10月1日 ど快晴のフランス。珈琲変わる

    いよいよイギリスを離れ、ドーヴァーを越えフランスに渡る日。

イタリアの青年2人連れとともにドーヴァーeastern dockへ。ここで持っていたイギリスのポンドを

全部フラン  FFにチェンジしバスを乗り継いで船上へ。レートは割とよくほとんど損をしなかった。

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DoverのYouth Hostelで知り合ったイタリア青年と



 

 

甲板に出てイギリスが遠ざかるのを見送る。海は蒼く、あくまでも天気の良き日。

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Dover



 

  薫はイタリア人とごちゃごちゃ喋り、江戸俳句を書いて贈る。他の人びとは船の中で酒を呑んで

えらい騒ぎになっている。不思議に皆が解放的なアトモスフィアに包まれている。1時間15分で

Calais. カレーへ。

 

 

  海がフランス的な色を波打たせている。ダークグリーンに白を混ぜたような色。エメラルドグリーン

とでも言うのだろうか。

 

フランスはイギリスと違って光が燦燦として明るい。空も高く晴れ渡っていた。

 

Calaisでは降りるのが早く、パスポートを見る係員さえ居なかった。駅までのバスは酷く混んでいた。

Calais villeの駅に着くと、道路脇の喫茶店でイタリア人のあの顔見知りが待って居てくれた。

 カフェ・オ・レCafe au laitを始めてフランスで飲んだ。コクと香りが強く、かなり美味。

1人日本円で200円くらい。ところでフランスではイギリスと違って、我々をじろじろ見るようだ。

気っ風の差かね。心なしか微笑みかけられるのも、英国の方がずっと多い。

 

Franceでは河岸の植栽も優しい。人間には、特に外人、黄色人種には冷たいが。イギリスでは、もう

少し格調の高さがあるように思える。まずい料理屋に入ってしまう。メニューが読めないので指差して

適当に頼んだら薄いオニオンスープ、ローストチキンchips添えと、ハムチップス添えがきた。

ワインはまずまず、グラスで4フラン。フルーツといっても、籠に林檎やオレンジがぶち込んであるだけ。ナイフも一緒に出て来たので、愛想の著しく悪い、太った醜いおばさんに聞くと、素っ気ない

返事。仕方なく気分も悪いので、林檎を掴んで持って出ることにして勘定をした。67フラン也。

二度とこの轍は踏むまい。この一件で薫とくるみは喧嘩になった。しばらく不仲になった。

今も続いている。と言って薫はきたない舌を出して見せた。

  ジェノバ行きの汽車に乗ると、多くがクシェットで坐るのを躊躇していると、フランスの青年が

坐れと、促してくれた。坐ってから英語で話しかけたが、全く通じない。Lilleに着いてからも

この状態は続く。3番目に聞いた2人連れの女の子が何とか英語を話し、親切にもユースホステル近く

まで送ってくれた。著しく殺風景ところにユースはあった。駐車場と、高架と大劇場に囲まれている。

ちなみにこの街の市街地の都市計画は無茶苦茶である。アーバンデザインの観点がない。

へんな空き地も多い。ユースは一見クローズドのようで、一応ひとは3人居た。

主人に聞いた、Flunchというセルフサービスレストランに行く。

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Lille Youth Hostel近くのセルフレストラン、フランス国内に多くのチェーン点を持つ

 

  ロンドンユニヴァーシティと同じ形式でお盆を取り通路に沿って好きなものを指差し皿に盛ってもらう。サラダ、メインディッシュ、スィート、ドリンク、パンへと続く。最後に勘定。コーヒー他デザートは隣のコーナーに設けてある。薫はソーセージ付きベジタブルピラフにサラダ。トマトゆで卵ポテトサラダ等。ロゼワインは4フラン。くるみはハンバーグトマトソースにグリーンピースとキャロット添え。ミント水、ソーダ水と間違えて取ったのだが、冷たくなく、炭酸も入っていず、歯磨き粉水のようで不味かった。2人で締めて41フラン也、1人800円くらい。照明は明るくなく、ムーディな感じ。味の方はまあまあ許せる。家族連れの客も結構多かった。ハンバーグはお肉お肉していた、当たり前だが。

なまみたいだった。ワインは、まあまあのまあまあ。店の前には意味不明のたんこぶのような山が

いくつも作られており、それはタイル張りで頂上に樹木など植えてあるのもフランスならでは。

なんだか素っ頓狂なデザインだ。この店は結構、人の入りが多かった。

 その後、近くのスーパーで朝食用のミルクを買う。2、75〜3、5フラン、120円くらいで1リットルのミルクが買える。安し。ユースホステルに戻る途中、前の駐車場が若い人達でひどく賑わって居た。

 ニールヤングのコンサートだったらしい。劇場前には、バーベキューやサンドイッチ屋、コーラ、ビール、ジュースを売る屋台が出ていた。ここの電話ボックスからドイツのいとこ、一義さんに電話をしたが、誰か分からぬ外人が出て話しが通じず、切れてしまった。

  部屋に戻ると、大分泊まる人が増えたようだった。でも広い、2段ベット14台収容の、大部屋は

随分とガラガラ。水道は壁に張り付いた格好をしている。

 

  ロビーで日記を書いて居ると、チュニジア人のドクターがやってきて話しかけて来た。

彼は英語があまり得意ではないと言う割には、日本のことを知っていて天皇の名前と即位の年まで知っていた。広島や長崎に原爆が落とされたことも。

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フランス、イギリス、アメリカは帝国主義者だ。チュニジアは日本からの物を買いたがっているのにフランスが阻止すると言う。特に、車だ。日本には行ったことがないとも。

 ドクターと話していると、3人のモロッコ人学生が雪崩れ込んできて握手を求められた。2人が兄妹で、もう1人が男性。意味不明な現れ方だが、無闇に人なつこい。

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 歓談ののちjapanese poem,俳句を書いて説明してあげたら、ひどく受けた。

みんな自分自分で発音してみるがうまく言えず早口言葉のようになる。

薫は乗って歌まで披露した。先生風にやるので皆大いに笑った。

彼らも乗りやすい性質らしい。

3人のうち1人はアラビア語、フランス語、英語を話す。3人にそれぞれ違う俳句をささやかなsouvenirとして贈った。

名月を取ってくれろとなく子かな を即興英訳したら、He is crazy!!と言って又笑った。そして、”月みたいな丸いパンを買ってきて与えればいい”と言い放った。

写真を撮ったら送ってくれと頼まれた。

 

特によく喋った3ヶ国語を話す青年はカサブランカに住む明るい青年だ。

日本語の上達が早かった青年とその妹もカサブランカ在住のモハメッドさん。

チュニジアの医師はメディニ タハールさんでKEFの地方病院に勤務している。

ちなみに、モロッコでいう有難うは、シュクラン、Chokraneと言うらしい。