラシ色のカーテンとなかなかエレガント。
頭の上の壁面には横長の鏡が付いていて、居ながらに対面の鏡で自分の荷物が目で確認出来る。読書用ランプまで付いて居た。
イギリスでもそうだったが、およそ何処の駅にも次の駅名表示がないのは不思議だ。
快速、急行或いは様々な路線があるため次の駅を特定しにくいためか?兎も角、次の
駅名くらいあった方がいい。
KolnにてUSドルのTCをドイツマルクに両替した。およそ1万円、40ドルで97マルク。
Dusseldolf行きの汽車を探すも案内板がなく何度となく迷う。英語の表示もなし。駅の係員に聞き、ようやくインターレールに乗る。予約で満杯で、ぎゅうぎゅう詰め。なお、このケルン駅がドイツで初めての駅だが、駅の操車場のように鉄骨がむき出しで
実用本位、愛想や色気はなかった。
インターレール二等もシートがビニールレザー張り、肉薄でシート上の荷物棚も針金のオバケのように貧相だった。実際、がっちりしているかも知れない。へヴィーなバックパックにも耐えられそうだ。
降りる駅が分からないので、隣に座っている女の子(ドイツ人らしき)に聞いたら
Dusseldolfといってもいくつかあるらしいことが判明した。とりあえずそれらしき
駅で降り、ユースに向かう。
この街の信号の変わり方はひどく速い。道路を半分も渡らぬうちに黄色になってしまう。しかし、黄色は長いが、赤から青もまた同様なり。
心なしか、ドイツのエスカレーターも回転が速いように感じる。
途中、ウィンドウの中のおいしそうなハンバーグを見て立ち寄る。ハンバーガー一個
2、8ドイツマルク、280位なり。ケチャップは著しく甘い。まるでストロベリーソースのようだ。でも、なぜか結構まとも。
橋を渡り道路を横切り、山ほど歩いてDJY(ドイツのユースホステルの略称)に着く。
夕食はホステルにて。一人前4、8ドイツマルク、480円くらい。水は注文してもらう。
フリー。くるみのピラフにソースが掛かってなかったので、貰いに行ったら今度はポテトが無くなって居た。残念。薫に貰って食べる。食後、食堂のおばさんが何かがなって居たが、誰も行かないので薫が歩み寄ると余った紅茶をくれるとのことだった。くるみのリゾットの余りも含めて追加で紅茶三杯も呑む。ただ。只だと思うだけで身体が多量を要求する。便利な身体だ。
くるみは今までのひもじい生活の為、著しく胃が縮小して居た。本当に大陸に渡ると
安い金で食べるものが随分とましになった。
食後外でCOKEを買って飲む。
ジュッセルドルフの空は霞んでいる。重工業地帯のスモッグの為か。彼方の方は
見えず灰色に霞んでいて太陽だけがくっきりと丸く紅い。
戻ってラウンジにいたコロンビアの女性に従兄弟への電話の取次ぎを頼んでしまった。彼女は母国のことをガルシアマルケスの故郷だと紹介してくれた。英語で通じたようだった。明日電話をもらう。
このコロンビアの女性はくるみの二段ベッドの上が寝ぐらだ。何故かイランについての本を読んでいた。行動も著しくてきぱきしており、かなりのインテリと見える。先生か、と聞いたら、”違う、こちらで色々な言葉を勉強し、格闘しているのだ。(struggle)”と答えた。やはり、マルケスのファンであるらしい。
薫、三日ぶりにシャワーを浴びる。
ここのユースホステルは造りが立派で多人数を収容できる。
くるみの部屋は8人部屋で、真ん中に木のテーブルと椅子が置いてあり、鍵のかからないオレンジ色とブルーのロッカーが各人一つ宛てある。ベッドの並びも蚕棚の様ではない。値段は1300円と少々高いが。食堂やシャワールームも綺麗でテレビ室もある。
しかし今夜同宿の団体学生は著しく賑やかではた迷惑だった。