9月20日 どうなとなれとロンドン行き。雨のち曇り

f:id:dodicidodici:20220116153106j:plain

まもなく見えるロンドン上空


  半年ほど欧州方面に旅に出ることにした。実は、前から仕事と仕事の切り替わり時期を狙って計画していたことだ。斉藤さんというフィンランド語の在野の研究家にアドヴァイスをもらい、切符も安いのをフィンクラブ経由で頼んでもらった。1、2年前からテレビやラジオでスペイン語の勉強は続けてきた。スペインをメインに考えてきたからだ。アパートを借りてもいいかな、と漠然と空想していた。

 ロンドンに到着することだけ決めている。宿ははじめ、決めていたが、途中で気に入らずキャンセルしたので、着いた晩の宿はどこになるか分からない。いっそ、さっぱりしている。帰りは6ヶ月以内にパリから飛ぶことだけエアーチケットで決まっている。

 

26歳の女房連れだ。宿も行き先も定まらない

 

自由旅行なので最初渋っていたが、結局、なだめ

 

て行く腹を決めたようだ。

 

午前6時15分起床、誰かによって予定より早め

 

に起こされた。当分の間お別れになるはずの

 

白い飯、若芽の味噌汁(納豆はない)を食べて

 

7時20分女房の実家、菅野家を発つ。

 

そとは雨。義父母に車で送られ成田空港に

 

行く途中、にわかに雨脚が強くなったが、

 

着く頃にはほぼ止んだ。

 

国内の検問所なのに厳しい顔つきのお兄さんに

 

パスポートを提示 (くるみのみ)、無事通過。

 

8時10分到着、9時半まで北ウイングを散策。

 

チェックイン。航空会社のチケット窓口では

 

黒シャツをぞろっとまとった一見登山家風の

 

異様な風体のごつい男がいた。

 

旅慣れを通り越して、旅ずれしている。

 

日本人とは思えない。

 

背のリュックには大きな錆びかけた南京錠を

 

ふたつもぶら下げている。異彩を放ち、傲岸

 

不遜。異国に行くんだ、これでなくっちゃ

 

ふたりで心中うなづいた。

 

あとは出国手続き、上から見下ろしていた

 

女房の母親に最後のお別れの手を振った。

 

11時、南回りカラチ経由ロンドン行きの

 

パキスタンエアライン(のち、PIAと略す)

 

の飛行機に乗り込む。

 

およそ48時間の長旅になる。

 

機内は狭く、嗅ぎなれない香の匂いがたちこめ

 

ている。インドパキスタン辺りの民族音楽

 

漂っている。(くるみ、おののく)

 

当然エコノミークラス。狭いシートに座ると

 

左手の壁の模様は、丸と曲線で出来ていて

 

宇宙的であった。シートの生地も色も濃密で

 

東洋的でもある。(眠る獅子を描いたアンリ 

 

ルソーよ色使いに似ている)

 

3人掛けシートでもう一人30代くらいの男が

 

来た。スチュワーデスに話し掛ける態度も

 

大きい。話してみると彼は指揮者、コンダクタ

 

ターだった。海外への旅行も多いらしい。

 

台湾の総統、蒋介石の追悼コンサートの指揮を

 

担当し、中共(中華人民共和国)から入国を拒否

 

されたとか言いなむ。これ以後イスタンブール

 

着くまで彼から様々な情報を得た。

 

最初の機内食が出た時、彼は京樽の伊達巻寿司

 

を出して食べていた。私、薫は機内食を8〜9

 

割がた平らげてから、伊達巻をひとつ貰った。

 

くるみは7割。

 

このコンダクターに何でも食べられていい

 

ですね、と言われた。(くるみは、やな男だな

 

と思う)

 

ちなみに彼の服は、綿の白の上下、ボートハウ

 

スの紺のTシャツ、スニーカーという

 

いでたち。

 

くるみは頭痛がし、口も聞かず黙りこくって

 

いたが、薫は何故かはしゃいでいた。

 

揚子江が見えた、端の河岸が霞んで見えない。

 

まるで海だ。

 

4時間で中國の首都、北京に到着。

 

トランジットでロビーに出る。

 

トイレは厠所という。

 

トイレットペーパーは渋紙のようで、茶色で

 

ごわつき、習字に使えそうな代物だった。

 

f:id:dodicidodici:20180312200819j:plain

 

土産物屋は簡素で置かれた商品といえば

 

西欧のウイスキーや、日本のリポビタンD

 

目についた。中国自体の産物はほとんど

 

存在感がなかった。

 

 

f:id:dodicidodici:20180312200835j:plain

 

 

出国審査所や電話ボックスは、木製の箱の

 

ようだった。

 

空港の周りを見回してもだだっ広い土が

 

広がっているだけ。ウルグアイ人が出国の手続

 

きで戸惑っていた。彼の手続きが完了すると、

 

黒シャツの男が言葉を交わし写真を撮っていた

 

パキスタンのカラチに着く頃には夜になって

 

いた。夕焼けの空がどこまでも細く水平線に

 

広がり、鮮やかで眼に残った。

f:id:dodicidodici:20220116145716j:plain

 

カラチには現地時間で夜の11時頃着。日本との

 

時差は4時間。

 

トランジットルームで一夜を明かすつもりだっ

 

たが、パキスタン航空がホテルを用意して

 

くれるというので書類を受け取る。

 

その書類を持って次の係官のところへ行くと

 

yellow cardはどうした、と言う。薫は

 

何の事か分からないので話しがもたつき

 

からまれ、面倒なことになりかけたが、

 

同乗の楠木夫妻の熱演で救われた。

 

ポイントはおのれの意思を強く打ちだすこと。

 

この場合、WE DON'T  NEED ❗️NO drinking.

 

NO eating❗️と言って水筒を振って見せた

 

のが良かった。思いは態度でしめさねえと、

 

いけねえ。

 

空港を出ると、正体の分からないパキスタン

 

がうじゃうじゃとたむろしていた。

 

暗闇の中で、ゾロリ装束の異国人が蠢めいて

 

異様な雰囲気に蒸し暑さが拍車をかけ、

 

おまけに匂いまで尋常ではない。

 

未体験の息苦しい雰囲気に圧倒される。

 

なにせどこに行けばいいのか、今何処に

 

いるのかも定かではない。

 

とりあえず前の人を見失わないように神経を

 

尖らせてパキスタン航空らしきバスに乗り込み

 

THE  INNに運ばれる。兎に角、全体に薄暗い。

 

あかりが少ないのだろう。

 

受付では、イスタンブール行きの一行が待って

 

おり、とりあえず一息をつく。

 

暗いなか、ポーターが鍵を持って部屋まで案内

 

してくれたが、チップのパキスタンマネーの

 

持ち合わせがない。謝るほかないが、ポーター

 

は相当憮然とした態度で突っ立っていた。